電子計算機黎明期
11月の雑記テーマは、2017年10月の雑記のテーマにもなった「わたしの新人時代」その2です。
入社してからいろいろありましたが、やはり印象深いのは、目録を入力するための端末の変遷でしょうか。
今でこそ、全員に一台ずつパソコンが配置されていますが、入社当初は目録を入力するための入力専用端末を使用していました。
これがあんまり賢いとは言えず、一文字検索など負荷がかかってしまうような検索をうっかりしてしまったが最後、データ部全員の端末が数分ほど固まってしまうという代物でした。
週に数回は「すみません!」という声が上がり、全員で端末が復旧するのを待つという時間があったのでした。
その後、新刊案内を編集するためにパソコンが導入されました。個人で持っている人もまだ少ない時代で、先輩が「練習のために昼休みにいろいろ検索を試していいよ」とおっしゃったので、同期と二人で早速検索してみたことがありました。
今のようにGoogleなどの検索エンジンもなく、また自社ホームページを持っている企業も限られていました。とりあえず、先輩の「ディズニーランドのサイトが面白かった」という言葉を頼りに、まずは「ディズニー」で検索してみたところ、どうも綴りを間違っていたらしく、ものすごい時間をかけて出てきたのは、海外の怪しい学生サークルみたいなサイト。「なんかヤバいの出てきた!」と、慌てて検索を打ち切ったのでした。
今でも時々、あれはいったい何のサークルだったんだ?と思いだします...。
そういえば、TRCの件名にある「コンピュータ」は、長い間「電子計算機」という名称の方を使っていました。
今その用語を使ったら、「電卓」のことと間違えられそうです。
小学生のときに博物館でFAXを初めて見て、「紙を送れるってどういうこと?」とものすごいカルチャーショックを受けたものですが、資料はFAXではなくPDFにしてメールで送るのがスタンダードになりつつあります。
子どもの頃に思い描いた未来よりも遠いところに来てしまったのだなあと、しみじみと思うのでした。