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2018年3月 アーカイブ

2018年3月30日

朝鮮本ワールド

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

和漢古書の整理ということになると、基本的に日本か中国で出版・書写されたものを扱うことがほとんどですし、内容も漢文で書かれたものか仮名交じりのものしかまず目にしないのですが、時々は日本・中国以外で製作されたものや、日本語・中国語以外の文字が記されているものも出てきたりします。今回はこれらについて見ていきたいと思います。

出版地が日本・中国以外の和漢古書ということで、最も目にすることが多いのは、朝鮮半島で刊行された本(朝鮮本・韓本)です。内容としては、経書を中心とした漢籍であることも多いですが、彼の地の学者による注釈書や詩文集、すなわち韓籍(朝鮮書)もしばしばあります。韓籍の本文の言語は朝鮮語(韓国語)ということになりますから、漢字の書名に対してもハングルのヨミを付与するべきということになります。
朝鮮本は見た目・造りにけっこう特徴があり、基本的にふつうの和本・唐本より大型のものが多く、綴じが四つ目綴じ(四針眼訂装)ではなく五つ目綴じ(五針眼訂装)であるのがスタンダードです。表紙は黄色の無地の厚手の紙を使用していることが多いですが、題簽はあまり用いられず、書名が表紙に墨書されていることがよくあります。また、版式の特徴としては、魚尾が花口魚尾になっていることが多い、という点があげられます。
朝鮮本は、公的機関や学者個人が刊行したものがほとんどで、日本のような商業出版物はほとんど見られません。中央の公的機関が刊行したものは、巻末や封面にしっかりした刊記が具わっていることが多く、字体や刷りも立派で美しいものが多いですが、個人によるものは、紙自体が多少けばだっていることもあり、かなり刷りの粗いものも目立ちます。

出版事項は刊記が無い場合、序文や跋文から推定することになりますが、これがまたけっこう難物です。以前、出版年のところで触れたように、干支や「王之何年」としか書いていないことも多いですし、中国書の場合、刊行事情を書いた文章はわりと事務的であっさりしたわかりやすい漢文であるのに対し、彼の国の人の序跋は、かなりペダンチックで凝った、要はわかりにくい文章であることが多い、というのが実感としてあります。
巻頭に明記されていない場合、序跋中では得てして本名では出てこない著者や編者を認定するのもけっこうたいへんですし、巻次や巻の書名なども、途中で気が変わったのをそのまま反映しているような(よく言えば大らかな)ケースも多く、構成を把握するのにちょっと苦労したりもします。
なお、朝鮮本独特の慣習として、政府刊行のものについて、最初の冊の見返しに「(国王から)この書物をいつ・誰それに下賜する」という文章が墨書されている場合があります。これを内賜記(ないしき)と呼び、実際にそこに記されている年に刷られたと見てよいですので、こうした本(内賜本)については印行年として内賜記の年を記録することができます。

朝鮮半島の書物印刷史上の大きな特徴として、活字印刷が盛んに行われたということがあります。活字印刷自体は宋代の中国が起源ですが、朝鮮半島にも早くに技術が伝わり、高麗時代に金属活字が発明されました。現存する最古の金属活字印本は、高麗末期の1377年刊のもので、これはヨーロッパにおける活版印刷におよそ半世紀先立つものです。朝鮮王朝成立後も、中央政府によって金属製の活字が何度も鋳造され、かなりの数の活字印本が残されています。
ただ、金属の材質についてはいささか不明瞭な点がありますので、鉄活字とか銅活字とかは断定せず、目録記述としては、2.7.4.0(古)のウ)の位置に「朝鮮金属活字印本」と注記しておくのが無難かと思います。もちろん木活字本も多数ありますし、珍しいところでは陶製の活字(陶活字)や、ひょうたん製の瓢活字なるものも使用されました。
また、朝鮮半島でハングル(訓民正音)が発明・制定されたのは西暦1446年のことですが、あくまで補助的な発音表記の記号という位置づけでしたので、正式の文章はすべて純乎たる漢文で書かれました。ということで、朝鮮王朝時代の本でハングル入りのものはそんなには多くはないのですが、時々は目にすることがあり、とくに民衆教化用の儒学書や医書の解説書の類は何種類も刊行されています。ハングルのことを当時一般に諺文(おんもん)と称しましたので、こうしたものは「○○諺解」という書名であることが多いです。
いわゆる秀吉の朝鮮出兵の際に、朝鮮本の活字印刷技術が日本に持ち込まれ、駿河版(するがばん)などの古活字版の盛行を来たし、日本の印刷史にも大きな影響を与えたのはよく知られています。古活字版自体はもとより、活字本を覆刻したその後の整版の本でも、版心をずっと花口魚尾にしているなど、朝鮮本の版式の影響をたどることができます。また諺解本にならい、日本でも「○○諺解」とか「○○国字解」といった注釈書・解説書が多数編まれますし、『剪灯新話(せんとうしんわ)』など、朝鮮本を源流として翻刻され広く流布した漢籍の例も数多くあります。こうした伝播や変容のさまは、客観的に見てなかなか興味深いものがあるように思います。

朝鮮半島以外の外国で刊行された和漢古書としては、ベトナムの「越南刊本」やモンゴルの「蒙古刊本」などがありますが、さすがに手にすることはめったにありません。なお、モンゴル文字や満洲文字は縦書きで左から右に読んでいきますので、袋綴じであっても通常の漢籍とは違って左開きの造本になります。
清朝時代の満文の本や、幕末期の横書きで刊行された外国語の辞書など、左開きのもので、縦書きの漢文の序跋が附されているようなことはよくありますが、時としてその漢文も左から右に書いてあったりするものもあります。何だか読んでいくと乗り物酔いしたような気分になりますが、こうしたものがまじっていると、通常の和漢古書のなかで、かなりに異彩を放っていると言えます。

2018年3月29日

春の東京名所~春の小川をたどりたい!

新刊の藤澤です。

3月木曜のテーマは「春の東京名所」。
六義園、昭和記念公園、田端台公園、東京の水路・橋ときまして、
最後の今回は、東京の小川、「野川」にしました。

スタートは、調布市・小金井市・三鷹市にまたがる野川公園。
元ゴルフ場ということで、広大な芝生と樹木が入り組み、
その縁を野川が流れています。
何があるわけではありませんが、きれいな緑を前に
冬の間縮こまった体を伸ばしたくなります。

自転車があれば、ここから野川に沿っての散策が楽しめます。
野川は、「はけ」と呼ばれる国分寺崖線に沿って流れています。
片方の岸は平ら、対岸は、結構な高さの斜面。
そのため湧水が多かったり、斜面の眺望をを求めて建った
色んな建物を楽しむことができるのです。

上流・国分寺方面に行けば「はけの道」なるものもあり、
大岡昇平「武蔵野夫人」の舞台をたどることもできるそうです。

下流に行くと、はけの急斜面には
思わず登ってみたくなる小路・坂道。面白い建物。
水車もあります。
武蔵野から世田谷に入っていくと、なんだか建物も少し
都会らしくなってくるような(?)
そして多摩川に合流してゴールです。
広々とした川面を見ながら、達成感も沸き、とても良い気分になれます。

斜面や水に注目していると、大した知識がなくとも
面白いものが見つけられ、タモリさん気分で
地形散歩ができるのがポイントです。

2018年3月28日

きょうのデータ部☆(3/28)


何週間か前の寒さがうそのように暖かい日が続いています。
桜は例年より早めに開花となり、公園でも待ちに待った満開を迎えています。

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番外編として、今月何度かデータ部ログに登場している六義園のしだれ桜を先週末見てきました。
たくさんの人でにぎわっており、こちらもとってもきれいでした。

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入学式までは持たないかもしれないですが、新年度に向けてエールを送ってくれているような気がします。

2018年3月27日

正義とは?

本日は「週刊新刊全点案内」2055号の発行日です。
掲載件数は1405件でした。

~こんな本がありました~

どう解く? 答えのない道徳の問題

やまざきひろし(ぶん)
ポプラ社(2018.3)


怒涛の年度末、辺りが暗くなってきた頃、目に入ってきた一文
「どうして正義のヒーローは、悪者を殴っていいの?」
決して何かを殴りたかったのではないと思いますが...
ただ、そういうものだと思い込んでいたので、改めてきかれると何と答えて良いものやら。


この本は、食べ物、嘘、正義など
大人でも答えを出すのが難しい道徳の問題を集めたものです。
本文に答えは書かれていません。
そのかわり、色々な子どもたちや大人(著名人)の意見を集めた「考えるためのヒント」が提示されています。
簡単な絵と言葉の組み合わせで、子どもとの会話を生み出しやすい作りになっています。

出版者のポプラ社に、この本の特設サイトがありました。
ここでは自分なりの解答例を投稿でき、「みんなの解答例」としてオープンに対話ができることを目指しているそうです。
身近ではない、他の人の意見が分かるところは、このご時勢ならではです。


さて冒頭の、正義のヒーロー問題。
正義のヒーローだから殴って良いものだ、と断言してしまうか
殴らないで話し合うべきとすべきか
(戦隊のヒーローが毎週討論してたら、斬新な番組になりそう)
しばらく戦隊モノの本を目にするたび、思い出してしまいそうです。

2018年3月26日

旦那さまのご趣味は?―謡本・浄瑠璃本

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、注や訓点のことについて見ましたが、NCR87R3の2.7.4.7(古)には、イ)の訓点につづいて、「ウ)謡本等で,本文の横に付された記号について,説明する必要があるときは注記する。」とあります。
謡本(うたいぼん)というは、能の詞章(テキスト)を記した本のことで、舞や囃子が必須の構成要素となる能の上演とは別に、謡そのものの稽古のために製作・刊行されたもので、謡曲が武士や町人の趣味・たしなみとして大いに流行したため、江戸時代以降多数発行されています。台詞の一部やト書きは基本的に省略されているので、上演台本とは言えず、あくまで謡の稽古の際に用いる、謡曲のテキストや節まわし(節付)を記した本、ということになります。
謡本は書型としては半紙本もしくは横中本であることが多く、また一作品が単独で刊行されていることはほとんどありません。半紙本のもので非常によく目にするのは、観世流の数十冊のセットもので、各冊に4つから6つ程度の作品を収録したものです。セットもののつねとして、各冊に刊記等はありませんが、基本的な造本が同じですので、「観世流謡本」といった仮のシリーズ書名のもとに、まとめて整理したほうがよいかもしれません。たいてい、表紙に縦書きされた収録作品を横に並べた目録題簽が貼られており、時にそのすみに「内」とか「外」とかあったりします。前者は当時のメジャーどころを集めた「内百番」の、後者はそれにつぐものを集めた「外百番」のものであることを示しています。
謡本の刊行は江戸時代初期からいろいろな書肆で行われましたが、代表的な版元は京都の山本長兵衛で、17世紀半ばの万治年間から幕末まで観世流の謡本の版木を所有していましたが、元治元年の蛤御門の変で版木自体はほとんど全焼してしまいました。その後、版権は同じく京都の橋本常祐に譲渡され、明治後には檜常之助(常助)と名乗った彼の檜書店から、現代に至るまで謡曲の本が出版されています。ちなみに、「檜大瓜堂」というのは、大正期にできた東京店の店名ですが、これは「大売り堂」の意味なのだそうです(現代の檜書店はこの東京のほうが本店で、オリジナルの京都店のほうは平成25年に閉店)。

謡本に近いジャンルでよく見るものとして、浄瑠璃本(じょうるりぼん)のことも触れておきましょう。こちらは、三味線の伴奏で語られる浄瑠璃の詞章を記した本で、江戸前期には、語りを担当する太夫(たゆう)使用の原本を正確に写した、細字十数行の挿絵入りの正本(しょうほん)が読みものとして刊行されていましたが、元禄期の近松門左衛門・竹本義太夫コンビの活躍で、こちらも趣味として稽古する旦那衆の需要が高まり、節の付された稽古本が刊行されるようになりました。一曲まるまるを収めたものを丸本(まるほん)と言い、一部のみ抜粋したものを抜本(ぬきほん)と言います。後者はあるいは、太夫が舞台上で使用するものについて、床本(ゆかほん)と言ったりします。いずれにしろ、どちらも稽古用・実践用のものですので、字は大きめで半丁あたり六行から十行程度になっています(床本を集めたものなどでは五行程度のものが多いです)。
丸本(大半は半紙本です)は基本的に人形浄瑠璃の上演と不可分のもので、上演と同時に刊行されましたが、もちろん人気のあるものは何度も刷られました。奥付自体には刊行年が明記されていないことが多いのですが、後印であることが明きらかである場合以外は、巻末等にある上演年を出版年としてよいでしょう。巻頭(内題下)には、作者の名前がある場合のほか、太夫の名前や座元(ざもと)名が記されている場合もよくあります。また「巻」とあっても、それは基本的に「段」の別の言いかたにすぎませんので、書誌的巻数とは見なしません。
浄瑠璃本は、このようにかなり特徴のある形式をしていますので、ふつうの図書とはすこし別に考え、丸本か抜本か、半丁あたり何行かはつねに注記しておくのが望ましいでしょうし、内題下や題簽の記載もできるだけ転記しておいたほうがよいでしょう。また丸本の上演年は、現物になくても『日本古典籍総合目録データベース』などを確認して注記しておいたほうがよいかと思います。

現在目にする江戸時代の謡本や浄瑠璃本は、まさにお稽古ごとに使われたものが残っていることが多く、けっこう手垢にまみれた感じのものがありますし、書き入れがあることもよくあります。たいてい全体にではなく、ある部分にだけ書き入れがされているのがまたリアルな感じで、これらについては、アイテムレベルの注記として、「書き入れあり」などと記録しておいたほうがよいでしょう。
逆に節付記号は、NCRでは「説明する必要があるときは注記する」ということですので、必要と認められれば注記してよいですが、正直このジャンルの本であればあって当然のものですので、別にわざわざ注記しなくてもよいような気もします。

演劇・音曲関係の本としては、ほかに絵入根本(えいりねほん)というものがあります。これは、歌舞伎の台帳(脚本)を印刷刊行したもので、現代で言えば、テレビドラマのノベライズなんかと似たような性格のものと言えるかもしれません。存在が確認されているのは数十点でそんなに多くはありませんが、派手な色刷りによる名場面の挿絵や役者の口絵などが入っていたりするのが、いかにもミーハーな読者向けの感じでよいです。
また、謡本や浄瑠璃本は節付記号があっても邦楽譜とは見なしませんが、あまり目にはしないものの、三味線や琴などの楽譜そのものも出版されています。これらはもちろん、邦楽譜として、楽譜の規定を参照して記録するのが適切だろうと思います。

2018年3月23日

大亀に見える?-注と訓点(和漢古書の形態注記(3))

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、版式について説明しましたが、NCR87R3のこの「キ)版式,版面」のところでは、「二段本」という注記の例があげられています。ここでの「二段本」というのは、本文がはっきりと上下二段に分かれ、別々の書名を持つものが収録されている本のことを指します。別々の内容といっても、関係するものだったり、上段のものが下段のものの注釈的なものだったりすることも多いですが、いちおう合集として記録し、「上下二段本」などと注記することもなります。
実のところ、たんに「二段本」と言うと、伝統的には、編ごとに別々に刊行されたものが編ごとの大きさが異なっていて並べると段になるようなものを指すこともありますので、誤解を招かないよう「上下二段本」「上中下三段本」のように書いたほうがよいかと思います。なお、とくに漢籍における科挙の受験参考書について「高頭講章本 (こうとうこうしょうぼん) 」という呼称があります。

「上下二段本」と似たものとして、「首書本(しゅしょぼん)」というものがあります。これは、本文へのまとまった量の注釈が上層に附されているもので、はっきり枠で分けられている場合もあれば、そうでない場合もあります。また上部のみならず、原紙の両端がわ(のどに近い部分)も上から下まで注釈になっていることもよくあります。
首書本は、見返しや題簽の書名が「首書~」となっていたり、「首書」を注釈者の責任表示とするのが適切な場合も多く、どちらかと言えば本文よりむしろ首書(かしらがき)のほうが重要なことがままあります。「頭書(とうしょ)」も同じく「かしらがき」と訓じ、同様の意味で使われることも多いですが、あえて区別して使用するとすれば、往来物や節用集などで、本文ととりあえず関係ない附録的な内容が載せられているものなどについて、「頭書あり」などと記録するのが適切かと思います。
ちなみに、漢籍ではこうした首書・頭書のあるものは「鼇頭本(ごうとうぼん)」とも称します。「鼇」とは「大海がめ」のことで、本文部分を亀の甲羅に、上層部分を突き出た頭に見立てて「鼇頭」と称するのだそうですが、何だか今ひとつピンと来ないような気も。いずれにしろ、「鼇」などという字はこの用例でしかまずお目にかかりませんが、和漢古書ではこの「鼇頭」はよく目にしますので、何のことだか理解して間違わずに記述したいところです。

「首書」や「頭書」と境目ははっきりせず重なる部分がありますが、「頭注」がついているものも和漢古書では多く目にします。本文を囲む枠の上にあるもの・本文の枠の上にもう一段枠を設けてそこに注を施したもの・本文とあわせて枠の中にあるもの・枠自体ないものなど何種類かあり、違うタームで呼び分けるひともいますが、一律に「頭注あり」としてよいだろうと思います。書名で「冠注」「標注」「標記」などとあるものも同様のものです。なお、後日ふれる仏教書では「科註」という特殊な注釈が刻されていることもよくあります。
「割注」は和漢古書では一般的なもので、版式のところで「○行○字注文双行」と書くやり方もありますが、基本的に「割注あり」などとわざわざ記録する必要は無いと思います。「脚注」は和漢古書ではかなりレアですが、まったく無いわけではありません。

注(註)は基本的に作者より後のひとによる二次的な関与ですが、同様に後人の二次的な関与として訓点、すなわち送り仮名・返り点の類が施されている場合もあります。訓点の有無や種類が重要なのは、長澤規矩也氏が『和刻本漢籍分類目録』の凡例の冒頭で「和刻本漢籍の主要な價値は、訓點が加へられたところにある」と喝破されているとおり、和刻本漢籍の場合ですが、日本で書かれた漢文の著作でも同様に注記したほうがよいだろうと思います。ちなみに、訓点が施されていないものを「白文(はくぶん)」と言います。
記録のしかたとしては、漢文に送り仮名・返り点・句読点とも付されているものを「訓点付」、返り点と句読点だけが付されているものは「返点句点付」、句読点(現代のような句点と読点の区別はありません)のみが付されているものは「句点付」などと注記します。訓点に加え、振り仮名もあるものは「訓点傍訓付」などとします。なお、「訓点」と言うとほんらいそれ自体として「送り仮名」をも含みますので、「訓点送り仮名」という表現はあまりよろしくありません。
中国で刊行されたものについては、句点や圏点(強調を示す傍点)が付されたものもありますが、基本的に記録する必要はありません。また、かな交じり文の和書の振り仮名などにいてどこまで詳しく記録するか、江戸初期以前のものはともかく、一般的にはとくに不要ではないかと思います。

NCR87R3では、注や訓点のことは2.7.4.7(古)に識語や書き入れと一緒に記されていますが、それら識語や書き入れはアイテムレベルの注記になりますので、体現形レベルのこれらの事項は、やはりそれらとははっきり区別して、2.7.4.5(古)のク)の後に記録するのが適切でしょう。もちろん、所蔵者が書き入れたものであれば、それはアイテムレベルの注記ということにはなりますが、意味合いが全然ちがってくることは言うまでもありません。アイテムレベルの注記については、後日改めて見ることとしたいと思います。

2018年3月22日

春の東京名所~「水路、橋」をめぐりたい!

こんにちは、典拠の木内です。

今月木曜のテーマは「春の東京名所」。
六義園、昭和記念公園、田端台公園と続きまして、今回おすすめしたいのは東京の水路、橋。


現在わたしは東京東部に住んでいます。近くには南北に隅田川、横十間川、荒川、東西に小名木川、仙台堀川など多くの水路が巡り、それに比例してたくさんの橋がかけられています。


大きいものだと隅田川を渡る清洲橋
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小名木川にかかる萬年橋
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仙台堀川公園内には吊り橋風のかわいらしい橋がありました
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小名木川と横十間川の合流点では小名木川クローバー橋(歩行者自転車専用橋)がX字型にクロスしてかかり、ちょうど通りがかったカヌー遊びの人たちがとても気持ちよさそうでした。

散策の途中には親水公園、釣り堀、和船体験、青々とした緑や花。普段の通勤生活では感じられない風や水音、さまざまな水鳥たちに巡り合えます。1時間も歩けばからだはホカホカ、ウキウキした気分になりますよ。

大江戸八百八町、大阪八百八橋といいますが、東京の橋はいったいいくつあるのでしょう? 調べてみたくなりました。

2018年3月20日

気になる顔


本日は「週刊新刊全点案内」2054号の発行日です。
掲載件数は1422件でした。

~こんな本がありました~


百貨店の展覧会 昭和のみせもの1945-1988

志賀健二郎(著)
筑摩書房
(2018.3)


かつては美術館を併設していたり、
ギャラリーをもっていたりした百貨店も多かったですね。

閉館してしまったところも少なくないですが
美術館がなくても
催事場などを会場として
各種展覧会が開催されているのをみかけます。


でも
言われてみれば
どうして百貨店で展覧会?


本書からは
百貨店がモノを売る役割を担うものだけなのではなく
文化・芸術・娯楽などの提供するものであったことが
感じられます。


そしてもうひとつ
この本で気になるのは
表紙などにデザインされた各百貨店のロゴマーク。
そのうちの一つが どうしても顔っぽく見えてしまい...。


ということで「顔」つながりで 今号からもう一冊。


ヴァージニア・リー・バートンの世界 『ちいさいおうち』『せいめいのれきし』の作者

ギャラリーエークワッド(編)
小学館(2018.3)


ヴァージニア・リー・バートン、
今年は没後50年にあたります。


テキスタイルデザインなども手掛けていたそうですが
私にとって
ヴァージニア・リー・バートン作品といえば
絵本「ちいさいおうち」。


おうちの絵が人の顔っぽく見えることもあって
子どもの頃の私は強く感情移入。
途中からおうちがかわいそうで...。
ハッピーエンドにほっとしたものです。


このお話の印象が強烈なあまり
今でも顔っぽい家(意味が伝わるでしょうか)に
どうしても目がすいよせられてしまいます。

2018年3月19日

版式の記録(和漢古書の形態注記(2))

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回触れなかったNCRの「形態に関する注記」の「キ)版式,版面」には「匡廓,界線,行数,字数,版心について,説明する必要があるときは注記する。」とあります。あまり見慣れない用語が並んでいますが、順番に見ていきましょう。
まずおさえておきたいのは「版面」という文字のとおり、これらは基本的に、写本ではなく、刊本(版本)においてのみ使われる用語だということです。このタームは現代のDTPの世界では「はんづら」とも読むようですが、和漢古書の世界ではふつう「はんめん」と称します。もともとは「版木の表面」のことなのでしょうが、一般には印刷された紙の印刷エリアのことを指し、その様式・形式のことを「版式(はんしき)」と言います。
「匡廓(きょうかく)」は本文を取り囲む四周の枠のことを言い、現代書ではそうした枠はないのがふつうですが、和漢古書の刊本ではむしろ無枠のもののほうが少数派です。この枠は二重線である場合と一本線である場合とがあり、前者を「双辺」、後者を「単辺」と称します。基本的に、すべて双辺あるいは単辺である場合と、上下が単辺で左右が双辺である場合との計3つのパターンがあり、それぞれ「四周双辺」「四周単辺」「左右双辺」と称します。上下が二重で左右が一重というのは非常に稀にしかありませんが、「上下双辺」とか「天地双辺」とか呼びます。
「界線(かいせん)」は行と行との間の罫線のことを指す用語で、罫線が印刷されているものを「有界」、印刷されていないものを「無界」と言います。
「行数」は1ページ(すなわち半丁)あたりの行数のことで、「字数」は1行あたりの字数のことを指します。ですので正式には「毎半葉12行毎行20字」のように書きますが、ふつうは匡廓・界線につづけて簡潔に「左右双辺有界12行20字」のように本文の版式を記録します。なお行数・字数はふつう一定ですが、多少増減がある場合は「19-21字」とか「不定字」とかいう具合に書きます。
「版心」は以前説明したとおり、もとの紙の中央に位置する「柱」のことですが、ここの印刷面も和漢古書独自の様式があります。まず最も特徴的なものとして、現代の原稿用紙にも残っていますが、中央部に一つもしくは二つ、「【」のようなデザインというか模様が入っていることがよくあります。これを形状が魚の尾びれに似ているということで「魚尾(ぎょび)」と呼び、二つある場合を「双魚尾」、一つの場合を「単魚尾」、魚尾が無い場合を「無魚尾」として記録します。
魚尾はたいてい黒塗りに刷られていますが、白抜きになっている「白魚尾」や、黒塗りの中にいくつか花びらのような白抜きが施されている「花口魚尾(かこうぎょび)」といったものもあります。また、双魚尾はたいていは向かい合わせに彫られていますが、上下とも下を向いているような場合もたまにあります。
版心において、ほかにバラエティがあるポイントとして、版心上部が白く刷られているか黒く刷られているか、ということがあります。白いのを「白口(はっこう)」、黒いのを「黒口(こっこう)」と言い、後者はさらに全部が黒い「大黒口」、黒い部分が半分以下の幅の「小黒口」、線状の「線黒口」に分けられます(もっとも、基準は多少あいまいです)。
版心については、基本的には魚尾の数(「双魚尾」「単魚尾」「無魚尾」)を書けばよいですが、もちろんさらに詳細に上記のようなことを記録することもできます。

NCRには書かれていませんが、版面の記述でもう一つ、「内匡廓の大きさ」という事項があります。これは「匡廓の内がわ」のタテヨコを計測した大きさのことで、前々回見たように図書の外形の大きさが和漢古書の場合厳密なものではないのに対し、同じ版木から刷った場合は、基本的に同じ大きさになりますので、こちらはミリ単位まで計測する意味があると言えます。ふつうは、本文巻頭の半丁(オモテ面)の匡廓の内がわ(左は版心まで)を測り、「内匡廓:16.6×12.2cm」のように記録します。
「内匡廓の大きさ」は、刷りが重ねられるにつれ広がっていくものだと言いますので、詳細に記録しておくことが重要だと、専門書にはよく書かれています。もっとも、大沼晴暉氏によれば、「版木は(略)冬場と夏場とで伸縮率も異り、まして墨をつけたり乾かしたり、また洗ったりするので初印と後印とで常に一定の大きさである訳ではない。また用紙自体も湿度により伸び縮みし(略)、紙を漉いた日の天候によっても左右される(略)。こうした個々の条件から同版本でも数ミリの違いは生れてくるのである」(『図書大概』2012刊p174)ということであり、これだけを刷次や覆刻の決定的な証拠とするのは慎重であったほうがよいだろうと思いますし、結局は現物あるいは画像どうしを見比べて、トータルから判断を下すしかないのだろうと思います。

版式の記録はもともと漢籍のほうでの習慣であり、和書のお堅い本でも記録するとしても、かな交じりのものは、活字本以外の場合は「字数」は省いてよいと思います。また和書では無辺無界・無魚尾というものも多く―漢籍でもむろんありはしますが―、そういうのを一々そのように記録するのもあまり意味がありません(なお、こうしたものの場合、「内匡廓の大きさ」の代わりに「字高」を記録している目録もあります)。
また、写本の場合は原則として記録されないわけですが、枠が印刷された罫紙や無罫紙を使用している場合、その版式を記録しておくこともあってもよいかとは思います。もっともこの場合、重要なのはむしろ(あった場合ですが)柱に印字されている文字のほうであり、「柱に「○○堂」とある藍罫紙を使用」などと記録しておいたほうがよいでしょう。

版式の記録は、いかにも専門的なタームが並んでいますので一見むつかしそうに見えますが、基本的にパターン化されますので、覚えてしまえば初心者でもあまり考えずに入力できます。逆に言えば、版式の記述が詳細な、いかにも立派な書誌のように見えても、責任表示や出版事項がいいかげんな内容のものも、残念ながら結構目にしますので、注意したいところです。いずれにしろ、版面・版式については、文字で詳細に至るまで記述することにエネルギーを費やすよりも、画像をつけるほうがはるかに効果的でしょう(もちろん、画像があった上で正確な版式の記述があれば言うことなしですが)。

2018年3月16日

どんな色?どんな模様?(和漢古書の形態注記(1))

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前々回前回、形態事項について見てきましたが、今回から注記事項を見ていこうと思います。
和漢古書の注記事項はNCR87R3では、現代書とは別立てでまとめられています。もちろん、これはこれで見やすいのですが、であるならばなぜ、書名から形態にいたるまでの事項でもそのようにしなかったのか、ちょっと不思議です。洋書のAACRでは、初期刊本についてそのように全体を別立てにしていたのに、現状のNCRのように混在しているのは、やはりどうしたって見やすくはないでしょう。
また、この2.7.4(古)の注記事項自体で見ると、FRBRで言うところの「アイテム」レベルに対応する注記と「体現形」レベルに対応する注記とが混在している、ということが言えます。和漢古書は基本的にアイテムレベルで書誌を作成するのだから、ということかもしれませんが、洋古書についての『稀覯書の書誌記述』(一橋大学社会科学古典資料センター1986)に書かれているように、「記述対象のコピーの重要であると考えられる特異性,もしくは不完全さ」についての注記は、「ある版のうちのすべてのコピーについて当てはまる情報を記録した別の注記とを注意深く区別する」必要があるということは、和古書・漢籍でも、当然同じはずだったろうと思います。
また、和漢古書の整理にあたっては、もともと、現物の状況を専用のデータシートに頭から記録していく方法が広く使われているのですが、そのデータシートでの記載方法が部分的に反映されている結果、NCRの規定全体とやや整合性がとれていない部分があるように思いますし、ほかにもいくつか疑問な点はあります。すくなくとも、現行のNCRの注記の順番は、後述のように、必ずしも適切とは言えないように思います。

タイトル・責任表示・書誌的来歴・出版事項にかんする注記については、それぞれの事項について見てきた際に触れていますので、ここではくりかえしません。2.7.4.5(古)の形態に関する注記のア)からオ)についても、現代書と変わりません。ただ、イ)について、カラーかどうかの情報はできるだけ入れておきたいところです。
木版本の場合、中の図版が多色刷りであればそれは重要な特徴ですので、かならず「多色刷り」と注記したほうがよいでしょう。ただ、表紙や見返しのみがカラーのものについては基本的に注記不要でしょう。黒のほか一色しか使われていなければ「二色刷り」となります。薄墨の場合は色刷りとは言いにくいように思いますが、見解はわかれるかもしれません。
きちんと見分けなければならないのは、判別がむつかしいこともあるのですが、色刷りではなく筆による彩色でないかどうかです。後者の場合や、写本で着彩がある場合には、「筆彩あり」とか「彩色図版」とか注記することになります。
なお、漢籍では多色刷りの本のことを「套印本(とういんぼん)」と言い、図版だけに限らず、後人の注釈が別々の色で印字されているようなものもあります。こういったものも「○色套印本」などと称し、清朝後期の広東省の刊本(粤刊本(えつかんほん))にその例が多く見られます。なお、すべて黒以外で印字されている朱印本・藍印本といったものもあります。
また、書道手本などで白黒(陰陽)が反転しているもの、すなわち版木の文字のまわりを彫るのではなく、文字のほうを彫り込んだものがよくありますが、これについては「陰刻本(いんこくぼん)」という呼称があります。見た目は同じようですが、石碑等を摺りとった「拓本」とは別ものですので、注意が必要です。
こういったことについては、NCRでは言及されていませんが、「出版・頒布等に関する注記」のコ)「製作,印刷等について」の位置で記録すべきかと思います。

形態注記のカ)の装丁については、以前説明した「袋綴じ以外のもの」について記録します。袋綴じ(線装)は和漢古書では一般的ですので、基本的に注記する必要はありません。「袋綴じの様式」も、いろいろありはするのですが、通常のレベルの目録記述においては、一般的に「特に説明する必要がある」ことでもないような気がします。
容器についても、これも以前書いたように、「帙入」と記録する・しないは、それぞれの館やコレクションによるかと思いますが、帙以外のものについては注記しておいたほうがよいでしょう。なお、オリジナルの「袋」は、現在において保存容器として使われつづけていることはまずなく、見返しなどに折りたたまれて挟んであったりするのがふつうです。

キ)は次回に見るとして、ク)の「料紙,表紙」についてですが、研究者が編んだ目録等では、楮紙・斐紙などと材料による紙の種類を記録しているものもあります。しかし通常のレベルの目録記述では、そのあたりまでがんばって記録することはありません。なお、NCRの例であげられている「色変り料紙」などというのは嵯峨本(さがぼん)などといった貴重資料でお目にかかるようなかなりレアなケースだと思いますし、3.7.3.5キ)の「料紙は継紙」というものも、これは巻子本など特殊な形態の資料の注記ですね。
表紙についても、詳細な記述をしている冊子目録等では、「雷文地鳳凰文空押濃紺表紙」「縹色布目型押牡丹唐草艶出表紙」などといった具合に書いていたりしますが、これでどういう表紙かピンとくるのは、かなり経験・修練を積んだかたでしょう。いずれにしろ、どの名前がどのような色を示すのか、また模様についても用語や書き順がどこまで統一されているか、といった問題はあり、もちろん色見本や参考書はありはするのですが、一般には、カラーのデジタル画像を1枚つけたほうが、文言で表現するより、はるかに情報として伝わりやすいだろうと思います。
なお、2.7.4.1(古)「タイトルに関する注記」のエ)に「題簽・外題について必要があるときは転記し,その位置や様式等についても記録する。」とありますが、「位置や様式等」までタイトルに関する注記として記録するのは、やはりすこし無理があるように思います。「題簽左肩双辺黄紙」といった表紙上の位置や様式等を記録するのであれば、意味合いからすれば、このあたりの位置で記録するのがほんらい適当ではないでしょうか。

2018年3月14日

きょうのデータ部☆(3/14)

気温が上がり、先週とうってかわって春らしいあたたかさです。
今日はホワイトデー、
そして初めて知ったのですが円周率の日でもあるのですね。

ただいま絶賛繁忙期のデータ部。
たくさんの本の中から円周率に関連して?
NDC(日本十進分類法)4類の本を集めてみました。

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2018年3月15日

春の東京名所~「田端台公園」へ行きたい!

3月の雑記テーマ「春の東京名所」の3回目です。
今回は、六義園、昭和記念公園ほど全国的に有名とかではないけれど、きっと気に入ってる人は多いと思う「田端台公園」+その周辺です。


子どもが小さい頃、よく山手線田端駅の駅ビルのレストランにお昼ご飯を食べに行きました。電車で一駅の近さが保育園児にはちょうど良く、手軽におでかけ気分になれるし(お昼ご飯は作らなくていいし)、なによりそこからは線路がよく見えるのです! 
山手線、京浜東北線の線路が見下ろせて、近い距離に新幹線の高架があり、車両がたくさん止まっている電車の休憩所?も見えます。機関車トーマスが大好きだった子どもたちは大喜び。電車がすれ違ったり、トンネルに出入りする様子は見ていて飽きず、時折レアな新幹線が来ると大興奮でした。

おなかはいっぱい、お財布はさびしいので、帰りは歩いて。
田端から西日暮里まで線路沿いの道は徒歩20分位だったような。保育園のお散歩距離と比べても、子どももきっと歩ける。そう思って初めて歩いた日が、多分今頃の季節。なぜ覚えているかというと、その道がずっと桜並木だったからです。しばらくずっと崖のようになっていて脇の線路とは大分高低差があり、さっきレストランで見た新幹線の高架とも並んでいるので、桜越しに走るMaxやはやぶさを見ることができます。

先を歩いていた子どもたちが道をそれ、ついて行くと、そこには大きな公園がありました。機関車を模した遊具、小さい子でも安心な上から乗せるブランコ、何組も追いかけっこができそうな広さがあり、そして園内にも桜。観光地でもなんでもない普通の公園なので、ただただゆったりとのどかな感じでした。...すてき! 


それ以来、少し春めいて暖かくなると行きたくなるのは、同じルートの散歩&公園。調べてみると名前は田端台公園といって、鉄道ファンの間ではそれなりに知られているようです。
もう少しして、桜が咲いたら、今年もまた行ってみよう。

2018年3月13日

興味は山々

本日は「週刊新刊全点案内」2053号の発行日です。
掲載件数は1325件でした。

*こんな本がありました*

日本の山と海岸 成り立ちから楽しむ自然景観

島津光夫(著)
築地書館(2018.3)

岩石や地質などの地学を中心に山と海岸の自然景観を解説しています。
山の本は数多ありますが、登山ガイド本や紀行文が多く、意外なことに地学の視点で1冊の本になっているものは少ないようです。
景勝地を訪れたり山登りをする際に、その地形のなりたちを知っているとより深い楽しみ方ができそうですね。

さてこちらの本の目次を見て、「東北地方の山、フォッサマグナ地域の山、中部地方の山、新潟県の山、北海道の山、西日本の山...」あれ関東地方がない...そうか関東平野か...と思っていたところ、同じ2053号にこんな本が。


東京まちなか超低山 50メートル以下、都会の名山100を登る

中村みつを(絵と文)
ぺりかん社(2018.3)

これまた珍しい切り口の山の本です。
超低山とはなんぞや?
「標高は100メートル以下、比高(山頂と登山口との標高差)でいえば50メートルに満たないものとした」「平均高低差は10メートルぐらい。登山に要する平均時間は2、3分ほど。短いものだと30秒」とのこと。
もはや山というより坂では、と思ったりもしましたが、前述の「日本の山と海岸」でも山とは「まわりの土地より高い部分」とのことですので、"超"低山といえども山で問題なし。
愛宕山、飛鳥山、待乳山などの"天然の山"だけでなく、築山や富士塚なども含めて紹介しています。
TRC本社のある東京都文京区の最高峰は築山・藤代峠だそう。なんと、先日春の名所としてとりあげた六義園内でした。
「下町アルプス」「代官山トレイル」などの見立てもなにやら面白そうです。

あたたかい日も増えてきましたし、色々な切り口の本で知識を得て山に出かけるのもよさそうです。ただ個人的にはスギ花粉の飛散がおさまってからにしようかと...。

2018年3月12日

大半中小-和漢古書の大きさ

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回は丁数について書きましたが、今回は対照事項(形態事項)のもう一方、「大きさ」について書きたいと思います。
大きさの記録については、基本的に現代書と変わらず、基本的にタテの外形の大きさを記録します。ただ、タテヨコの長さが同じもの(枡形本)や、ヨコの長さがタテよりも長いもの(横長本)は、タテ×ヨコを記録します。タテの長さがヨコの長さの2倍より長いもの(縦長本)も、NCRではそのように記録することになっています。
もちろん、和漢古書はそれ自体貴重本ではありますので、形態にかかわらず、タテ×ヨコを「センチメートルの単位で,小数点以下1桁まで端数を切り上げて記録する」(NCR2.5.3.2任意規定(古))としてもよいかとは思います。
ただ、大きさについて長澤規矩也氏は、「現行目録法では、図書の高さをセンチで記載することになっているが、古書は、改装すればもちろん高さが違うが、同時に装訂されたものでも、機械を使ったものではないから、高さは必ずしも同一ではない。これをいちいちものさしで計るなどということもむだである。古来の俗称をそのまま使えばよい」(『新編和漢古書目録法』)と、これまた断じておられます。
実際、江戸時代以前の本の場合、まったくこの通りの情況ですし、紙自体きれいに真四角に裁断されているともかぎらず、多少ゆがんでいる場合も多いです。ということで、ミリメートルまで記録するのは、後日触れる内匡郭についてであればともかく、外形については、正直あまり細かくこだわっても、実のところあまり意味はないのではないかと思います。

さて、その「古来の俗称」ですが、江戸時代の紙というのは、現代のA判・B判のように厳密なものではありませんが、大きさに何通りか判型がありました。基本的に美濃判と半紙というふたつの規格(紙型)があり、美濃判を二つ折りしたもの(タテ27cm前後)を使った本を大本(おおほん)、半紙を二つ折りしたもの(タテ23cm前後)を使った本をを半紙本と言い、大本の半分のサイズのものを中本(ちゅうぼん)、半紙本の半分のサイズのものを小本(こほん)と言います。以前書きましたが、大きさ・紙型を見れば、どのようなジャンルの本か、ある程度見当をつけることができるようになってきます。基本的に大本は学術書や古典であることが多く、謡曲本や読本は半紙本が、人情本や滑稽本、草双紙類は中本であることが主流でした。
横長本も基本的には、大本あるいは半紙本を二つ切・三つ切・四つ切に裁断した紙を使っています。この場合、「大本二つ切」は中本を、「半紙本二つ切」は小本を横向きにしたサイズと同じということになります。

こうした大本・半紙本・中本・小本の書物のサイズのことを「書型(しょけい)」と言い、NCRでは、別法(2.5.3.2別法(古))としてセンチメートルの代わりに「半」などと「書型に対応させた用語等」で記録することを、また任意規定(2.5.3.2C任意規定(古))としてセンチメートルでの記録の後に括弧に入れて付記することを認めています。
ただ、中国の紙のサイズは日本とは違い、日本の場合よりも長辺が短辺に対してより長く裁断されていることが多いですので、和本の「書型」をそのまま適用することはかならずしも適切ではありません。わたしが学生時代にかかわったある漢籍の冊子目録では、大きさについてはセンチメートルを記録せず、「和本」「唐本」「洋本」それぞれについて、大中小の大きさの区分を設定し、「和大」「唐中」「洋小」などとのみ記録するようにしていましたが、これはこれで一見識かと思います。

タテが大本より長いものは特大本と称されます。そんなに目にすることはないと思いますが、図録などの本では時々お目にかかります。ちなみに、後日とりあげる朝鮮本はふつうの図書でも比較的大型のものが多いです。
(横長本でない)タテが10cm以下の特小本については、「巾箱本(きんそうぼん)」「袖珍本(しゅうちんぼん)」といった呼び方もあります。センチメートルで記録する場合、これは小数点以下1桁まで記録する仕様になるでしょう。日本では時々趣味的な「豆本」として製作されたものを目にします。中国では科挙の際のカンニング用に作られたものがあるそうですが、わたしはまだ実際に触れたことはありません。

なお、折本などはふつうの冊子と同様に記録すればよいですが、巻物(巻子本)の場合はまた別になります。ふつうは、中心の軸のタテを測った「軸高」ではなく、本紙のタテのみを記録しますが、巻かれた紙を全部広げた状態でヨコの長さも計測するべし、という意見もあります。何メートル何十メートルにもおよぶ巻物の場合、そうしなければならないかと思うと、あまり想像したくないような・・・。

2018年3月 9日

インチキ発見!-和漢古書の丁数

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。
ここ数年間、和漢古書についていろいろ書いてきましたが、主だった事項についてはあらかた触れてきたかと思います。しかしまだほかにも、いろいろ注意しなければならないことがありますので、今年は残っているそれらについて見ていこうと思います。

現代書ではページ数を数えるのに、多くの場合「p」(片面印刷では「枚」)で数えますが、和漢古書の場合は「頁」で数えるのはごく少数派で、たいていは「丁」で数えることになります。「丁」は基本的に、袋綴じにした紙1枚について数える単位で、和装本ではたいてい版心(柱)もしくは「のど」に記載されています。もっとも、明治期のものには袋綴じの表・裏にそれぞれ番号が振られている、すなわち丁付けでなくページ付けがされているものもそれなりの割合で出てきます。それらはもちろん、「p(頁)」で数えることになります。
仮綴じ粘葉装の場合も、紙1枚を折って用いているという点では袋綴じと変わりませんので、やはり丁付けがされていることが多いです。ただ、列帖装の本は、ほかの綴じのように折った紙を順番に重ねていくのではなく、何枚重ねで一くくりとして綴じるかで丁合が変わってくるという装丁ですので、後から書き入れたりしたのでないかぎり丁付けはされていないのがふつうです。

丁付けがされていない単冊のものは、「1冊」とのみ記録するか、丁数を数えて補記することになります。なお、数える場合、写本では文字の書かれている部分を「墨付○丁」と記録する慣習がありますが、NCRにはとくにこのあたりの規定はないようです。
以前書いたように、折本は「1帖」、巻子本は「1軸」と記録します。ただし折本では、折り目ごとに丁付けが入っている場合もありますので、その場合は丁数を記録するか、「1帖(○丁)」という具合に記録することになるかと思います。
1冊もので丁付けがある場合は、「ページ数」の項目に丁数を入れるのがやはりふつうでしょうし、複数冊のものでも各冊の丁付けを注記しておく、という仕様で目録作成することもあるかもしれません。ただ、長澤規矩也氏は「一册本のページを記入することも、明治時代出版の新書のように各序、各跋、目録、中には中の篇が改まるたびごとに別丁になつていると、手間ばかりかかる。誤りも出る。つまらぬことである」(「現代図書館に関する諸問題」『著作集』第4巻所収)と一刀両断されており、同様の状況の和漢古書の丁付けを細かく記録することが、通常の目録作成において、労力に比してどれだけ意味があるか、という問題はあります。
もちろん、専門的な研究の場合は対象資料について詳細に記録されますし、整理対象がごく少量しかない場合は細かく注記してもよいでしょうが、ある程度以上の量がある場合は、どこまで労力・経費をかけるかの判断、ということになるでしょう。もともと和漢古書は、物理的に1タイトル複数冊のものが多いということもありますので、1冊ものも含めて、丁付けの有無にかかかわらず、冊数のみを記録する、というやり方もじゅうぶんありうるかと思います。
ただ、最近では画像撮影ということもあり、コマ数=表紙・裏表紙を含めた丁数を事前に把握しておくことは意味があるかもしれません(もっとも付箋等があった場合、そのままの状態とめくった状態と2枚撮影するといったこともあるでしょうから、厳密な数字は事前には出しにくいだろうと思いますが)。いずれにしろ、その場合でも必要なのは丁数であって、丁付けの細かいありようまで記録しなければならないということには直結しません。

実際問題として、和漢古書の場合、この「丁付けのありよう」というのは、現代書に比べて複雑であることがままあり、丁が抜けている落丁や、順番がおかしくなっている乱丁はもとより、後印や改版の際に、追加をしたり一部削除したり並べ替えをしたりといったことがしばしば行われます。
とくに、現代書ではあまりお目にかからず和漢古書に特徴的なものとして、「又丁(ゆうちょう)」「飛び丁(とびちょう)」というものがあります。前者は「一丁、二丁、又二丁、三丁...」のようになっているもので、丁付けを間違えたのでとりあえず間に合わせで処理したか、あるいは後から追加の丁を挿入したので、その後の丁付けを動かす手間を省いたといったことだろうと思われます。似たようなケースで「一丁、二丁上、二丁下、三丁...」といったような具合にしたものもあります。なお、まったく同じ内容の丁がダブっているケースも時々ありますが、これは「重丁」と呼び、要は綴じ間違いですので、「又丁」とはあくまで別ものです。

「又丁」のほうでは、実際の丁数は丁付けの数字より多くなるわけですか、「飛び丁」はその逆です。こちらは「一丁、二丁、三丁、四之十丁、十一丁、十二丁」のようになっているもので(「之」の用法については前述)、この例では、12丁かと思いきや実際は6丁になるように、実際の丁数は丁付けの数字より少なくなります。
この「飛び丁」は落丁とは区別しなければなりませんが、なぜこんなことをしているか、もちろん後印・改版の際の帳尻あわせということも多いですが、ページ数の多い大部の書物と見せかけるために最初からそのようにしていることが結構あります。辞書類や『節用集』といったジャンルの本に多いですし、元禄頃に京都の八文字屋という書肆から刊行された浮世草子の類(井原西鶴のものが代表的ですね)では、お約束のように「十之廿」と飛んでいたりします。
丁数は工賃や販価、あるいは貸本の際の見料(けんりょう)の計算根拠にもなっていた場合もあるようで、だからこそこうした水増し行為が見られるのだと想像できます。ですので、以前ちょっと書きましたが、「のど」の丁付けは作業上の必要から附しているものですので、版心の丁付けと比べ、こうしたインチキはほとんど見られません。
いずれにしろ、こうした複雑な情況をどう表現するか、通常のレベルの書誌記述としては、正直あまり手を取られずに、「又丁あり」とか「飛び丁あり」とか注記するにとどめるのでよいように思います。

2018年3月 8日

春の東京名所~「昭和記念公園」へ行きたい!

今月のテーマは「春の東京名所」です。


 先週の人が書いてくれた「六義園」の「しだれ桜」は
本当に素晴らしい桜ですよね。
今年も眺めに行きたいものです。


 さて、前回は区内からだったので、今日のご紹介は、
多摩から選んでみました。

昭和記念公園の園内にはいろんな桜がありますが、
一番目立つのは、やはりソメイヨシノが沢山も植わっている
「桜の園」のあたりでしょうか。

人が多いのは「六義園」と同じですが、本数があり、
他にもいろんな桜があるので人が分散されること、
原っぱの縁では、桜の下でお花見(お弁当とか)が
できるのが嬉しいところ。

「桜の園」のとなりの「みんなの原っぱ」の一部には、
この時期よく菜の花も植えられているので、桜のピンクと
菜の花の黄色が美しく、いかにも春たけなわという感じ
になります。


  p20180308-4.jpg


 桜は例年3月下旬から4月の上旬くらい。
それと前後して、園内の渓流広場では、水辺に色とりどりの
チューリップの花が...。

  p20180308-2.jpg


 これ以外も、いろんな花や新緑がきれいで、
 1日、見て、歩いて、遊んで、食べて、飽きないところです。
一度行かれてみてはいかがですか。

2018年3月 7日

きょうのデータ部☆(3/7)


昨日は啓蟄でしたが、今日は冬に戻ったような寒さです。
暖かい日が続いていたので風のつめたさが一層身にしみます...
会社近くの公園に行って桜をみてみると、まだまだつぼみ。

満開になるころが待ち遠しいです。


公園.jpg

2018年3月 5日

ただいま検討中~新設件名のお知らせ2017年2月分~

明日発行の『週刊新刊全点案内』は、巻頭に「新設件名標目のお知らせ」を掲載しています。新設件名は、TRC MARCで件名標目を新たに採用したものという意味で用いていますので、NDLSHから採用したものも含まれています。

2月は「面会交流」「特例子会社」という2件の件名を新設しました。
「面会交流」は、離婚などによって離れて暮らす親子が面会・交流することで、平成23年の民法改正で明文化されたことから関連書が増えています。
「特例子会社」は、民間企業や地方自治体が障害者の雇用を目的として設立する子会社のことで、会社設立の仕方や特例子会社で障害者雇用をする際の配慮ポイントなどを解説した本が出ています。

どちらも大切な制度ですが、ちょっとお固め...なので話題を広げるのは難しいですね...。
そこで少々イレギュラーですが、今回は「いままさに新設するかどうか検討中の件名」の話題をお伝えしたいと思います。

今年1月、分類件名チームは「とうとう来たか...」と1冊の本をのぞきこみました。

スマートスピーカーのすべてがわかる
(学研ムック)

学研プラス(2018.1)

そう、いま巷で話題のスマートスピーカー。
その後も続々...というほどでもありませんが(意外と)、ちらほらと製品比較やスマートスピーカー用のアプリ開発の本が刊行されています。
従来の「スピーカー」とは明らかに別物なので、新規の件名とするか検討する対象です。しかし世間的には「スマートスピーカー」とも「AIスピーカー」とも呼ばれているので、件名標目としてはどの形で採用するべきか?おそらく今年の現代用語辞典に収録されるので、趨勢を見定めているところです。
ひとまず2018年3月5日現在は、「スピーカー」と「音声処理」という件名を掛け合わせて検索していただければ「スマートスピーカー(AIスピーカー)」に関する本を探すことができます。そのうちに「新設件名標目のお知らせ」に載ったらば、ああ遂に...と思っていただければ。

こんな本もありました。

Digi Fi No.29(2018February) 全ブランド聴き比べ!スマートスピーカーのすべて/ブルーノ・マーズ

ステレオサウンド(2018.2)

オーディオとしてのスマートスピーカー。なるほど、盲点でした。

2018年3月 2日

NDC10版の変更点とTRC MARCの適用 ふたたび

TRCでは2017年4月からNDC10版での分類提供をスタートさせました。
それに先立ち、データ部ログではNDC10版を適用することで変わる点を記事にして連載しました。
提供開始から約1年が経つのを機に、その時の記事を目次の形式で再度ご紹介します。
今後の10版採用などの際にお役立てください。


第1回 情報学および関連領域

第2回 0類(情報学関連以外)

第3回 1類

第4回 2類

第5回 3類

第6回 4類

第7回 5類(情報学関連以外)

第8回 6類

第9回 7類

第10回 8・9類


また、ブログ左サイドの「企画記事」-「NDC10版変更点」でもまとめてお読みいただくことが可能です。

2018年3月 1日

春の東京名所~「六義園」へ行きたい!

はや3月です。
春の嵐も吹き荒れました。
今月の木曜日は「春の東京名所」と題してお送りいたします。


TRCのある文京区内で、ずーっと気になっている、でもまだ行ったことのない名所があります。

「六義園」

会社からバスと徒歩で20分くらいでしょうか。
何度か近くに行って、「ここが六義園かー」と立派な塀を見たことがあるのですが、入園に至らず。

回遊式築山水の名園、特別名勝とのこと。
春先には、しだれ桜のライトアップが話題になります。
五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保の下屋敷で、吉保自身が設計・指揮して作り上げたお庭だそうです。

柳沢吉保と聞いて、なんとなく親しく感じるわたし。
実家の辺り(埼玉県南部)は、武蔵国川越城主・柳沢吉保の領地だったのです。
通っていた小学校は、吉保の指揮で開拓されたという、碁盤の目に整った畑の中にありました。
時代劇では将軍の寵臣として悪く描かれることもあるようですが、これを機会に事典類をひもといてみると、存外、誠実で、しっかりした殿様だったよう。

そんな殿様がつくったのは、どんなお庭なのでしょう。
HPを見ると、大泉水に、中之島、それを囲む樹木とダイナミック。
和歌に詠まれた名勝の景観をうつしているのだそうです。
はー、とため息がでそうな、明るく整ったお庭。

吉保の領地は武蔵野台地、海や大きな川のないどちらかといえば水不足の土地でした。
庭に大きな池をつくって、水辺の風景を模したのは、海なし県サイタマの民の憧れかなあ、などと想いを巡らせながら、この春こそ六義園の桜を見たいと思います。

六義園
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index031.html

2018年3月 6日

アメリカじゃんけん

本日は「週刊新刊全点案内」2052号の発行日です。
掲載件数は1453件でした。

今月の表紙はこちら。

p20180306.jpg

ひな祭りから、桃の花、貝合わせ、といった感じになりました。

サッと見たら、「桜」と思われるかもしれませんが
それでもいいかな?!と思います。

「春が来た!」という気持ちを掻き立てられる春の花!!!
(Juriさん)


*こんな本がありました*

くらべる世界

おかべ たかし(文),山出 高士(写真)
東京書籍(2018.2)

「アメリカじゃんけん」という、じゃんけんをご存知ですか?

私は知りませんでした。

保育園に通う息子が「アメリカじゃんけん、じゃんけんぽんっ」とやるので、説明させたところ、「アメリカじゃんけん」とは、じゃんけんの勝敗が逆になったものだそうです。つまりグーがパーに、パーがチョキに勝つわけ。

今回ご紹介する本の表紙もじゃんけんが使われていますが、手の形は4種類。

フランスのじゃんけんで「ピエール(石」「シゾー(ハサミ)」「フェイユ(木の葉)」「ピュイ(井戸)」だそうです。
井戸は何に勝って、何に負けるのか...?

は本文でご確認ください。

世界の国による違いを紹介するこちらの本。

じゃんけんの他にも、イギリスとアメリカのレジメンタルタイの縞の方向、アメリカと日本のショートケーキの違いなど、へぇー、と思わず声がでるような面白い差異がたくさん紹介されています。

さて、冒頭のアメリカじゃんけん、気になって本当の「アメリカのじゃんけん」を調べてみたところ、フランスと同じく手の形が増えたもので、最大で100以上の組み合わせがあるのだとか...。

息子の「アメリカじゃんけん」は、どうやら真実とは違うわけですが、

「他の国には他の国のルールがあるんだよね」

という意味では間違っていないので、訂正しないでおこうかな、と思っています。

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