一年ありがとうございました
今日は比較的暖かく過ごしやすい天気です。
地下の吹き抜けからあおって撮ってみました。
データ部ログの年内の更新は本日が最後となります。
次回の更新は年明けの1/6(月)です。
今年一年ありがとうございました。
来年もデータ部ログをよろしくお願いいたします。
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今日は比較的暖かく過ごしやすい天気です。
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今年一年ありがとうございました。
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今月の雑記テーマは「時計」です。
腕に何かないと落ち着かず、髪ゴムやアイロンビーズのブレスレットなどが好きなおしゃまな子どもでした。多くの大人が腕にそれぞれの好みの時計をつけていることに気が付いたときは、なんてかっこいいんだ...と稲妻が走ったことを覚えています。
ただ私は空間把握能力が低いようで、すぐそのへんに腕をぶつけてフェイスを傷つけてしまうため、学生時代は安価でどこでも手に入る腕時計をガシガシ使っていました。
その後TRCに就職が決まったとき、長く使える物を持ちなさいと祖母からお祝いとして少し良い腕時計を贈ってもらいました。二十歳そこそこの自分には過ぎた宝物のように思えて、けれどそれを身につけると背筋が伸びる気もして。
そんな大事な物を誤って洗濯機で洗ってしまったときは絶望しましたが...電池の交換時期の訪れが早くなってしまったものの、今も変わらず動き続け、そっとパワーを与えてくれる私の味方です。
前回、「注」「箋」について見ましたが、「易」のところで見たように、「翼」というのも「たすけ」ということで「注」と同じように使われます。『孝経翼』『宋史翼』『傷寒論翼』といった漢籍がありますが、とくに明の焦竑(しょう・こう)の『老荘翼』(老子翼6巻・荘子翼11巻)は、承應年間に訓点を付された和刻本も出版されており、しばしば目にします(明治から大正にかけて刊行された冨山房の『漢文大系』にも活字にしたものが収録されています)。
和古書で「翼」の字を書名に使ったもので有名なものとしては、これも『漢文大系』に収録されている太田全斎(おおた・ぜんさい)の『韓非子翼毳(かんぴしよくぜい)』という書物があります。これは、太田氏が赤貧洗うがごときなかで購入した木活字を使って、一家総動員で足りない字を補作し、数十年の辛苦の末ようやく20部を刊行したと跋に述べられているもので、前近代における「韓非子」の精密な注釈書として、日本のみならず中国でも高く評価されています。
ただ「翼毳」の「翼」については、自序には「翼トハ鳥ノ羽翼ノ如ク、左右其ノ義ヲ成スヲ言フ。」という意味だというふうに記している一方、『説文』に「獸細毛也」とある「毳」のほうは、序文によれば増やしても取り去っても飛ぶのには影響のない「鳥ノ腹毛」のことだということで、本筋には関係ない細かいところまでとにかく調べたということを言いたいようです。
注釈・注解ということでは、もちろん「釈」「解」の文字も使われます。どちらも「ときほぐす」といった意味を持つ字で、「注釈」「注解」というほかにも、「新釈」「集釈」「音釈」や「詳解」「集解」「字解」などといった書名のものがたくさんあります。
「釈(釋)」については「訳(譯)」と見間違えやすいので注意しましょう。また、役割表示になることもありますが、この字が名前の前にある場合は、以前見た通り、僧侶であることを示します。書名でも「釈氏~」「釈論~」などとあるものは仏教関係のものですが、『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』は「『日本書紀』を注釈した本」です。また「釈誨」「釈辞」「釈茶」といった「釈〇」というのは、論弁の文体の一つでもあります。
「解(觧)」については、一般には漢音で「かい」と読まれますが、仏教書や『令義解(りょうのぎげ)』『令集解(りょうのしゅうげ)』など一部の書では呉音で「げ」と読まれます。また、「諺解(げんかい)」というと漢籍にハングル(諺文)でつけた注解、「和解(わげ)」あるいは「国字解(こくじかい)」というと漢籍に日本語でつけた注解ということで、こうした場合にはもっぱら「解」の字が使われています。このほか、子供向きにわかりやすく解説したというものは「児解」「蒙解」といったタイトルをつけていたりします。
図書の内容・成立などにかんする説明・解説である「解題」は、「題目・主題を解説する」ということで、現代でも使われますが、仏書などでは「開題」という表記もされます。ただし、「開題」は「前書き(題言)」の意味で用いられていることもあります(『図書学辞典』p101)。
「解嘲(かいとう)」は、以前触れた揚雄の書いた文章を元祖とするもので、「あざけりをとく」ということで「非難に対する弁明」という意味ですが、ちゃかしたりけむにまいたり、という性格が強いものです。
また、「解頤(かいい)」というのは「おとがいをとく」と訓じ、「あごがはずれるほど笑う」ユーモラスな笑話集や咄本(はなしぼん)などのタイトルに使われます。もっとも、大典(だいてん)禅師の『唐詩解頤』などは、別に笑わせる要素はないので、これらの場合は、感心する・得心がいくといった意味なのかなと思います。
今日は「週刊新刊全点案内」2387号の発行日です。
掲載件数は1075件でした。
平安時代がとても新鮮で毎週楽しんでいた大河ドラマ「光る君へ」が最終回を迎え、来年は蔦屋重三郎が主役の「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」ですね。少し前のブログで2384号では関連本が7冊とありましたが、その後の2385~2387号までに更に13冊が新刊案内に掲載されました。
*こんな本がありました*
「 Art of蔦重 」
蔦屋重三郎は江戸時代の出版プロデューサーだそうです。その人生をたどりながら、アーティストたちをどのように見つけて世に送り出すのかがたくさん描かれるのかな、と想像しています。喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、山東京伝、恋川春町、曲亭馬琴...。歴史の勉強で覚えた名前の人たちの姿もきっと描かれていくのでしょう。戦や大きな事件のない(ゆえに受験期には覚え辛かった)江戸中期の風俗、文化、人々の暮らしが映像で見られるのが楽しみです。
この本では、蔦重がプロデュースした名作の数々をカラーで紹介しています。プロデューサーを通した横のつながりで作品を眺めると、新しい「好き」が見つかりそう!
ドラマの予習にもなりそうです。
今月の雑記テーマは「時計」です。
我が家の長女と長男は朝にめっぽう弱く、目覚まし時計に良い思い出がありません。
サンリオキャラクターがかわいく起こしてくれる目覚ましはまったく効き目がなく、何度も繰り返される呼びかけに起きて聞いている親の方がイライラ。
少し成長して携帯を持つようになってからは、好きな曲をアラーム音にセットするもののやはり起きず、好きだった曲も嫌いになりかける始末。
成人した長女は最近ようやく携帯のアラーム(ただし音量MAX、同室の妹のほうが先に目が覚める)で起きるようになりましたが、成長期真っ只中の長男には親の怒鳴り声が一番効くようです。
ほとほと疲れて姉に愚痴ったところ、帰ってきた言葉は「あんたと同じじゃん」。
そうでした。私も学生の頃は全く起きられず、翌朝起こして欲しい時刻を毎晩ホワイトボードに書き、親に起こしてもらっていたのでした。
起こしてと頼んだのに、起こされて「なんで?」と理不尽な返答をしたことも...。
(いや、「なんで起こした?」ではなく「なんでもう朝なの?」の「なんで?」だったのですが、親には呆れられました)
起きるべき時間の数分前から優しく声掛けを開始、少しずつ音量と声色に含まれる怒りの度合いが上がっていき、時間を過ぎてしまっても起きるまで怒鳴り続けるスヌーズ機能。
音だけで効果のない場合は、布団の振動や上体起こしなどあらゆる手段で目覚めをサポート。
時には放置し、遅刻というショック療法を提供することも。
「親」に勝る目覚まし時計はないかもしれません。
毎年恒例、12月の分類件名のおはなしは"今年新設した件名を振り返る"です。(件名は、TRC MARCで件名標目を新たに採用したものという意味で用いていますので、NDLSHから採用したものも含まれています。)
今年は法律名が多かったなと感じていたのですが、新設した47件のうち法律名が15件もありました。代表的なものはこちら。
こども基本法
スマート農業技術活用促進法
フリーランス・事業者間取引適正化等法
今年の大きな出来事として、元日に発生した大地震には心を痛めました。夏にはパリオリンピック・パラリンピックが開催されました。そしてChatGPTを代表とする生成AIが世の中にかなり浸透した年でもありました。
能登半島地震(2024)
ボッチャ
生成AI
最後に勘違いしやすい(?)動物名を。カラカラは頭に骨をかぶっているポケモンではなくハヤブサ目ハヤブサ科の鳥のことです。みずむしは病気の方ではなくカメムシ目ミズムシ科の水生昆虫です。とがりねずみはモグラ目トガリネズミ科の動物で、実はねずみよりもモグラに近い動物だそうです。
カラカラ
みずむし(昆虫)
とがりねずみ
来年はどんな件名に出会えるか楽しみです。
今日は「週刊新刊全点案内」2386号の発行日です。
掲載件数は1086件でした。
*こんな本がありました*
「昆虫展足の世界」
テンソクと聞いて思い浮かんだのは、足を大きくしない風習でしたが、もちろんその纏足とは全く関係ありませんでした。
展足とは、昆虫標本を作る際に無数の針を使いポージングをしていく技術のこと。(展脚とも言うそうです。)
なんでも「日本人の展足への拘り・技術は独特の文化をかたち作っており世界的に見ても異質なもの」(メディアパルHPより)だそう。
その芸術性と技法、処理前後の変化などが、美しい写真とともに紹介されています。
昆虫標本を作ったことがないため、この本で「展足」という言葉に出会うまで、標本作成時にここまで緻密な作業が必要だとは思っていませんでした。
確かに、極力見た目のいい個体を選んでいるとしてもあんなに美しい姿勢で息絶えている虫がいるわけないですよね...。
世の中には知らない世界たくさんがある!と思えるのも本を手にする醍醐味。この本を傍に置いて実際に私が展足の作業を行うことは、おそらくこれから先無いかなと思いますが、とても面白い世界を垣間見ることができました。
前回まで「経」と「伝」について見てきました。それら経伝本体に対して、後人が行った注釈が「注」になります。
「注」はもちろん「液体をそそぐ」というのが本義で、「注釈」の意味で用いるのは、いわゆる仮借(かしゃ)による用法ということになります。長澤規矩也著『図書学辞典』では「水をかけて、固い地面をやわらかにするように、難しい本文の意味を易しくすること。」(102p)と説明されています。
「註」の字を使っていることもありますが、これは言葉にかかわることだからということで後代になって用いられるようになった文字です。第二次大戦後の国語改革における「同音による文字の置き換え」のひとつとして、「註」はすべて「注」に置き換える、ということになったので、他の事例と混同して時々勘違いされることがありますが、「註」のほうが正しく「注」は当て字だ、といったことはまったくなく、「注」のほうがむしろ由緒正しいのです。
中国の伝統的な学問というのは、基本的にほとんどが古典に対する注釈ですので、「~注」「~附注」といった書物は、経書以外に対するものも含め、それこそ山のようにあります。「新注」「秘注」「詳注」などとアピールポイントとなる形容語句を冠しているものもありますし、いろいろなひとの注を集めたという場合は「集注」「会注」「纂注」といったぐあいになります。「音注」「訓注」など、何についての注をつけているのかを限定して示している場合もあります。
和漢古書において、基本的に注というのは割注の形式で入れられますが、頭注を附している場合もあり、そのことを強調する場合は、「頭注~」「冠注~」「標注~」といった書名をつけます。「標」は『説文解字』には「木杪末也」とあり、「こずえ」ということから「高くかかげた目じるし」ということで、「標識」「標目」などの語と同じくこの字が使われます。
なお仏教では、経や論の本文を解釈する際、わかりやすく文意をたどるために、各段や節を短い言葉にまとめてそれらを線でつないで示す「科文(かもん)」というやり方がありますが、これによる注釈を上層などにつけた「科註〇〇」といった仏教書もあります。
「注」と同様に使われるものとしては、「箋」という文字があります。ほんらいの意味としては、『説文解字』に「表識書也」とあり、書物のあいだに挟んだり付けたりする貼り札・付け札のことですが、『毛詩』に後漢の大学者・鄭玄(じょう・げん)がつけた注釈が「箋」の字を使っており、「注」と同じように扱われます。「〇〇箋」というほか、両者を重ねて「~箋注」といったり、「箋」を集めたという意味になる「~会箋」といったりするタイトルの書物があります。
なお、鄭氏は三礼(周礼・儀礼・礼記)にも注をつけていますが、こちらはみな「注」としており、詩経の注だけに「箋」を使っています。『十三経注疏』のセット全体でも「箋」を使っているのは、この「鄭箋(ていせん)」だけになります。
今月の雑記テーマは「時計」です。
子どもが小学校に入学して初めての懇談会で、先生からお願い(脅し?)がありました。「小学校のカリキュラムでは時計の読み方は2時間もやりません。学校だけでは足りません。今の時期からご家庭でのフォローをお願いしますね」
突然の話にうわーとなりました。数字の「6」が「30分」だなんて説明できる気がしません。間違いを指摘されると怒るタイプの子だったこともあり困ったことになったと思いました。...が、その後日常に紛れて忘れているうちにいつの間にか「〇時」「〇時半」が読めるようになり、「10分」や「50分」が分かるようになり、年を越すころには「7時43分」などもしっかり読めるようになりました。60進法でつまずかない子どもならではの柔軟な頭と、学校での日々の指導のおかげだと思います。教室の時計の周りにぐるっと時間を書いた飾りが付いていたので、それを指しながら時間を意識するようにしてくれたのだろうと想像します。日本の学校教育ありがたし!です。
今月の「きょうのデータ部☆」は、私にとってのデータ部必需品を紹介します。
2つ目はこちら!
万が一倒して見本の本を汚してはいけないので、
蓋つきの飲み物のみ机の上に置いてもOKです。
図書館みたいですね。
めっきり寒くなってきたので、温かいお茶が美味しいです。
今日は「週刊新刊全点案内」2385号の発行日です。
掲載件数は1044件でした。
*こんな本がありました*
「饒舌な動植物たち ヒトの聴覚を超えて交わされる、クジラの恋の歌、ミツバチのダンス、魚を誘うサンゴ」
犬は耳がよくて人間が聞き取れない音にも反応する、なんてことがよく言われますが、犬どころではなく、人間が感知できない音を聞き取ってコミュニケーションを取り合う生き物がこの地球上にはたくさんいるそうです。
超低周波音を発するのはゾウやクジラ。
そして、氷河や竜巻、火山といった地球そのもの。
逆に、高周波の超音波音を発するのは、コウモリ、ハツカネズミ、クワガタムシなど。
トウモロコシやサンゴなんかもこの超音波音を発しているといいます。
人間以外が発している、これまで知ることのできなかった音の世界を紹介するのがこの本です。
人間には聞くことのできない音の世界を紐解くと、生き物...動物のみならず植物も含めた生き物たちの、複雑なコミュニケーションが明らかになってきます。
高齢者は聞こえないというモスキート音も超音波の一種。
子どもには聞こえる音が年をとると聞こえなくなるように、過去の人類はもしかしたら、現在の人類が聞き取れない音を聞き取り、生き物たちのコミュニケーションに参加できていたのかもしれません。
想像するとロマンがありますね。
こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。
五経の「伝」の概略は前回までに見たとおりですが、こうした「賢者による注釈」という意味での「伝」の対象は経書にとどまらず、重要な書物に対する注釈もしばしば「~伝」という書名をつけられました。これはもちろん日本でも同様で、たとえば本居宣長の大著『古事記伝』の「伝」はこの意味での「伝」ということになります。
一方、個人の事蹟を記述した伝記biographyの意味での「伝」もむろんあります。近代の魯迅は、有名な『阿Q正伝』の序章で、「伝の名目はとても繁多である。列伝,自伝,內伝,外伝,別伝,家伝,小伝......、惜しいかな皆合わない」と言ってこれらの名称がふさわしくないことを並べ立てた上で、「三教九流の数に入らぬ小説家」の「閑話休題、言帰正伝」という常套文句を採用することにすると、皮肉なふざけた調子で書いていますが、ここに列挙されている「伝」はもちろん経書のテキストのことではなく、いろいろな「伝記」の種類ということになります。
こうした「伝」は、淵源としては司馬遷の『史記』の「列伝」に由来するものですが、この時点でかならずしも個人の伝記とは限らず、「匈奴伝」や「朝鮮伝」といったものも含まれています。いずれにしろ、これらの正史の「伝」の体裁にならって、以前触れたことのある劉向の『列女伝(れつじょでん)』や、陶淵明の『五柳先生伝(ごりゅうせんせいでん)』といった作品が作られました。
また唐代には、六朝期の「志怪小説」から発展した、文言によるフィクション作品が盛んに作られ、「唐代伝奇」と称されますが、これらの中にも「〇〇伝」というタイトルを持つものが相当数あります。多くはやはり個人の伝記の体裁を取ったもので、『霍小玉伝(かくしょうぎょくでん)』『李娃伝(りあでん)』『鶯々伝(おうおうでん)』などが知られています。芥川龍之介の短編のもととなった『杜子春伝(とししゅんでん)』もそうですね。一方で、『長恨歌伝(ちょうごんかでん)』の「伝」は伝記の意味ではなく、白楽天の『長恨歌』という長詩の作品に対する散文のテキストという意味での「伝」と思われます(なお、「伝奇」chuanqiは、明清時代の戯曲の一形式を指すタームでもあります)。
さらに、個人の一代記というのにとどまらず、『南海寄帰内法伝(なんかいききないほうでん)』『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)』といった個人による紀行の顛末を記した著作などにも「伝」が用いられるようになりますし、人物を中心とした伝説・物語などを「〇〇伝」と称することも、時代が進むと一般的になってきます。中島敦が『山月記』にアレンジした「人虎伝」も唐代伝奇の改作ですが、このあたりではもう「伝記」というニュアンスはだいぶ薄まっていますね。明末に作られた、四大奇書に数えられる章回小説『水滸伝』も「水のほとりの物語」ということになります。
「伝」は、これまでに述べてきたような内容にそれぞれ対応した意味あいで、役割表示としても使われます。ただし、江戸時代の武芸書などで、先生から教わった内容をそのまま弟子に伝えるという場合の、「免許皆伝」といったケースでの「伝」については、そもそも責任表示とするのが適当なのかどうか多少疑問です。巻末に列記されているようなものは、とりあえず注記に転記するだけにとどめておいたほうがよいかもしれません。
また、本文巻頭や冊子目録などに「伝〇〇著」などとあるのは、もちろん「〇〇著と伝わっている」ということであって、たいていの場合は仮託やデタラメです。こうしたものについては、そのまま「伝〇〇著」と注記に記録しておけばよいでしょう。
今月の雑記テーマは「時計」です。
思い出の時計、というか、このテーマをもらうまですっかり忘れていたのですが。
小学校のころ住んでいた家の洗面所に、時計が置いてありました。時計といっても砂時計。ハローキティがデザインされた、今だったらレトロかわいいといわれそうなものでした。
なぜそんなものが置いてあったか。
おそらく、こどもらがちゃんと歯磨きしないから、キティちゃんをひっくり返して、この砂が落ちているあいだは磨いていなさいよ、という意味合いだったのだと思います。
でも昔の洗面所は寒いし、妹と一緒で狭いし、まじめに手だけ動かして歯磨きするなんて、つまんなすぎるし。
我が家の「砂時計が落ちているあいだは歯磨きする」ルールは次第に廃れ、かわいい砂時計もすっかりただの置き物となってしまったのでした。
(このときにしっかり磨く習慣が身についていれば、その後虫歯に悩まされることも減ったでしょうに!)
時間を計るだけならタイマーのほうが機能的ですが、砂が落ちることで時間の経過を知らせてくれる砂時計も、雰囲気があっていいものだなあと、今になると思いますね。
本日は「週刊新刊全点案内」2384号の発行日です。
掲載件数は1107件でした。
今月の表紙はこちら。
*イラストレーターコメント*
クリスマスリースのイメージです。
あちらのお宅にも、このお家でも、お隣さんも
ドアにクリスマスリースが掛かり始めると
クリスマス気分も盛り上がって来ます!
各お宅のツリーを見る事は出来ないけれど
ドアのリースは、みんなにクリスマス気分を運んでくれて楽しくなります!
(Juri)
*こんな本がありました*
大河ドラマの主人公が決まると、それに関連する本が大量に出版されるのは毎年のことですが、今回もご多分に漏れず、蔦屋重三郎関連の本がたくさん出ています。2384号では7冊ありました。
大学時代に江戸の文学を専攻していたのですが、当時、近世文学は学生にまっっったく人気がなく、参考文献も少なくて、指導教授も研究休暇?とかで不在で、卒論に四苦八苦した思い出があります。
今になってこれだけいろんな本が出ていると、当時にもっと欲しかった...!と切実に思います。
「マンガでやさしくわかる江戸の娯楽本」
こちらは蔦屋重三郎関連ではありませんが、江戸時代の文学を網羅的に取り上げています。
有名どころでは、つい最近映画にもなった「南総里見八犬伝」や、怪談「雨月物語」などがありますが、それ以外にも、うどんとそばがなぜか戦う「うどんそば化物大江山」、鬼を退治したあとの桃太郎を描く「桃太郎後日噺」など、江戸文学のふざけた一面を知ることができて面白いです。
ぜひ、江戸文学の魅力にはまってください!