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2015年7月 アーカイブ

2015年7月31日

楽しい雑誌検索~MARCや検索のはなし~

MARCや検索の話、
今回は、TOOLiをご利用できるなら一度お試しいただきたい、
雑誌検索の話です。

TOOLiで雑誌検索に進むと、一番上にある「キーワード検索」。
ここでは、雑誌の特集タイトルや目次の全文検索ができます。
TRCでは、約480誌の目次をデータ化しています。
目次を隅から隅まで全文入力しているので、かなりの情報量。
ここを検索するので、意外で楽しい結果が得られたりするのです。


おすすめのひとつは、気になる有名人の検索です。
独特の雰囲気がある「黒木華」さんを探してみたら、
グラビアやご本人による連載のほか、
ドン小西さんのファッションチェックに登場しているのも見つけました。
雑誌コラムで取り上げられた情報まではなかなか手に入らないので、
ヒットすると得した気分になります。

先日のブログでとりあげた「暗渠」で検索すると、
『東京人』らしい暗渠マニアの記事のほか、
「暗渠バー」の広告がヒット。
そして『現代農業』の記事がずらりと出ました。
「排水不良畑に縦暗渠」などとあるので、
暗渠を使った農業技術があるようです。

先ごろユネスコの無形文化遺産に登録された「和紙」。
『月刊文化財』が手漉和紙技術を大きく特集しています。
『現代化学』が取り上げる和紙は、どんな内容か?
『ラジオ技術』では「和紙スピーカ」が、
『アサヒカメラ』では「和紙プリント」がヒット。
『商店建築』では内装の仕上げ(?)の和紙を取り上げているようです。

意外な雑誌で意外な取り上げられ方をしているのを見つけるのが、
雑誌検索の楽しいところ。
調べ学習のテーマの展開にも使えるかもしれない、
と思いました。

2015年7月29日

きょうのデータ部☆(7/29)

p20150729.jpg

教育の森公園にて。
どんよりとした曇り空ですが、
負けじとセミの元気な鳴き声が響き渡っています。

2015年7月28日

生きざまを見よ

本日は「週刊新刊全点案内」1924号の発行日です。
掲載件数は1250件でした。

*こんな本がありました*

この女を見よ 本荘幽蘭と隠された近代日本

江刺昭子(編著) 安藤礼二(編著)
ぷねうま舎(2015.7)

女と書いて"ひと"と読みます。
「この女」とはだれか?今回被伝者として初出の本荘幽蘭という女性です。明治から昭和の時代を生き、18人の男性と結婚し、新聞記者から、女優、講談師まで様々に職を変えたというこの女性、最初破天荒すぎて思わず「実在の人?」とうたがってしまいそうになりました。
男性に従うのが美徳、とされていた時代に、こんな心のままに生きていた女性がいたなんて。
本人の文章や周りの人の証言などをもとに、このとんでもない女性の生きざまを描いていきます。
表紙の絵は、おそらく幽蘭の後ろ姿。振りかえったらどんな顔を見せるのか、読み込んでみたくなりました。

2015年7月30日

ひやっとしているできごと

7月の雑記のテーマは「ヒヤっとしたできごと」です。

国道4号線(大きな道です)沿いのアパートに住んでいたころのことです。
ほぼ初対面の夫の友人と二人、残業の夫を待ちながら鍋を囲んでいた時でした。
突然、消してあるテレビの暗い画面からザザーッと雑音が聞こえたのです。
ひぇーっ!ぎゃあぎゃあ騒ぎ合い、とりあえずそれ以上の異常は無くその場は収まりましたが、帰宅した夫に話すと、
 「それはたぶん大型トラックの運転手たちが違法の電波帯で無線通信をしてるんじゃないかな。あ、でもうちの場合は誰かが具合悪くなったのかも」
 夫の親族は具合が悪くなると電化製品で伝えてくれるというのです。
 はたして翌朝、義祖父が亡くなったとの連絡が来たのでした。固まる私と夫友人。
 引越しした現在も、取替えたばかりのLED電球がチカチカしたり、電化製品の調子が悪くなるたびにドキドキします。このブログを書いている間にも、下の方に書いた覚えの無い文章が出て来ました。。

2015年7月27日

最後の手がかり-和漢古書の書名と情報源(8)

データ部AS・伊藤です。主に和装本を担当しています。

前回に引き続き、和漢古書のさまざまな情報源の書名で注意すべきことを書きます。

NCR87R3で和漢古書におけるタイトルの情報源の三番目のレベルに記されている「扉,見返し」(封面)については以前述べました。これらのものは、三行縦書きで中央に大きめの文字でタイトルが、右行に著者名が、左行に出版者が、そしてそれらを囲む枠の上部に出版年が横書きで書かれている、というのがもっとも標準的なスタイルです。
「新刻訂正○○」といった場合の書名部分の上部が二行書きになっていたり、右がわあるいは上部の記載がそうしたもので書名の一部となっていると解したほうがよい場合もあります。そうした書名に冠された副次的な部分のことを、角書(つのがき)、漢籍では冠称(かんしょう)と言います。
見返し・扉でなくても、巻頭や題簽でもそうしたものはよくあるのですが、本タイトルとしてはそれらを含んだかたちを採用してかまいません。ただ、注記をしたり異なったかたちでのアクセス・ポイントを記述したりして、そうした部分が角書であることを示しておく必要があります。長澤規矩也氏編纂の冊子目録では角書部分を括弧に入れるという方法を採っていますが、オンライン目録ではまた、簡潔かつ検索に便な方策を工夫する必要があるでしょう。
なお、唐本を翻刻した漢籍の場合、原本の封面をそのまま摸刻してつけていることが時々あります。もちろん、見返しまたは扉と言ってしまっていいのですが、厳密には原封面と呼ぶべきでしょう。
また、扉の前後にもう一枚そうしたものがあったりする場合は、それらは前扉とか中扉とか呼んでおけばいいかと思います。

同じレベルにある「版心」(はんしん)というのは、袋とじの本の場合折り目のところにくる、原稿用紙の真ん中の枠にあたる部分で、「柱」(はしら)とも言います。ここはある意味、本のもっとも内がわとも言え、そういう意味では安定度は高いのですが、ただここに記されている書名は得てして省略されたかたちだったりしますので、これをタイトルとして扱うかからしてが問題になります。たとえば、明和7年刊『風流茶人質氣』(ふうりゅうちゃじんかたぎ)という本だと、版心にあるのは「茶」一文字だったりします。
しかしながら、以前触れましたが、草双紙というジャンルの本の場合、書名に関する情報が題簽とここにしか無い、ということがしばしばあります。そして題簽というものはくりかえし言っているように剥落しやすいものですから、結果としてこの柱の書名しか手がかりがない、という事態になります。こうなると柱題(はしらだい)というのはやはり重要で、実際そうした事態が珍しくなかったというのは、つとに明治時代に『黄表紙外題索引』などといったツールブックが出ていることからもわかります。

なお、版心の書名と似たものに「のどの書名」というものがあります。「のど」というのは、袋とじの本の場合、とじ目のあたりの余白部分を言いますが、ここにやはり省略されたかたちの書名と丁付けが記されていることがあります。
しかし本文近くでなく紙のはしのほうにあると、しっかり綴じられていれば、とじ目にあたりますので当然ながら見ることができません。これはもともと、製本前の状態において作業用に記されたものですので、したがってここの丁付けは、時々インチキのある版心のものより正確だったりします。

以上見てきたような本の各部分に書名が無ければ、所蔵者が後からつけた書名、すなわち原帙でない場合の帙題簽や識語(しきご)、小口書(こぐちがき)といったところから書名を採用することになります。和装本はほんらい書棚に平積みにして置いておくものですので、小口書の機能としては、洋装本の背と同じく、並べて置いたときの検索や確認に便になるようにということであるわけですが、あくまで所有者が後からつけたものです(ただし民國以降の中国では刊行時に印刷している場合もあります)ので、原則情報源とはしません。
同様に、一番最初に書いたように、背の墨書も原則情報源とはしませんが、ほかのどこにも書名が無ければ、小口書と同じくそこから採用するということも無いわけではありません。

といった具合に、図書のさまざまな部分から適切なものを選んで本タイトルとして記述するわけですが、ほんとうにどうしても書名が見つからない場合もあります。その場合は何らかの参考書やデータベースから適切なものを採用するか、内容等から適宜書名をつけて補記括弧に入れて記述し、そうした旨を注記するということになります。
文書(もんじょ)であればそもそも標題というのは著録者がつけるのが原則ですが、しかし図書の場合、「書名は目録作成者による」という注記を入れることになると、何となく敗北感を感じてしまうのはわたしだけでしょうか・・・。

(次回はお盆休み明けになります)

2015年7月24日

だれのが一番?-和漢古書の書名と情報源(7)

データ部AS・伊藤です。主に和装本を担当しています。
前回まで、巻頭題簽、合巻の摺付表紙の書名などについて見てきました。今回は、それ以外の情報源の書名で、和漢古書で注意すべきものを見ていきましょう。

和漢古書の造本の構造からして、図書の内がわにあるものほど安定しており、外がわに行くほど不安定な情報源になる、ということは前述しました。その理屈で言うと、本文の巻頭のつぎに安定した情報源としては、本文の巻末ということになります。タイトルにかんして言う場合は、尾題(びだい)というタームもありますので、巻尾(かんび)と言ったほうがよいかもしれません。
とくに多巻ものの場合、最終巻の巻尾のことを「大尾」(たいび)と言い、優先順位としてはかなり高いものになります。このタイトルは巻頭に対応してちゃんと記載されていることがけっこう多く、きちんと確認しておく必要があります(なお、書名とはちょっと別に、各巻の巻次については巻尾を巻頭と同レベルの情報源として扱ってよいと、個人的には考えています)。

NCR87R3では「目首(もくしゅ)」というのも、巻末と同じくタイトルの優先順位の2番目のレベルの情報源としています。たいてい本文直前にある総目次の冒頭のタイトルのことで、目次の末尾にあるものは「目尾(もくび)」と言います。図書によっては、各巻ごとに巻頭の前に巻の目次がついていることもあり、これらを総目と区別して言う場合は「巻目(かんもく)」と言ったりします。ただし、名所図会(めいしょずえ)などでよくあるのですが、巻の目次と本文がつながっていて本文巻頭のタイトルが無いような場合は、巻目を巻頭と見なしてよい(ある種お約束のスタイルなので、むしろそのほうがよい)と思います。

本文の前後には序跋の類がついていることがしばしばあります。序・叙・凡例・例言・前言・題言・題辭・題詞・提要・まえがき・はしがき、あるいは跋・識後・書後・後語・あとがきといった、とにかくいろいろな性格のものがあります。ちなみに、序と言ったら本文の前にあるものというわけのものではなく、本文の後に序があったりすること(後序)はごくふつうにあります。
ちょっと注意が必要なのは「提要」で、清中葉以降の漢籍の刊本では『四庫全書』所収の書籍の解題である『四庫全書總目提要』の該当条をそのまま冒頭に付している場合があります。このとき間違って、「序の書名:四庫全書總目提要」などとしては絶対にいけませんし、内容著作としたりするのももちろん不適切です。

なお、「新刻○○序」と言ったら、「新刻○○」というタイトルの図書の序と解してよいですが、「刻○○序」とあったら、それは基本的に「○○を刻するの序」ということですから、序の書名としては「○○」だけ、ということになります。
また、「御製○○序」というのは、皇帝の編著であれば「御製○○」を序の書名としてよいですが、そうでない場合は「○○」という著作に対して皇帝が書いた「御製の序文」ということになりますので、「御製○○」をその他の書名として採用するのはあまり適切ではありません。

序跋の中で著者・編者自身による自序・自跋を優先するのは当然理解できますが、「著者・編者以外の序跋」(他序・他跋)については、それらが複数あった場合どの優先順位で見ていけばよいでしょう。複数の人の序跋がいくつも付いている、というのは実際よくある情況で、大部のものになると序文だけで1冊になったりするくらいです。
やり方としては3通りほど考えられ、一つ目はもう単純に、先頭から出てくる順番に見ていく、というものです。何も考えないでいいので気楽なのですが、「内がわほど安定しており、外がわに行くほど不安定」という原則からすると本文の前に置かれているものの場合いかがかということになります。事実、他序と自序とがあった場合、自序のほうが本文に近いほう、すなわち後のほうにあるケースが圧倒的に多いですし、一番最初にあるのは題詞といったわりとどうでもいいような内容のものであることが多いようです。こうしたことからすると、むしろ本文に近いほうから外がわにという順番で見ていく、というほうが妥当であるかもしれません。あるいは、序跋それぞれの書かれた年代の古い方から、という考え方もあるかもしれません(年代不明のものがあった場合が弱点ですが)。
なお、その図書が以前に刊行された時点での序文(原序)が収載されているケースもありますが、これらの書名をその他の書名として採用するか、ちょっと微妙な場合もあります。

序跋の類の書名はそれぞれの冒頭に記されているものを(末尾に書名が記されていることはほとんどありません)「序の書名:○○」といった具合に記録すればよいですが、時々序跋の文章中に「その他の書名」として採用すべき異形のタイトルがあったりしますし、時とするとそこにしかタイトルらしきものが存在しなかったりすることもあります。そういう場合は本タイトルをそこから採用し、「書名は序文中による」といった具合に記録することになります。
もちろん、引用著作の書名など図書本体と関係ないものなどではないか、よくよく確認しなければいけませんが、図書をどうひっくりかえしてもタイトルらしきものが見当たらず、序文を読み進めていって「これだ!」というものが見つかったりすると、かなりヤッターという気分になります。

今日はここまでとし、「見返し,扉,版心」などについては次回に書きたいと思います。

2015年7月22日

きょうのデータ部☆(7/22)

お昼の茗荷谷です。
すっかり影が濃くなりました。
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2015年7月23日

幽霊の正体

7月の雑記のテーマは「ヒヤっとしたできごと」です。

ヒヤッ...この季節、やはり怪談でしょうか。
それはわたしが小学校3、4年生だったと記憶しています。夏休み中だったせいか、寝苦しい夜を少しでも涼しく過ごせるようにと、奥の子ども部屋から広々とした仏間に床をこしらえた夜が数日ありました。わたしと姉のふたり、いつもとは違う感じに興奮しつつも布団に入りました。昼の遊び疲れでスヤスヤと寝入ったのはよかったのですが、熱帯夜の寝苦しさのためか、ふと夜中に目が覚めたわたし。襖を閉めたとなりの座敷からなにやら物音がすることに気づきました。姉はぐっすり眠ったまま。何の音だろう? バサバサ...カサカサ...音は途切れることなく続きます。え...なに...? 暗闇に目を凝らすも、襖の向こうは見えるはずもなく。バサバサ...カサカサ...なにか紙をめくるような音...。じっとりと汗を流したまま眠れなくなってしまいました。どのくらい時間が経ったのか、意を決して襖に近寄り、そっと、そっと、襖を細めに開け、隣を除くと...
なーんだ!扇風機がつけっぱなしで新聞紙をバサバサとめくっていたのでした!なんだよー!一時に緊張の糸がとけ、そのまま布団に倒れこんで朝まで熟睡したのでした。

幽霊の正体見たり枯れ尾花、そんなことわざを知ったのはずっと大人になってからです。とほほ。

2015年7月21日

戦後ドイツの偉大なる政治家 ヴィリー・ブラント

本日は「週刊新刊全点案内」1923号の発行日です。
掲載件数は1209件でした。

*こんな本がありました*

ヴィリー・ブラントの生涯

グレゴーア・ショレゲン 著
三元社(2015.7)


戦後ドイツの政治家で、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の第4代首相を務めたヴィリー・ブラントの伝記です。東西冷戦の時代に、ソ連・東欧諸国との関係改善をはかる政策を進めた人物で、その一連の功績により1971年にノーベル平和賞を受賞しました。1990年のドイツ統一の基礎を築いたと言われています。

表紙には、1970年に、ポーランドとの国交正常化条約に調印したブラントが、ワルシャワ・ゲットー記念碑の前で黙とうを捧げている写真が使われています。ワルシャワ・ゲットーは、ナチス・ドイツ軍に対する抵抗運動が起きた場所です。両膝を地面につき、ナチスが犯した虐殺に対して謝罪の意を表すブラントと、その姿にカメラを向ける多くの報道陣。「ワルシャワでの跪き」と呼ばれるこの出来事が歴史的事件であったことを伝えています。

また、1972年には、ドイツとポーランドのあいだで、共通の歴史教科書づくりを通じて国家間の和解を促進する試み「ドイツ・ポーランド間の教科書対話」が実現しました。これもブラントによる東西対立の融和を進める政策の影響といわれています。


戦後70年。同じ敗戦国であり、同盟国でもあった日本とドイツがまったく違う歴史を刻んできたのはなぜなのか。ブラントの伝記を読むと、その理由の一端がわかるかもしれません。


現在、TRCブックポータルでは、今の日本がどのように形作られてきたのかを読み直す特集「戦後70年」をやっています。この夏の必読書が勢ぞろいしていますので、ぜひ一度ご覧ください。

2015年7月16日

企画洋書 "The right word"

こんにちは。データ部AS・竹ノ谷です。

類語辞典を手に取ったことはあるでしょうか。
2015年のコールデコット賞(アメリカの優れた絵本に贈られる賞)次点作品にこんな「英語の絵本」があります。

The right word

Jen Bryant(文)
Melissa Sweet(絵)
Grand Rapids(2014)

描かれているのは英語の類語辞典を作り上げたピーター・マーク・ロジェの人生。
やさしい語り口とびっしり「書き」込まれた見ごたえのある絵があっという間にことばの世界に引き込んでくれます。

若き日のロジェに限らず誰だって「この表現でいいんだろうか?」「他に何かちょうどいいことばはないだろうか?」と思うことはあるもの。
今日はことばの表現に関する本を紹介いたします。

日本語の雨の表現は種類が多いという話も時折目にしますね。
特にこの時期は毎日のように雨の降り方が気になります。今日も朝から台風の影響で雨がザーザー...。
「雨の名前」には422種類もの雨の表現が出てきます。
男梅雨、五月雨といったものから御雷様雨や愉英雨なんて雨まで。
外の様子を聞かれたときにぴったりな雨の名前を探してみましょう。

雨の名前

高橋順子(文)
佐藤秀明(写真)
小学館(2001.6)

テレビを見ているとよく流れるグルメリポートも工夫を凝らした表現のかたまりですよね。
「おいしさの表現辞典」なら友達とご飯を食べに行ったときや家族が作ってくれたご飯を食べるときに使ってみたくなる表現がきっと見つかるはず。

おいしさの表現辞典

川端晶子(編)
淵上匠子(編)
東京堂出版(2006.8)

英語の絵本をよく読む方に、こういう本も面白いかもしれません。

マンガで楽しむ英語擬音語辞典

改田昌直(画)
クロイワカズ(画)
研究社(2007.10)

日本語訳が出ている絵本を擬音語や擬態語に注目して読み比べると新しい発見ができそうです。

2015年7月17日

熱くなる~分類/件名のおはなし・60~

               
 今週前半は急に暑くなりました。それまでずっと雨だったので待ち望んでいた太陽でしたが、あまりの気温に圧倒されてしまいました。
 夏といえば「お祭り」が浮かんできたので、少しご紹介したいと思います。日本十進分類法(NDC)新訂9版の386+地理区分の分類を見てみます。


祇園祭のひみつ
白川書院(編)

白川書院(2015.7)
1日から行われている祇園祭。今日は最大の見どころといわれる山鉾巡行の日です。台風の影響が心配されていましたが、予定通り開催されているようです。
ちなみに、件名は「祭り-○○(国名・地名)」となっています。地元のお祭りの由来などがわかると、もっと楽しめそうです。


 分類386の項目をみると、年中行事ともあります。

季節の行事と日本のしきたり
新谷尚紀(監修)

マイナビ(2014.12)
冬の行事の本を読むと少し涼しく過ごせる...でしょうか。

 
 お祭りの番外編として、夏には音楽のお祭り「夏フェス」も各地で開催されます。青空のもと、一日中音楽に浸れるのはとてもぜいたく!
分類はロック音楽の764.7、件名は「音楽祭」で本を探してみました。

フジロック&サマーソニック完全ガイド

シンコーミュージック・エンタテイメント(2015.7)
フジロックは来週開催です。お天気になるといいですね。

2015年7月15日

きょうのデータ部☆(7/15)

本格的に夏!という感じがしてきました。
(気温が一気に上がったせいか、
お昼のテラスは少し人が少なくなりましたが...。)

先週とはうってかわって鮮やかな青空です。
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2015年7月14日

無形文化遺産で暑さを乗り切れ!

本日は「週刊新刊全点案内」1922号の発行日です。

掲載件数は1203件でした。


*こんな本がありました*

急に猛暑日が続くようになりました。
みなさま、暑さで体力が奪われていませんか?

そんな中、目にとまったのはこちら。


メキシコ料理大全 家庭料理、伝統料理の調理技術から食材、食文化まで。本場のレシピ100

森山光司(著)
誠文堂新光社(2015.7)


メキシコ料理と聞いて、思い浮かべるのは
豆とトウモロコシっぽいもの...。


ファストフード店にもあるチリコンカン、
コンビニで売ってるブリトーもそうかな?


と思いきや、チリコンカンやブリトーは、メキシコ料理にあらず。


テクス・メクスといわれるメキシコ風アメリカ料理なのだそうです。


こちらの本に掲載されているのは
本物のメキシコ家庭料理・伝統料理のレシピ100選。

そのメキシコ料理の歴史、
マヤ文明が栄えるよりはるか前(なんと7000年前)から始まっているのだとか。


メキシコ料理ってすごいんだなあ...。と思ったら、
2010年にユネスコ無形文化遺産に登録されていました。
和食よりも先だったのですね。

暑さ対策はいろいろありますが、
無形文化遺産の食の力を借りてみるのは いかがでしょうか。

2015年7月13日

合巻おそるべし-和漢古書の書名と情報源(6)

データ部AS・伊藤です。主に和装本を担当しています。

前回、題簽の書名で各冊ごとに表記を変えていくという、現代書に無いパターンについて書きました。今回は、表紙の書名に関し、これまた江戸時代の和本独特のものを紹介しましょう。

いわゆる草双紙(くさぞうし)類の最終段階の形態として、「合巻(ごうかん)」と呼ばれるジャンルがあります。草双紙というのは江戸中期から刊行された、絵入りというか画文一体の通俗読み物で、形態的には5丁で1巻が基本、安永-文化頃だいたい2~3巻構成の黄表紙(きびょうし)と呼ばれるものが盛行しますが、寛政頃から数巻を合綴したかたちで刊行されるようになります。これを合巻と呼び、明治初期まで多数の作品が刊行されますが、中には現代の人気漫画のごとく、相当の長編になっているものもあります。
草双紙にはもともと内題が無い場合が多いのですが、合巻の場合、発生後まもなく、表紙として著名な浮世絵師による錦絵風のものが付けられるようになりました。たいてい、横長の1枚の図が複数冊分に断裁されて各冊の表紙になっており、したがって各冊を並べて置くと続き柄の図になる、という造りになっています。多くは4巻2冊、もしくは6巻3冊の図柄で、たいへん派手で美麗ないかにもキャッチーなものですが、これを摺付(刷付)表紙(すりつけびょうし)と言います。

合巻というジャンルでは、この摺付表紙がもっとも優先される情報源になります。ただ、断裁された各冊の表紙にそれぞれ書名や著者があるとは限らず、時にもとの一枚の図柄の中でも偏った位置にとか横長に書名や著者が記載されており、したがって断裁した結果、各冊の表紙にはそれらの情報が一部分だけ残っている状態になるので、元のように並べて置かないと正しい書名がわからない、という具合になっていることもしばしばあります。ですので、合巻の場合は各冊の表紙を情報源にするのではなく、1枚続きに復元した摺付表紙が情報源になる、ということになります。
表紙の図柄が続き物になっている、というのは現代でもありそうなアイデアですが、書名などまでが断ち切られているというのは、ちょっと注意が必要な情況ではあります。

ただこの合巻、これだけでは終わらず、もっともっと手ごわいことになっていることがしばしばあります。5丁が1巻というのは変わらないのですが、大長編になってくると、4巻で1編の上下、もしくは6巻で1編の上中下という構成で何十編もあったりするのですが、この各編の上下あるいは上中下それぞれに見返しがついていて書名が記されており、さらに編ごとに摺付表紙があるわけです。そして、編ごとにあるいは数編をまとめて1冊に綴じて発行するのですが、その場合摺付表紙はしばしば1枚続きにまとめて綴じ直され(時に見返しもまとめて綴じ直されます)、その外に1冊ずつにまた新たな表紙・題簽をつけていることがあります。
いや、それだけならまだいいのですが、さらに合綴した冊を「袋(ふくろ)」という、一枚の紙を本のサイズの四角い筒状にしたものに入れていることもあり、その袋にもそれぞれ書名が記されていたりします。袋というのは要するに外箱・ケースのはたらきをするものなので当然なくなりやすいのですが、これをまた合綴の表紙・裏表紙の外に綴じ直したりしてくれていることもあります。
で、これらの書名がみな同じかたちをしているかというと、そんな野暮ったいことをするはずもなく、これらがみな少しずつ違ったりしているのです・・・。

具体的にいえば、たとえば『七ふしき葛飾ものかたり』10編40巻、「4巻2冊で1編の上下」という構成のものを4冊に綴じたものだと、摺付表紙=10、見返し=10×2=20、題簽=4で合計34箇所に、『昔模様娘評判記』6編36巻、「6巻3冊で1編の上中下」という構成のものを袋つきで6冊に綴じたものだと、摺付表紙=6、見返し=6×3=18、題簽=6、袋=6で合計36箇所に、書名があるということになります。
もちろん、書名のかたちが全部の箇所で違うというのは実際には無いですし、袋や題簽が欠けていることはしばしばあるわけですが、それでもこういった具合に相当な数にのぼるヴァリエーションがあるということになります。和漢古書としてタイトル単位で書誌を作成する場合、それらをどこまで「その他の書名」として記録するか、あるいはそれらの情報源にあるこれまた多彩な出版事項等の記述をどこまで記録するか、システムの許容範囲によるとしても、何だか気力体力の勝負ということになってきそうですね。

2015年7月 8日

きょうのデータ部☆(7/8)

本日は番外編。
今年もデータ部にあたらしく加わったメンバーを紹介させていただきます。
一言コメントも付けました。新刊目録の部署で、目録作成の第一歩を踏み出したメンバーをこれからもよろしくお願いします!

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「新刊班・新人のEと申します。
いろいろな種類の本に触れることができて、日々幸せ、日々勉強です。
正確さとスピードを身につけられるよう、精一杯努力していきますのでよろしくお願いいたします!」


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「はじめまして。新人のSです。
MARCを知れば知るほど悩むことも増えていく毎日ですが、
いろいろな本に出会える喜びを噛みしめながら頑張ります。
よろしくお願いします。」


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「はじめまして、Mです。
目録作成の仕事は楽しくもあり難しくもあり。
これから経験を積み、戦力となっていけるよう日々こつこつとがんばります。」

2015年7月10日

赤(aka)の他人じゃないですよ

こんにちは、典拠 小松です。

先日、ずっと以前に作成された典拠ファイルを見ていて気が付きました。
昔の人は、今私たちがしばしば扱うような、ポップなペンネームがない...。

ペンネームの多くが本名と文字だけ違ったり、読み方だけ変えてあったりと、
ほとんどヒネリがない感じ。

古いとはいっても、ほんの20年程度前の人名です。
これはインターネットの出現と関係があるのでしょうか?

インターネットが普及してから、特に正体を隠す意図ではなく、別の名前を使うケースが多くなったように思います。典拠作業でも、同一人の確認などのためにインターネットで調べ物をすることがありますが、かなりの確率で別名や本名を知ることができます(もちろんわからないこともあります)。

きちんと図書に書いてあることもあります。最近はブログの書籍化も多いためか、

酔いどれスヌ子の麗しごはん

稲葉ゆきえ(著)
小学館(2015.7)

稲葉ゆきえ(スヌ子)

などのように、併記してあるケースも多いです。この場合、著者や版元としてはブログの読者にも、著者のお仕事のファンにも、できるだけ多くの人に手にとってほしいわけですから、両方の名前を図書に出したいのはあたりまえといえば当たり前です。

最近は、図書でこんな書かれ方をしているのを見ました。

1000コスプレ&コスチュームアイデア

ヤヤ・ハン(編)
グラフィック社(2015.6)


表紙には著者として「ジョーイ・マルゾッキakaドクター・グリム」とあります。

この著者は「ドクター・グリム」という名前でドクター・グリム研究所を運営しているアーティストのジョーイ・マルゾッキ氏(Marsocci,Joey)。二つの名前の間にあるaka。典拠の作業を始めた当初は戸惑ったものでした。

aka、a.a.k.とは「ランダムハウス英和大辞典」によると、

「((特に米)) also known as 別称は,別名は.
▼ 本来は警察用語で,人名,地名などに用いる
偽名,別称.」

とのこと。

もともとは、犯罪者などの通り名を記述する時に使われていたようです。

AV資料では、以前からしばしばDJの名前の表記に使われていました。「ちょっとワルそうに見えて、かっこいい」というような狙いかと思われます。

図書の責任表示に使われ始めたのは、どうもごく最近のようです。

ちなみに上のジョーイ・マルゾッキ氏(Marsocci,Joey)、Dr.Grymmの別名でも既に典拠ファイルがあります。こうした場合は、もちろん相互参照しています(相互参照についてはこちら)。

相互参照といえば、最近こんな人(?)の正体も明らかに...。

続きを読む "赤(aka)の他人じゃないですよ " »

2015年7月 7日

問題多数あり

明日発行の『週刊新刊全点案内』は、巻頭に「新設件名標目のお知らせ」を掲載しています。
新設件名は、TRC MARCで件名標目を新たに採用したものという意味で用いていますので、NDLSHから採用したものも含まれています。

6月の新設件名は5件と割と少なかったのですが、それぞれ個性的でした。しかし、一つだけ取り上げるとなると、ちょっと困りましたが、一番、旬な話題ということで「無人航空機」に、落ち着きました。

旬という割には、聞きなれないなあ、と思われるかもしれません。では「ドローン」では。新聞等で、何度か話題になっています。ところが「ドローン」というのは、結構、漠然とした概念のようです。話題になっているのは、「マルチコプター」と呼ばれる「3つ以上のローターを搭載した回転翼機」つまり、ヘリコプターの一種なのですが、そもそも、「ドローン」の起原のひとつは無人の軍用機であり、他に産業用もあります。

形態も航空機に限っても、飛行船もあり、要するに無人の航空機なら「ドローン」、さらに船舶、車両も無人機なら「ドローン」という、考えもあります。
但し「GPSなどを利用して自律制御」が「ドローン」の条件で「ラジコンヘリ」などは該当しないとするのが一般的ですが、すると流行の「マルチコプター」の多くは「ドローン」ではないとなってしまいそうで悩ましい限りです。

2015年7月 3日

おしゃれ全開-和漢古書の書名と情報源(5)

データ部AS・伊藤です。主に和装本を担当しています。

前々回前回、巻頭の書名をそのまま採用してはいけない例をあげてみました。巻頭の書名を採用することが不適当な場合、NCR87R3の規定によれば「題簽,表紙」が同じく最も優先順位の高い情報源になります。今回は、この題簽(だいせん)の書名について見てみましょう。

題簽(題箋と書くこともあります)というのは表紙に貼られた書名や冊次の記された短冊状の紙片で、著者名や出版事項などその他の情報は無いのが多数派です(時代が下るとそれらの情報もあるものも増える傾向にあります)。
貼付位置としては表紙の左肩か中央がふつうですが、国文学系のジャンルの図書の場合は日本古来の伝統を踏まえて中央の割合が高いようです。左肩に貼付した場合、その右がわに副題簽(ふくだいせん)もしくは目録題簽(添え外題)と言って部編名や巻ごとの目次を記した四角い紙片が貼られていることもあります。
また、草双紙では絵題簽(えだいせん)と言って絵入りの幅広のものが左肩に貼られていることが多く、このジャンルの図書では、書名や出版者の情報はここにしか存在しない、ということがしばしばあります。

当然ながら刊本では印刷されたもの、写本では手書きのものであるのがふつうですので、そうでないケース、すなわち刊本なのに題簽は手書きというような場合は、わかるように記述しなくてはなりません。当然、題簽が剥落してしまったものを後人が付け直したというケースが多いのですが、貼り直しの場合、全然違う本のものを間違って、あるいは時に意図的に貼っていることがあったりします。
剥落した題簽を本体に挟み込んでいるような場合もよくありますので、見落とさないようにしましょう(剥落自体はきわめてよくあることですので、通常はそのことは一々注記する必要はないかと思います)。ちなみに、唐本はそもそも題簽を用いていないことが和本より多いのですが、まれに数冊分の題簽が刷られている遊び紙が封面の前後に付けられていたりすることがあります。切り取ってお使いください、ということなのでしょうね。

ほんらいの表紙の外がわにさらに後補の表紙をつけている場合、題簽が二つあるといった事態が生じたりしますが、その場合はもとからあったほうを原題簽(げんだいせん)として記述することになります。また、帙の表紙や背に貼られているものは帙題簽(ちつだいせん)と称します(図書本体ではないので、情報源としての優先順位は低くなります)。
なお、ときに題簽の雰囲気を模して表紙にじかに印刷してあるような場合もありますが、それは「表紙の書名」ですので、「題簽の書名」としてしまわないよう注意しましょう。

さてこの題簽や表紙、ある意味一番目立つ部分でもあり、ほんらいの「造り手の主張」がもっとも表れている箇所であるのは確かなのですが、情報源としてはやはり物理的に無くなっていたり取り替えられたりしやすいという欠点があります。また、多巻物の場合、それ自体が情報として安定していないことがある、と言えます。どういうことかと言うと、各冊ごとに書名の表記が変わっていることがしばしばあるのです。
巻頭の書名の場合でも巻ごとに変わっていることはありますが、巻頭の書名の場合はちょっとした語順や表記の違いといった軽微な変化であるか、さもなければ『三体詩』3巻の場合のように、各巻の内容や成立上の経緯に基づくところの相違だったりするのに対し、題簽や表紙の書名の場合は、内容とは関係なくしかしきわめて確信犯的なものです。
たとえば、寛政5年刊の『歌袋(うたぶくろ)』6巻という本では、各冊の題簽の書名が「うたふく路」「宇多布くろ」「う堂婦具ろ」「宇た不九呂」「うた婦く路」「菟多不具路」という表記になっています。
同じように、享和4年刊『當世嘘の川(とうせいうそのかわ)』5巻では、「當世嘘之川」「當世うそのかは」「當世空言乃河」「當世嘘農川」「當世うその皮」、あるいは文政4年刊『三十石艠始(さんじっこくよふねのはじまり)』6巻では「三拾石夜舟濫觴」「卅石夜ふねの濫觴」「さん十石よふねの肇」「三拾こく夜ふねの始」「卅石夜舟のはじまり」「三ぢう石夜舩の肇」といった具合です。
ここにあげたのはほんの一例ですが、とにかくこういう具合に、同じ訓の別の漢字や万葉仮名・変体仮名の組み合わせ等々、和語漢語とりまぜてとにかく表記を各冊ごとに変化させていく、というのが江戸時代の本の造り手の「オシャレ感」なのです。これらをみな同じ表記で揃えてしまうのは、野暮と言いますか不粋と言いますか、たしなみもしゃれっ気もねえわなあ、という話になります。実際、国文や国学関係、小説では人情本や滑稽本といったジャンルのものでこうした実例が多く、それ以外のお堅い学問や実用書、漢詩文集などではあまり見かけません。

こういう感覚は現代には引き継がれていませんが、この時代の図書を扱うのであれば、このちょっと独特なセンスを理解し、各冊の題簽の表記に知識を駆使し工夫を凝らしているさまを面白がりたいところです。しかしながらこうした本について、現代書の「4情報源」という規定に基づいて、題簽を表紙に含めそこからタイトルをとって物理単位でデータを作ってしまったら、いったいどんなことになってしまうか、考えるだに恐ろしいところ。やはり和漢古書と現代書とでは、情報源も書誌作成単位も同じように考えてはダメだ、ということのもっともわかりやすい実例と言えるでしょう。

2015年7月 9日

空飛ぶハムスター?

今月の雑記テーマは「ヒヤッとしたできごと」。

ボケーッとしていて何かとやらかすことの多い私です(だからこのテーマの執筆担当が回ってきたのでしょうか...泣笑)。
これは幼い頃から変わらぬ性質のようで、
思い出しただけでもヒヤ~ッとする記憶は数知れず...。

- - - - -

小学校4年生の時のことでした。

当時、家でハムスターを飼っていて、えさをあげたり、だっこしたり、部屋の中をお散歩させたりするのが日課だったのですが、
ある時、外の空気を吸わせてあげよう!とでも思ったのか、そのハムスターを巾着袋に入れて、友だちと外へ遊びに出かけたんですね。

気がついたらなぜか近所のマンションの最上階(10階くらい)にいました。

そして、外廊下の手すりから顔を出して下を覗きながら、友だちと語らっているうちに...

巾着袋を手すりに乗っけていたことを忘れ、袋の紐から手を放していて......

.........モゾッ

と動いた巾着袋...!

ああっ!!
落ちるっ!!!

寸前で、
「ギャーーーッ!!」と巾着袋をわし掴み!

危なかった...。
本当に危なかった・・・。
あわや大事なペットを10階から落っことすところでした...。
(※ハムスターはおうちの中で飼いましょう)

- - - - -

こんな記憶が甦ってきたのは、最近読んだこの絵本のせいかもしれません。

リンドバーグ-空飛ぶネズミの大冒険

トーベン・クールマン(作) 金原瑞人(訳)
ブロンズ新社(2015.4)

2015年7月 2日

取り扱いは慎重に


7月の雑記のテーマは「ヒヤっとしたできごと」です。


あれは入社したての頃。
電話を受ける、という新人ならではの仕事を任されました。
電話が鳴るたびに、いちいち緊張していた私。

そんなある時、隣の席に内線電話がかかってきました。
席の主は不在だったため、自分が取らねばと焦って手を出したところ
受話器を派手に取り落としてしまいました。
(ガラガラッとけっこうな音がしたと思います)
あわてて持ち直して出てみると
受話器の向こうから、社長の声が...

ヒヤッとする、というよりもフリーズ。
頭の中に「やってしまった。叱られる。もしかしてクビかも...」
という気持ちがぐるぐると渦巻き、しばらく立ち直れませんでした。

それ以来、受話器の取り扱いは慎重にしております。


2015年7月 1日

きょうのデータ部☆(7/1)

今日のTRC周辺は、雨模様でした。

p20150701.jpg

教育の森公園から。本社も霞んで見えますね。

2015年7月 7日

さらば地球よ

本日は「週刊新刊全点案内」1921号の発行日です。
掲載件数は1402件でした。

7月の表紙はこちら。

p20150707.jpg

もうすぐ夏休みの季節。
船に乗って、島にでも出かけてみたいものです。

さて、船は船でも...。


*こんな本がありました*

零次元機械紀行

松本零士(原作・総設定デザイン)
板橋 克己(メカデザイナー)
小学館(2015.7)

帯には「夢と浪漫の設計図」とありますが、まさにその通り。

松本零士の「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「宇宙戦艦ヤマト」」などの設定イラスト500点以上を収録。大判の本で壮大で精巧な設定画をじっくり楽しめます。

記事のタイトルは「宇宙戦艦ヤマト」からですが、松本零士といえば私の世代は「銀河鉄道999」でした。TVで見ていたころは、機械の描写よりも登場人物の人間模様や行く末が気になっていた覚えがありますが、列車(蒸気機関車ではないのですね、宇宙だから)の設定画を見るとすぐにあのころの記憶が蘇ってきました。

メカデザインを担当した板橋克己(「己」は典拠作成的には要注意)は、意外にも責任表示として初めての登場。このたび典拠ファイルを作成しました。

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