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こちらは「図書館の本屋さん」こと株式会社図書館流通センター(TRC)の
データ部による、MARCと本に関するブログです。
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2016年8月26日

後ろからか、前からか―和漢古書の出版事項⑪

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前々回前回、出版者の役割表示について見てきましたが、今回は同じ役割の出版者が複数いた場合、どのように扱うべきか、見ていきたいと思います。

和漢古書の出版においては、今までも何度か触れてきましたが、共同刊行ということがよくあります。とくに日本では、商業出版が盛んになるにつれ、相合版(あいあいばん)といって複数の書店が資金を出しあって出すというかたちが増え、江戸後期には刊行物の相当の割合のものがそうなっています。1書肆あたりの経費が抑えられたり、共同刊行者どうしのネットワークで全国に流通させられたりといったメリットがあったようです。
ちなみに相合版の場合、原則としては、版木自体を、それぞれの版元が出資割合に応じた枚数で所有・保管することになっており、これを留板(とめいた)と言います。お互いが勝手な増し刷りをできないようにというためですが、単純ながら効果的なやり方で、「版木」という物理的存在ならではの話ですね。

共同刊行者は、基本的に刊記や奥付に連名で表示されます。もっとも、これらの情報源の特性から言って、版木の権利が移動する以前の名前が残ったままだったりすることもしばしばあります。あるいは出版そのものにはかかわっておらず、たんに流通販売で提携しているだけの場合も実態としてはよくあるようですが、そのあたりの区別はなかなかむつかしいですので、とりあえずあまり気にしなくていいかと思います。
共同刊行者は十数肆になることも珍しくありませんので、カードや冊子目録ではスペースの関係から、代表者のみを記録したり、「代表者〔ほか〕」としていたこともよくありました。しかしこれについては、中村幸彦氏が「和本書誌のしるべ」(『著述集』15所収)というコラムで「(代表者のみを記録するのは)不親切で、私は従いがたい」とし「(複数の書肆のうち)代表を選ぶことは事務的では無理である。むしろ多くとも全部記入する方法が、事務向きである」と書いておられるように、可能なかぎりすべて記録することが望ましいと思われます(たんなる店頭での売り捌き書店は除く)。
NCRでは、これまでの慣習を引き継いで、2.4.2.1D(古)で「和古書,漢籍については,出版地ごとに出版者を記録する。一つの出版地に2以上の出版者等の表示があるときは,顕著なもの,最後のものの順で代表とする一つを選択して記録し,他は「[ほか]」と補記して省略する。」としていますが、とくにオンラインデータベースでは、有効な検索結果集合をつくるという観点から、やはり省略せず、別法2(古)に「記録する出版者等の数は,書誌的記録作成機関において,その必要に応じて定める。」とある規定を採用し、「全部必要」と考えていただいたほうがよいと思います。もちろん、システムの制限で入力できる出版地や出版者の数に制限がある場合は仕方がないので、出版事項として記録できなかったものは注記に記録することになります。ただしその場合でも、三都の出版者はできるだけ、出版事項として記録するようにしたほうがよいでしょう。

代表的なもののみ記録するにしても全部記録するにしても、出版者が複数存在するわけですので、どの順番で記録していくかが問題になります。この問題については「刊記書肆連名考」といった専門の論文もあったりするのですが、刊記・奥付から採用する場合、原則として「後ろ(左)から順番に記録する」というのがスタンダードなやり方です。
共同刊行者のうちだれが主版元かということは、ほんとうは当時の出版記録などで確認しなければならないのでしょうが、跋文の内容を読んだり、あるいは見返しや版心に一人だけ記載されている堂号と照らし合わせたりしても、たしかに奥付の最後のひとがメインだと判断できることが多いです。広告や出版目録が附されている場合も、奥付の最後のひとと一致することがわりと多いと思います。
といって、もちろん例外はしばしばあるので、たとえば京都の植村藤右衛門(伏見屋)という出版者の奥付の場合、いちばん右に本店を書き、支店を左に記していくスタイルになっています。また、往々にして奥付の主版元の下には「梓」とか「版」とか一文字追加されたりしているのですが、たいていは最後のひとであるものの、時々真ん中あたりのひとにそうした字が附されていたりすることもあります。また、主版元のところに朱印が捺されていたりすることもよくありますが、ただしこれについては、たんにそのひとの店頭で売っていた場合に捺しているようなケースもあるようなので、一概には言えません。
なお、見返し・扉に複数の出版者名(ふつうは堂号です)が列記されている場合は、刊記・奥付とは逆に前(右)からの順になっているのがふつうです。

ということで、「顕著なもの」が明きらかである場合以外、基本的に出版者は刊記・奥付の後ろから記録していればまず問題ないと言えるでしょう。もっとも、『日本古典籍総合目録データベース』の「書誌一覧」では、「出版事項」の欄は前から転記していたりするようです。ただ、これはこのデータベース(ちなみに出版者は独立した検索対象になっていません)において、それぞれの欄の内容はまとまって一つのものとして表示するようにしているからであって、NCR等の目録規則ではやはり、最初に記録する出版者と2番目以降に記録する出版者とでは意味づけが違ってくるかと思います。実際の図書館システムでも、簡略表示では最初の出版者のみ示すようになっているものもよくあると思いますので、主版元を選定してそれを最初に記述するようにすることはやはり必要だと思われます。

この主版元を一番後ろに記載するやり方は明治に入ってもしばらくはつづきますが、途中から現代風に、主要な出版者を前(右)から順番に記載していくように変わってきます。この切り替えはだいたい明治10年代くらいに進んだようですが、この前後のものははたしてどちらの方式なのか、それぞれの図書ごとに注意して見ていく必要があります。傾向としては、奥付に著者と並んで記されている場合や、異なる役割の出版者が列記されている場合は、現在と同じく前から記録したほうが適切なことが多いように思われます

2016年8月25日

山の匂い?

8月の雑記のテーマは「山」。

我が家は母が山好きなこともあり、夏休みはよく山に行きました。
最初は箱根界隈でしたが、
そのうち乗鞍、御嶽、妙高、八ヶ岳など結構本格的に。
(本当は行ったというよりは、連れていかれたといった方が正しい表現)
朝に弱いので、御来光を見るための朝3時起きがとにかく苦手で
日の出前からトレイルランニングかっ!というスピードで登っていく妹が恨めしかったです。
山頂で見た朝日は素晴らしいものでしたが、
何度行ってもあの早起きだけは慣れませんでしたね。

登山に欠かせないのが地図です。
家では昭文社の「山と高原地図」のシリーズが定番でした。
昔は独特な防水加工の香りが
おそらく今よりも強かったように思うのですが、
雨に濡れると当時小学生の鼻には一層強烈でしたねぇ...。
でも霧に包まれても雷雨の中で開いても、全然破れないところは
さすが防水加工!と感心したものです。

数年前に標高2500mの山で高山病にかかってから
私は山登りを卒業しましたが
今も他の家族は登っているので、
実家の書棚では「山と高原地図」が一角を占めています
ガラス戸を開けてあの独特の香りを嗅ぐと
懐かしい山登りの記憶が蘇ってきます。

2016年8月24日

きょうのデータ部☆(8/24)

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TRC本社1階ショールームでは、写真のように本が展示されています。
この中の一部は、バーコードなどが貼られており、実際に社員に貸し出しをしたりしています。
私はまだ借りたことがないのですが、毎朝ここの前を通る度に、何か読んでみたいなぁという思いに駆られます。
今度連休が来た時、借りてみたいです。

2016年8月23日

偶然の...

本日は「週刊新刊全点案内」1976号の発行日です。
掲載件数は1001件でした。


*こんな本がありました*

「偶然短歌

いなにわ せきしろ(著)
飛鳥新社(2016.8)

偶然短歌とは、ウィキペディアの文章の中で、偶然に短歌のリズム(5・7・5・7・7)になっているものをプログラムで見つけ出したものだそうです。
いくつか紹介してみましょう。


「フクロウが鳴くと明日は晴れるので洗濯物を干せという意味」
「空洞になっているため、大きさを支えきれずに壊れてしまう」
「小説を書き始めるが、そのことで、大事なものを失っていく」


ウィキペディアの文章なので本来は単なる解説文のはず。それを機械的に抽出したものが、なぜこんなに意味深長なのでしょうか。
3つめの偶然短歌なんて、ここから作者の苦悩の物語が始まっていきそうです...。

自分でも文章を書いて気が付くと5・7・5調に偶然なった、ということがあります。やはり5・7・5(7・7)のリズムは日本人に心地よいものなのでしょうか。

2016年8月22日

蔵版と製本―和漢古書の出版事項⑩

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、出版者を示す様々な役割表示について見てきましたが、列記した以外で、版木(あるいはその所有権)を持っていることを示すものとして「藏版(ぞうはん)」「藏板」「藏梓」「貯板」などといった表示があります。たんに「藏」とあるのもこの意味です(なお、これに対し、たんに「版」「板」「梓」とあるのは動詞句と見るべきであって、版木に加工した意であり、蔵版者のこととは見なさないほうがよいです)。
江戸時代には著作権という概念は基本的に存在しませんでしたが、版権に相当する概念はあり、「板株(いたかぶ・はんかぶ)」の権利として、幕府から統制と保護が加えられていました。この権利は文字通りには「板木」の権利なので、逆に写本というものには原則として幕府の統制は及ばず、したがって実録物とか猥本とかいった類のものはもっぱら写本で流通していました。興味深いことに、活字印刷のものは写本扱いとなり、したがって版権というものは生じませんでした。たしかに半永久的に残る整版と違って、活字をいったんばらしてしまえば「版」としてはそれっきりですからね。
ということで、この「板株」の権利はほんらいまったく即物的なものであったわけですが、時代が下がるにつれ、たとえば焼けてしまっても権利は残るなど、かならずしも版木の所在それ自体に即したものでもなくなってきました。この板株を所有し出版する権利を有していることが「蔵版」であり、和漢古書における特徴的な存在と言えます。

蔵版者には、著者自身など、基本的に商業的出版活動を行っていない「素人蔵版」の場合と、営利出版者がそれになっている場合とがあります。前者の場合、著者やその家塾がいわば私家版のかたちで刊行し、売れ筋となったら営利出版者に発行者となってもらって広く流通経路に乗せる、というのがありがちなパターンです。後者は、そうした版木の権利を買い取ったケースのほか、あるいは当初から出版者の企画商品として版の作成から販売にいたるまでを行う場合もあります。
それらの版木あるいはその権利は何度も転売されるようなこともあり、版木あるいはその権利の移動があったことを示すものとして「求版(きゅうはん)」「購版(こうはん)」「買版(ばいはん)」「蘄版(きんはん)」などといった用語があります。

蔵版者は、他の出版者(発行者等を含む)がある場合は、原則として注記に記録します。他の出版者がない場合(発売者のみある場合を含む)は、注記した上で、書店や官公庁(藩)の場合は出版者として記録してよいですし、個人・私塾の場合も補記括弧に入れて出版者として記録してよいと思います。
ただし、刊記・奥付において現代の市町村に対応するレベルの地名以下の地番・街区とともに表示されている場合は、基本的に営利出版者であり、「蔵版」とあってもふつうの出版者として扱ったほうがよいです。
この蔵版者というのは漢籍(唐本)でも存在しますが、中国の場合も、公的機関や家塾のほか、書店であることもよくあります。「本衙(ほんが)蔵版」(「衙」は「役所」の意)のようにあって蔵版者を特定できない場合は、注記にそのまま「封面に「本衙蔵版」とあり」などと記録し、出版者は不明としておきます。

「蔵版」のほかに注意したい表記として、「製本」があります。現代書では印刷・製本者ということで、出版者としてはふつう記録しませんが、明治前期を含む和漢古書においては、そうした存在と判断してしまうとまずいことがあります。和漢古書における「製本所」は、『日本古典籍書誌学辞典』に「本屋以外の素人蔵版の書籍の製作を請け負う書肆について、版元と区別するために製本所の称をもって刊記に記す場合も多い」とあり、要するに発行者のことなのです。実際、「製本發兌」といった役割表示もしばしば見られます。もちろん、製本者と発行者が異なる場合もあり、その場合は製本者=出版者、発行者=発売者となります。
ということで、「製本」「製作」「調製」あるいは「印行」なども、他に出版者がなければ、現代書とは違って、「出版者」として記録するほうが適当です。ただ、他に出版者がある場合、とくに製本者が発売者より後に記されている場合などは、これらや「刻字」「剞劂(きけつ)」などは、まさに現代の「印刷・製本」とほぼ同じ、すなわち製作者として扱ってよいでしょう。

以上見てきたような多様な役割表示は、幕末から明治期にかけてはまさに過渡期ですので、意味が重なり合いながら微妙にずれてもいるようであったり、一概にこう、と言えるものはありません。実際「出版」「版主」「版元」などと表記があるのは、完全に蔵版者の意味で使われていたりする場合もあり、「出版人」とあっても注記にまわしたほうがよいことだってあるのです。
といった具合に、これらの表記の意味するところとそれぞれとの関係は、きわめて複雑多岐な、ほとんど怪奇的なまでの様相を呈しており、整理するのは容易ではありません。すくなくとも明治以降のものについては、現代書として扱うことも多いですし、ほんらいならば、日本の目録規則でこそきちんと規定しなければならないはずのところだろうとは思いますが、現実にはなかなかたいへんなことかとは思います。

博物館、図書館、文書館、公民館(MLAK)東日本大震災被災救援情報
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