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2017年8月 アーカイブ

2017年8月21日

「大和綴じ」はどっち?-和本の装丁(1)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

以前、「和装」の説明で、「紙を袋とじにし、それを糸で綴じたものを言うが、ただし実際にはいろいろなヴァリエーションがある」と書きました。今回からはそのことについて書こうと思いますが、ただし、この問題も、迂闊に足を踏み入れるとなかなかたいへんなことになりますので、慎重に書きたいと思います。

「和装本」というと、ふつうには紙を山折りにして重ね、折り目の反対がわを糸で綴じた「袋綴じ」が一般的ですが、和装本の一種として説明されるもので、「大和綴じ(やまととじ)」というものがあります。一般的には、袋綴じのものと同じく背は無く、表紙の上から2箇所にリボンや紐を通して表面で結んで綴じたもののことで、明治から戦前の写真帖などでよくあります。紙自体は必ずしも袋状になっているとはかぎらず、洋紙を重ねたものを綴じているものもよく目にします。

この綴じ方、刊行物においては基本的には明治期以降になってから使われるようになったもので、江戸時代以前の刊本では実例は少ないと思われるのですが、その一方、「大和綴じ」という呼称自体は存在していました。どういう装丁に対して用いた呼称かというと、ちょうど今日の大学ノートのように、紙を数枚重ねて折りそれを一くくりとして、数くくりの折り目を糸で綴じあわせた、ふつう「列帖装(れつじょうそう)」と呼ばれる綴じ方のことだったようです。
なお「列帖装」とは、紙を折り重ねた「帖」を列(つら)ねたもの、ということで「列帖」と言うのだと思われますが、実際は、一くくり分だけの場合もあります(「列葉装(れつようそう)」という言い方もあるのはそのためかと思います)。

この「列帖装」、和歌や国文関係の書物に多く用いられますが、もともと平安時代の冊子本の装丁として一般的だったものと考えられます。江戸時代、和刻本漢籍や準漢籍で標準だった、紙を袋状にして糸で綴じた「線装」を、中国由来の綴じ方ということで「唐綴じ(からとじ)」と呼び、それと対比させてこの綴じ方を「大和綴じ」と称したということのようです(用例としては室町後期まで遡ります)。
ということで、同時代的な意識を尊重すれば、この装丁のことをこそ「大和綴じ」と言うべし、ということにはなるのですが、しかしながら現実には上述のような明治期以降の写真帖の装丁のことを指すのがある程度定着しています。それに「大和綴じ」というといかにも日本オリジナルのもののようですが、もっと時代を遡ると唐代中国の敦煌写本の遺物などにこの「列帖装」のものもあるということで、その意味でも「大和綴じ」の使用は避けて「列帖装」にしておいたほうがよいようです。

いずれにしろ、江戸以前のものについて「大和綴じ」というタームを使うと混乱を招くと思われますので、現在ふつうに言うところの「大和綴じ」に類した江戸以前のもの(実例は多くありませんが)については、「結び綴じ」という言葉を使っておくのが無難かと思われます。

2017年8月10日

大人になった?

今月の雑記のテーマは「アイス」です。

思い出のアイスは「レディーボーデン」
濃~いバニラ味が子どもの頃から好きです。
一時、謀ミニカップアイスやらクリスピーサンドに浮気しましたが
結局、昔好きだった味に戻ってしまいました。

夏休みになると、メロン味のかき氷シロップに炭酸飲料を入れてメロンソーダをつくり、
そこにアイスクリームを浮かべて、クリームソーダをよく作っていました。
スプーンの柄の部分がストローになっているクリームソーダ用の金属製スプーンを親が買ってきてくれたことも拍車をかけていた気がします。(現在も愛用中)


大学生になり1人暮らしを始めたとき、一番はまったのが
「レディーボーデン」を一気に食べきること
(当時はミニカップサイズなんてなかったので...)
兄弟の邪魔も入らず、ゆっくり1人で味わえる幸福感、
あっという間に習慣化していました。

今でも「レディーボーデン」に手が伸びますが
もうミニサイズで充分...
アイスケースの前で若気の至りと胃の老化を実感する人なんて私くらいかと思ったら

「レディボーデン」の公式サイトによると
ミニカップの"大人のひととき"シリーズは
最近量が食べられなくなって
品質にはこだわりたいシニア世代の求めるアイスなのだとか。

いつの間にかシニアデビューしていたようです。


TRCデータ部は、8月11日(金)から18日(金)まで、夏季休業となります。
ブログの更新もお休みさせていただきます。

2017年8月 9日

きょうのデータ部☆番外編2(8/9)

前回に引き続き、今年度入社の新入社員をご紹介します。
配属から1か月、そろそろデータ部にも慣れてきた頃だと思います。


8-9.jpg

「データ部新人の菅原と申します。正確なMARCを迅速にお届けできるよう、精一杯つとめさせていただきます。よろしくお願いいたします。」

2017年8月 7日

存巻と欠巻―和漢古書の書誌的巻数(続)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、和漢古書のタイトルの一部として記録する「書誌的巻数」についてひととおり見てきましたが、巻単位で欠失がある場合、そのことも「書誌的巻数」の位置で表現します。なお、巻単位ではなく単に欠損があるという場合は、注記にのみ記録することになります。

NCR87R3の2.1.1.1A(古)を見てみると「欠本の場合は、完本の巻数を記録し、続いて記述対象の現存巻数を丸がっこに入れて「存」字を先立てて付記する。完本の巻数が不明な場合は、現存巻数のみを丸がっこに入れ、「存」字を先立てて付記する。存巻ないし欠巻の内容や残欠の状況については、注記する。(2.7.4.8参照)」とあります。
基本的にこれでよいのですが、欠巻がある場合、つねに書誌的巻数のところで記録するかというと、冊子目録等では、全体の半分もしくは1/3程度以上が欠けている場合のみ「~巻(存○巻)」と記録し、欠巻の割合が少ない場合は注記するにとどめていることも多く、実質それで問題ないだろうと思います。すなわち「大倭本草 16巻附録2巻諸品圖3巻 (存12巻附録2巻諸品圖3巻)」などという書きかたはいささかくどすぎるのであって、こういう場合タイトルは「大倭本草 16巻附録2巻諸品圖3巻」とだけして、欠巻の内容を注記するのみでじゅうぶんとする、というのがむしろ伝統的なやり方です。
また、NCRの例示も、注記で使用している記号などあまり適切なものとも言いがたいような気がしますし、「存巻」「闕巻」というのは漢籍では使いますが、和古書の場合は「~を欠く」「~を存す」といった書き方のほうがよいかと思います。ちなみに漢籍の冊子目録などで目にする「闕巻第2第4至第6」といった書きかたは「第2, 4~6巻を欠く」ということを意味します。
なお、一部の巻しか残っていないものを翻刻したとか、成立時や刊行時から一部の巻が欠けていたとかいう場合は、「原闕巻~」と注記します。

さて、存巻の記録にあたって注意したいのは、タイトルのところで書誌的巻数として記録するのは、あくまで「何巻分がある」「何巻分が残っている」ということであって、「第○巻が残っている」ということではない、ということです。たとえば、全5巻の図書で、残っているのが第1巻だった場合も第2巻だった場合も、書誌的巻数の記録はどちらも「5巻(存1巻)」ということになり、「第1巻を存す」「存巻第2」といったことは注記に記録することになるわけです。
逆に言えば「5巻(存2巻)」とあったら、それは第2巻が残っているということではなく、第1と2、あるいは第3と4、その他どういう組み合わせでもよいのですが、「2巻分が残っている」ということを意味します。時々そのことを明きらかに勘違いして記録している書誌を見かけますが、「巻次」と「巻数」とを混同しないように、よくよく注意しましょう。

以上、書誌的巻数につきいろいろ述べてきましたが、いくつか補足しておきたいと思います。
図書によってはもちろん、「巻」というかたちで中身が分かれていないようなものもあり、そうした巻立てがないような本の場合、NCRでは巻数は記録しなくてもよいことになっています。ただし、漢籍の場合は、そうしたものも「1巻」もしくは「不分巻」と記録するのが伝統的なやり方であり、冊子目録などではそうなっていることが多いです(おおむね本体が50丁を超える場合に「不分巻」とします)。
なお、巻立てされていない本体と附録等から構成される場合は、「1巻附録1巻」のように記録することができます。こうしたものを「朱子訓子帖 1巻附録1巻」という具合に記録したほうが、「朱子訓子帖」と「訓子帖附録」の合集、といったようなかたちで記録するより、はるかにスマートです。

巻数をカウントする場合、たいていは巻次が各巻の首尾に記されているのがふつうですので、そこを数えて記録します。巻首・巻尾に明記されていない場合も、版心やのどに記載があることが多いです(ちなみに草双紙類の場合、5丁ごとに柱の上段・中段・下段が黒塗りされているなどしていて、それが巻次を示していることになります)。それらに記載がなくても、目次から判明・採用する場合もあります。だたし、それぞれ虚偽の巻次・巻数を記している場合もありますので、注意が必要です。
基本的に、1巻のなかでは丁数は原則として連続しており、巻が改まると丁付けも改まるのがふつうです。ただし、丁付けが連続していても、本文等に巻が改まっていることが明示されていれば、そこから巻が改まったものと見なすことができます。とは言っても、内容が変わっただけでは巻が改まったとは見なしません。
逆に、本文に巻が改まっていることが示されていなくても、丁付けが改まっていれば、そこから巻が改まったものと見なすことができます。
なお、1つの巻がさらに「上下」や「乾坤」に分かれている場合もありますが、そうした場合は複数巻としてカウントせず、あくまで1巻分としてカウントするのが原則です。

多巻ものの古典で1巻だけ残っているようなもの(零本)などの場合は、「源氏物語若紫巻」「大般若波羅密多経巻三百八十二」のように、巻次を含めて本タイトルとして記録することができます。この場合、数字はアラビア数字に置き換えることはせず、情報源に表示されているままに記録します。あるいは、巻次にあたる部分はタイトル関連情報として記録するのでもよいかもしれません。

なお、題簽や見返しに「全」「単」「完本」などとあるものは、図書の構成状態を示すものですので、書名の不可分の構成部分と見なされないかぎり、記録する必要はないかと思います。

2017年8月 8日

気になる日本茶

本日は「週刊新刊全点案内」2024号の発行日です。
掲載件数は1156件でした。


*こんな本がありました*

僕が恋した日本茶のこと

ブレケル・オスカル(著)
駒草出版(2017.8)


スウェーデン生まれのオスカルさんは高校生時代に日本茶と出会い(「うわっ、何だこれは。」)、岐阜大学への留学を経て、日本で就職。日本茶インストラクターの資格を取得し、国内外に日本茶を紹介する活動を続けている方です。

日本茶、たしかに毎日飲んでいる。個人的には江戸時代の水茶屋みたいな日本茶と塩せんべいなんかが出てくるような喫茶があったらいいなぁ、と願っている。でも、日本茶、全然詳しくない。淹れ方すらあやしい。産地は2~3カ所なら言えるけど違いがわからない。身近すぎて、当たり前すぎて、あまり気にしていなかった存在でした。

オスカルさんが日本茶に恋して、日本行脚したり、急須コレクションを紹介されたり、魅力を語られたりするのを読むと、あぁ今度日本茶葉を購入する時はよく表示をみてみよう、丁寧に淹れてみようと思うのでした。

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2017年8月 4日

和漢古書の書誌的巻数

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、和漢古書における「~篇」「~輯」などの「巻より大きなまとまり」について触れました。その「巻」ですが、現代書では「巻」は「冊」と基本的にイコールとして使われますが、以前述べたように、和漢古書ではまったく異なるものを指しますので、これはきっちり理解しておきましょう。
元来からすれば、中国や日本においても、図書は基本的にもともと巻物として誕生したわけで、巻物の場合当然ながら、「○巻」というのがイコール物理的にいくつある、ということを示していました。ところが、巻物から冊子に図書の主流が変わってきた際、この「巻」というのは物理単位と直接かかわらなくなりました。すなわち、もとの巻物の何巻分かを1冊に綴じることもありましたし、1巻分を複数に綴じ分けることもあったわけです。
そのようにして、「巻」は物理単位としては使われなくなったのですが、ただ著作のなかのまとまりを示す語としては使われつづけました。現代書で言えば、ちょうど「章」のようなものですね。
ただ「章」などとはやはり意味合いが違い、たとえば『類聚歌合』(るいじゅうたあわせ)という同じ書名で10巻本と20巻本とでまったく内容が違う、といったようなことも多々ありますので、和漢古書では、「全体が何巻から成っているか」というのは非常に重要な情報として、書名の一部として記録する慣習になっています。
NCRではこれを「書誌的巻数」と呼称しており、87年版改訂3版では「2.1.1.1A(古)和古書,漢籍については,書誌的巻数を,本タイトルの一部としてその末尾に,スペ-スに続けてアラビア数字で記録する。」と規定しています(改訂前はカンマ,スペ-スに続けて記録していました)。例示にあるように、「古今和歌集 20巻」などと書くほか、本体の通巻と別に「附録」とか「補巻」とかがある場合は「八家四六文註 8巻補1巻」といったぐあいに書きます。

前回触れたように、各巻の書名が途中で変わっても、合集や合刻でないならば、1書誌として扱い、全体の巻数を記録します。すなわち、タイトルを「遍照發揮性靈集 10巻」と記録した上で、「第8-10巻の巻頭の書名:續遍照發揮性靈集補闕鈔」と注記する、という具合になります。
逆に、巻数の表示が連続していても、合集あるいは合刻として扱うならば、それぞれの書名と巻数を数えて記録します。たとえば『儀禮經傳通解』『儀禮集傳集注』の合刻本で、版心の巻数は第1から第37までの通巻だったとして、タイトルの記録としては「儀禮經傳通解 23巻」「儀禮集傳集注 14巻」となります。

「巻」と同じ意味で、「輯・集・編・篇・回」などが使われている場合、そのまま同様に「4集」「10編」のように記録します。中国の明清のころの白話小説(章回小説)にその例が多いですが、「~巻~回」などとなっている場合、ともに巻数として「平山冷燕 4巻20回」のようにつづけて記入します。
「~集~巻」のように、巻より大きなもとまりを表わすものについては、前回見たように原則として書名の一部として扱うか、あるいは巻数と連動する部編名として扱い、「和説假名論語 前編3巻後編3巻三編3巻」という具合に、数字があっても漢数字のまま記入します(なお、この例は「和説假名論語 3編9巻」と書くことも可能です)。

巻頭の書名について述べたときに書きましたが、書名の記録において共通部分の抽出を行なった場合、「杜律集解 五言4巻七言2巻」のように、非共通部分は巻数と連動させて表記することができます(現物は『杜律五言集解』4巻と『杜律七言集解』2巻)。このとき、全体の巻数を記録する必要はありません。
同様に、巻数と連動する部篇名は「東華續録 咸豐朝100巻同治朝100巻」のように巻数の前に記録します。

全体の巻首・巻末に、内容のあるまとまった分量の記事が本文の巻数と別個に入っている場合、「首~巻」「末~巻」と記録します。もっとも、序・凡例・目次・跋のように本来存在して当然なものは、たとえ目次や版心に「首巻」「末巻」などと記されていてもふつう記録しません。ただし、それらが2巻以上ある場合、また複数冊のもので1冊がまるまるそれらに充てられている場合などは、「目録2巻」「序目1巻」などと記録します。
図版・表などは、内容のあるまとまった分量のものが本文の巻数と別個に入っている場合も、「圖~巻」「表~巻」と記録します。ただし、目録もしくは版心などに明記されていなければ、とくに必要が認められないかぎり記録しなくてよいです。
なお、現物では「附録」や「表」などが本体より前にあったとしても、書誌的巻数の書きかたとしては、あくまで本体の巻数を最初に書き、「桂洲先生文集 50巻首1巻年譜1巻」のように記録します。

本文に付随する性格のものが本文の巻数と別個に入っている場合は、「坿~」と記録することができます。「疇人伝 52巻坿近代疇人著述記」のような具合に書きますが、このとき、「近代疇人著述記」は内容著作として改めて注記しておいたほうがよいでしょう。上にあげた「図」「表」「附録」などで、それらが固有のタイトルを持つ場合なども同様です。
なお、「桂洲先生文集 50巻首1巻年譜1巻」のような場合も、「桂洲先生文集 50巻首1巻坿年譜1巻」のように「坿」を用いる書きかたもあり、どちらでもかまいません。冊子目録などでは、年譜のような伝記資料が含まれている場合、索引に副出するために「坿」を用いていることが多いようです。
また、本体と別個のものがひとまとまりとして付随している場合のほか、各巻末に「音義」とか「校勘記」とかいったものが附されているようなケースでも、「坿」を用いて「九章算術 9巻坿音義」のように書くことができます。

2017年8月 2日

きょうのデータ部☆番外編(8/2)

今年は2名の新入社員がデータ部に配属されました。
本日はその内の1名を、意気込みも併せてご紹介します。
新たなメンバーを今後もよろしくお願いいたします。


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「新刊班に配属されました入江と申します。スピードと信頼性を兼ね備えたMARC作りに貢献していけるよう日々精進いたします。よろしくお願いします。」

2017年8月 3日

懐かしの宝石箱

今月の雑記のテーマは、夏らしく「アイス」です。
今でこそ、いろんな味のおいしいアイスが簡単に手に入るようになりましたが、わたしが小さい頃は種類も味も限られていて、それでもアイスが食べられれば大満足していました。

今でも忘れられないのが、「宝石箱」というアイス。
これは多分、同世代の人にしかわからないのではないかと思いますが...。
クリーム系のアイスの中に、まるで宝石のように氷のかけらが入っているという、当時としてはかなり画期的なアイスでした。
お値段も、ほとんどのアイスが50円だった時代に、かなりお高めだった記憶があります。

夏休み、ごくたまーに庭の草むしりのお手伝いをすると、祖父が「これでアイスでも買ってこい」と言って千円札をくれ、きょうだい3人で近所のお菓子屋さんまで走っていき(まだコンビニのない時代...)、ここぞとばかりに宝石箱を買っていました。
子どもの草むしりなんてお遊び程度で、全然役に立っていたわけではないのですが、同居していながらも、普段から寡黙であまり話をしない祖父との、めったにない交流がこれでした。
今でも夏になると、懐かしく思い出されます。

2017年8月 1日

硬い私のストレッチ

今日は「週刊新刊全点案内」2023号の発行日です。
掲載件数は1173件でした。
今月の表紙はこちら。

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夏休みの観察日記で、学校でもらったタネを、何色の花が咲くのかもわからないまま育てて、1つ目のつぼみを見つけた時の気持ち! 描いていて、何となく思い出しました。濃い青紫で、「淡いピンクだったら良いのに・・・」と思った覚えがあります。(Juriさん)


*こんな本がありました*

世の中は夏休みですね。うちの子どもも早起きして、お友だちと一緒に近所のお寺の境内にラジオ体操へ。それなら、と私もしばらくサボっていたラジオ体操を家でやってみました。
...そしたら、です。
前に3回体を倒して後ろに反る、あの体操で全然床に手がつかない! 膝のうらが超痛い!! そして数日後にそれだけで筋肉痛!!!
もともとものすごくカラダが硬い私。加えて、日頃全く運動をしないものだから、カラダがガチガチになっていたようです。これはいかん、毎日少しずつでもストレッチとかした方がいいかなぁ、と思っていた矢先、今週号にこんな本がありました。


体が硬い人のための柔軟講座
(NHKテキスト)

中野ジェームズ修一(講師)
NHK出版(2017.8)


ああ、ありがとう。私のための本ですね。
でもそういえば、前にも同じような本を買って、うちでお蔵入りしているような。買って数日はがんばるのに、すぐ続かなくなって...。ダメな私。そしたら、こんな本も見つけました。


ずぼらさん、ぐうたらさんでもできる朝1分夜1分軽・楽すとれっち ゆるゆる健康運動指導士が唱える明るく楽しい動けるカラダづくり

吉田真理子(著)
ベースボール・マガジン社(2017.7)


私が買うべき本はこっちですかね(笑)

脚が90度も開かない硬い私が憧れるのは、両足を横に広げた開脚。ところが、こんな本もありました。


ベタッと開脚してはいけない。 どんなにからだが固い人でも、痛みがなくなり心が整う「1分ウォーキング」

新保泰秀(著)
講談社(2017.7)


え? 開脚いけないの? じゃあ、そこは目指さなくていい??(1度も開けるようになったことないけど。)
でもやっぱり、ガチガチよりはカラダ柔らかい方が健全な気が。毎日ちょっとずつでもストレッチして、ちょっとだけでもカラダほぐせるといいなぁ...今度こそ。

博物館、図書館、文書館、公民館(MLAK)東日本大震災被災救援情報
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