前回、名前の前後にさまざまな文字要素がついた人物表記について書いてみました。実際に目録をとるとなると、現物のこうした表記から適切なかたちを抽出して記録するわけですが、記録の順番としては、現代書と変わりなく、直接的な著作者を先に、二次的な関与をした人たちを後につづけて記録することになります。巻頭の表記でもそういう順番になっていることがふつうですが、つねにそうとは限らず、大先生が校閲したような場合は、そっちのほうが先頭に書いてあったりすることもままありますので、単純にある通りの順番に転記すればいいわけでもありません。
また、巻頭にある記載はすべて責任表示としていいかというと、必ずしもそういうわけでもありません。たとえば、『唐詩訓解』という書物では、巻頭は「李攀龍選 袁宏道校 余應孔梓」となっています。この最後の人は上梓すなわち出版した書店の主人で、著作そのものには関与していません。このように出版者が著者と並んで巻頭に出てくるケースは、明(みん)以前の中国で出版された漢籍にわりと見られるものですが、それを翻刻したものにも原本の通りに記載されていることがよくあります。
ところで、清(しん)代中期以降の出版物で、著者につづけて「校刊」といった役割の人が書かれているケースをしばしば見かけます。『全國漢籍データベース』などでは、これらを出版者として記録し、著者とはしていないことが多いのですが、これはどうでしょうか。
たとえば明治時代の出版物で、見返しに「文部省校刊」とあれば、文部省が校訂して出版したということで、「文部省」が出版者であるのは間違いありません。しかし、「刊」というのは「出版」という以前に、本来の意味として「木を刻みこむ」「木を削る」ことそのものを意味しますので、文章を校訂して版木を修正させる作業が「校刊」なのです。すなわち、「校字」とか「校正」とかと基本的に同じことで、出版・発行には直接にはかかわっていないと見られるケースも多いのです。
ですので、「校刊」「校刻」「校梓」あるいは「刊正」「訂梓」「較刊」(較は校と中国語で同音同義)といった表記が巻頭にあったら、出版にかかわっていることが明きらかである場合以外は、出版者ではなくて責任表示として記録したほうがむしろよいと思われます。
このように、「ひとつのタームがいろいろな意味を持つ」ということと、「同じ意味を表すのにいろいろな表記がある」ということとが錯綜して絡み合っているのが和漢古書の世界であり、そこがやはり現代書と違ったむつかしさの要因のひとつになっていると言えるかもしれません。