こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。
前回、江戸時代には「大和綴じ」と称された「列帖装(れつじょうそう)」について書きました。この「列帖装」、「れっちょうそう」とも読み、「粘葉装(でっちょうそう)」が訛(なま)ったもの、という説明がなされていることもあります。
「粘葉装」とは何かというと、これは糸綴じではなく、糊付けによって紙をつけ合わせた装丁です。具体的には、袋綴じとは逆に紙を谷折りにし、折り目の外がわの「のど」のところに糊をつけて貼り合わせていくもので、日本では糊を広めにつけるので、平らに開き切るところと貼り合わせたところが交互に現れる感じになります(中国ではごく細く糊をつけるのであまりそうはなりません)。また日本の紙のほうが堅牢なので日本では両面に印刷・書写されることが多いですが、中国では表(おもて)面のみ用いることが多く、結果として印刷面と白紙面が交互に現れることになります。
「列帖装」と「粘葉装」は上述のとおりかなり異なった綴じ方なのですが、開いたときの見た目の感じが蝶が羽を開いたようだというところから、ともに「胡蝶装(こちょうそう)」と呼ばれることがあります。歴史的には「胡蝶装」はあくまで「粘葉装」の別称と見たほうが正しいようですが、「列帖装」のことだとする説も江戸時代からあり、そうなると「胡蝶装」は両者の総称という説明がされることもあります。あるいは、「粘葉装」は和本の場合について用い、唐本については「胡蝶装」と呼ぶように使いわけるのがよい、といった論もあります。
さて上記の「列帖装(大和綴じ)」についてなのですが、「列帖」というと「紙を重ねたもの(帖)を列ねたもの」というだけで、糸綴じか糊付けかを示すものではない―だからこそ「訛ったもの」という説明も成り立つのでしょうが―ということから、「粘葉装」と区別する意図で、「綴葉装(てつようそう)」という語が昭和に入ってから造語されました。
このターム、「てっちょうそう」とも読み、紙葉を糊付けする装丁(粘葉装)に対して、紙葉を糸で綴りあわせる装丁ということなのだからまことに正確な命名だ・・・と言っていたりもするのですが、でも何も「れっちょうそう」「でっちょうそう」とこんなにも響きが近い名前をわざわざ新しくつけなくてもいいのに! と思うわけです。
ちなみに、長澤規矩也氏などは「綴」を「テツ」と読むのは通俗読みで、ほんらいの音は「テイ」である、したがって「ていようそう」と称するべし、と言われています。ああ、書いているわたしも何だか眩暈がしてくるようです。恐るべし。
眩暈ついでにもうひとつあげておくと、「鉄杖閉(てつじょうとじ)」という用語が古い文献に見え、これは「粘葉装」のことだと言うひともいれば、「綴葉装の古称」という解説もあります。実際はよくわかりませんが、藤森馨氏の『図書学入門』によれば、この場合「鉄杖」は千枚通しの錐のようなもののことで、「鉄杖閉」は重ねた紙に穴を開けて紐を通して結んだ「結び綴じ」、すなわち前回書いた今の大和綴じのような装丁を指す、という見解が有力になってきているようです。
以前、「「ひとつのタームがいろいろな意味を持つ」ということと、「同じ意味を表すのにいろいろな表記がある」ということとが錯綜して絡み合っているのが和漢古書の世界であり、そこがやはり現代書と違ったむつかしさの要因のひとつになっていると言えるかもしれません」などと書きましたが、しかし和本の装丁のこの用語の錯綜ぶりについては、さすがにちょっと手ごわすぎる、と言わざるをえないように思います・・・。