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それも経書?― 和漢古書の書名の漢字:「經」(2)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回見た通り、「経」はほんらいは儒教の経典にのみ使用されましたが、そこから援用したかたちで、それぞれのジャンルで正統的な古典と位置づけられる書物にも用いられるようになりました。典型的なのは、仏教におけるスートラsutraの訳語としての「経」で、われわれにとってはもう、「経」といってまず連想するのは、「阿弥陀経」とか「法華経」とかいったそうした「お経」ですね。ちなみに、「バイブル」の中国語訳は「聖経」、「コーラン」は「古蘭経」で、当然のごとくに「経」を使っています。
なお、「経」は中国語ではとくに区別したりせず、みなjingと発音しますが、日本語では儒教の場合は漢音の「けい」、仏教の場合は呉音の「きょう」と読みます。もっとも、「易経」「書経」「詩経」(こうした言い方をするようになったのは宋代以降のことです)については、「えききょう」「しょきょう」「しきょう」と読みならわしていますが、和刻本の中にはわざわざちゃんと「エキケイ」「ショケイ」「シケイ」とルビを振っているものもあります。

仏教の影響を受けたかたちで、道教でも『老子(ろうし)』を「道徳経(どうとくきょう)」、『関尹子(かんいんし)』を「文始真経(ぶんししんきょう)」、『列子(れっし)』を「冲虚至徳真経(ちゅうきょしとくしんきょう)」、『荘子(そうじ)』を「南華真経(なんかしんきょう)」、とそれぞれ呼称しますし、仏経にならってさまざまな経典が作られていきます。
日本でも、神道の書物で『神明三元五大伝神妙経(しんめいさんげんごたいでんしんみょうきょう)』とか『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』といったものが作られました。後者は、『先代旧事本紀』というちょっとあやしいところもある古代の歴史書にもとづき、聖徳太子の編纂というテイで作られたものですが、刊行後に訴えがあって幕府の詮議を受け、偽書と断定されて作成にかかわった人物や版元がきびしく処罰されるという事件になったりしています。
このほか、以前見たように、医学書においても、神農や黄帝といった伝説的存在の名をとった『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』『黄帝内経(こうていないきょう)』といった書物が経典的な地位を占めています。といった具合ですので、逆に自分の著作を「〇〇経」と名づけたりするのはかなり挑戦的なハナシで、実際、前漢末の揚雄(よう・ゆう)というひとは『太玄経(たいげんけい)』という書物を著していますが、これについては「雄は聖人に非(あら)ずして経を作る」と諸儒にそしられたということが史書に載っています。

ただ、「~経」と名づけられる書物にはもう一つタイプがあり、特定の事物や技芸について総合的に論じた書物のタイトルにもこの字が用いられます。こうしたものの元祖は、紀元前に成立した、伝説的色彩の強い地誌の『山海経(せんがいきょう)』になるかと思いますが、ほかに著名な漢籍としては、全国の河川の流路を記した『水経』(北魏の酈道元(れき・どうげん)による注釈をつけた『水経注』というかたちで知られています)、茶にかんする知識を網羅的にまとめた最古の茶書である唐の陸羽(りく・う)撰『茶経』などがあります。算術でも、夏侯陽(かこう・よう)・張邱建(ちょう・きゅうけん)・孫子(春秋戦国の兵法家とは別人)といった著者によるいくつかの「算経」が残されており、後に『算経十書』としてまとめられています。和古書でも同様なノリで、「碁経」とか「菊経」とかいったタイトルのものが作られています。

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