こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。
前々回、和算書について書きましたが、自然科学系の分野のものとして、医学関係の本について触れておきましょう。
医学書は漢籍では『子部・醫家類』に分類され、和刻本もたくさん出されています。ただ残念ながら、長澤規矩也氏の『和刻本漢籍分類目録』には、「漢籍中に在っても、醫書及び佛書は利用者層が他とは全く違ふので、調査の初からこの二種は調査しないでゐたため、今回の目録中からも除いた。」(凡例)ということで収録されていません。
中国では、医学の淵源は黄帝(こうてい)や神農(しんのう)といった伝説的存在にさかのぼるとして権威づけられ、漢代に成立したとされる『黄帝内經素問(こうていないけいそもん)』『黄帝内經靈樞(こうていないけいれいすう)』『黄帝八十一難經(こうていはちじゅういちなんけい)』『神農本草經(しんのうほんぞうきょう)』といった書物が伝えられています。このほか、醫家類で経典的な地位を得ているものとしては、三国志の時代のひとである張仲景(ちょう・ちゅうけい)の『傷寒論(しょうかんろん)』や『金匱要略(きんきようりゃく)』といった書物があります。
つづく六朝時代以降は道教とも結びつき、晉の葛洪(かつ・こう)の『肘後備急方(ちゅうごびきゅうほう)』や唐の孫思邈(そん・しばく)の『備急千金要方(びきゅうせんきんようほう)』といった書物が伝えられていますが、撰者については仮託の可能性も大いにあるようです。宋代以降になると、上にあげたような著作を敷衍したものや注釈書のほか、眼科・小児科・産科・婦人科・外科などの専門分化したものも著わされてきます。
また、薬学にあたるものは伝統中国では「本草学(ほんぞうがく)」と称されますが、動植物に由来する生薬にとどまらず、鉱物や人体に至るまでありとあらゆるものが「薬」になるという立場で書かれていますので、結果として西洋の「博物学」natural historyに該当するものと位置づけられたりもします。明末の李時珍(り・じちん)の『本草綱目(ほんぞうこうもく)』52巻はその集大成とされ、和刻本もいくつも出ているほか、その影響のもと『大和本草(やまとほんぞう)』『廣益本草大成(こうえきほんぞうたいせい)』『本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)』といった和書もいくつも出されています。
醫家類のなかの「養生(ようせい)」というジャンルのものについても一言しておきましょう。これは、もちろん文字どおり、養生法・健康法にかんする書籍なのですが、そのなかには男女陰陽の交わりを通じて気の調和をはかり不老長生を得るという「房中術(ぼうちゅうじゅつ)」のものも含まれています(「房」は部屋の意)。これらには種々の性行為の技法についての記述などが書かれていたりするのですが、スタンスとしてはあくまで「気を養う」ためのものだということになっています。
こうした書物はその性格上、あまり表立って世に伝わらず失われやすいのですが、日本の平安時代に編纂された医書である『醫心方(いしんほう)』という本には、『素女經(そじょきょう)』『洞玄子(どうげんし)』『玉房指要(ぎょくぼうしよう)』『玉房秘訣(ぎょくぼうひけつ)』といった古代中国の房中術の書籍が引用されて残っており、近代になって中国の学者を驚かせました。これらは、清末民国初の書誌学者で、名著『書林清話(しょりんせいわ)』の著者として知られる葉徳輝(しょう・とくき)が光緒29年(1903)に刊行した『雙梅景闇叢書(そうばいえいあんそうしょ)』という叢書に収められています。この叢書は、これらのほか、白楽天の弟の白行簡(はく・こうかん)撰とされる「天地陰陽交歡大樂賦(てんちいんようこうかんたいらくふ)」とか、明末の江南の地の歌妓や妓楼について詳述した『板橋雜記(はんきょうざっき)』『呉門畫舫録(ごもんがほうろく)』とかいった、要するにそっち方面のものを収録した「まじめな」叢書です。