明日発行の『週刊新刊全点案内』は、巻頭に「新設件名のお知らせ」を掲載しています。
新設件名は、TRC MARCで件名標目を新たに採用したものという意味で用いていますので、NDLSHから採用したものも含まれています。
6月に新設した件名は5件でした。そのうちの1つが「生成AI」です。
ここのところ、新刊本の中に「生成AI」という文字を見ることが本当に多くなり(私が「生成AI」という言葉を意識しだしたからだとしても!)、このタイミングでの新設、納得です。
今年の頭に、芥川賞を受賞した九段理江さんが、受賞作の「全体の5%くらいは生成AIの文章」だと発言して話題になりました。
「東京都同情塔」
実際には、生成AIが作成した文章を使ったのは、作中に登場する生成AIが返答した部分のみ、とのことなので、地の文を生成AIが作成したということでは全くないとのこと。
しかしながら、このことが生成AIを使った創作ということに議論を投げかける1つのきっかけにはなったかもしれません。
ちょっとネットを検索すれば、「論文に使えるAIツール」「AIによる卒論自動作成...卒論代行は不要!」などのサイトや、読書感想文コンクールでAIが生成した文章を使った感想文を不適切引用で審査対象外にしたなどというニュースがヒットします。
我々がすぐ使えるところに生成AIが存在するようになり、これまで苦労して書いていた文章を生成AIが書いてくれるようになる...これは、洗濯を洗濯機にまかせるようになったのと同じ技術の進歩だろう、と思う人もいるかもしれません。
一方で、人間にとって大切な創造すること、が機械に奪われてしまうというSFの世界のような恐怖を覚えることも確かです。
便利な世の中にはなってほしい。
でも、人間として手放してはいけないものはある。
AIがここまで身近になった今考えるべき大事なことは、AIとのつきあい方なんだと思います。
...ところで、生成AIが書いた文章か人間がオリジナルで書いた文章かって、すぐに見分けつくんですかね?