名前がなくてもどうにかなる!(平安時代の人名のはなしPart2)~典拠のはなし~
大河ドラマ盛り上がっていますね。
9月の典拠のはなしは2週にわたる平安時代の人名の話のPart2です。
源氏物語の作者の紫式部、ドラマでは「まひろ」という名前で呼ばれています。実は私が一番慣れるのに時間がかかったのが、登場人物が名前で呼ばれていること。
この時代の貴族は原則的に本名では呼ばれません。当時の生活を垣間見ることはできませんが、平安時代の物語、例えば源氏物語を見ても、本名で出てくるのは従者など男性の召使のみ。男性貴族は主に「大臣」「頭中将」「宰相」などの官職名(やその漢名など通称)で呼ばれています。直接の呼びかけはおろか、物語の地の文でさえ、本名で表すのは違和感があったようです。
女性はといえば、宮廷に仕える女官や特に位を与えられた女性以外は名前が記録に残っていません。現代のように固有の名前は与えられていなかったかもしれないという説すらあります。
ではどう呼ばれるかというと、家の中で話題にする場合は住んでいる建物や部屋(北の方、政所、対の上)で呼んだり、主人の何人目の娘かを表す呼称(大君、二の姫、姉宮)。世間で話題にのぼるときは、住所や屋敷の主人の官職を付けて呼ばれます(六条御息所、三条の北の方、大将の御方)。これで案外、特定の誰かを表すことができたらしいのです。しかし、これが固有名かというとなかなか微妙なところ。
宮仕えをするようになると、職場での通称、やや固有名に近い名前で呼ばれることになります。これは女房名というものです。
紫式部(ムラサキシキブ)
和泉式部(イズミシキブ)
赤染衛門(アカゾメ エモン)
世間での呼び名と同様に身内の男性の官職や縁の深い土地などから名付けられることが多いようです。もう少し時代が下ると、よくある女房名は個人を識別するために仕える主人の名がつくこともあります。
後深草院二条(ゴフカクサイン ノ ニジョウ)
建礼門院右京大夫(ケンレイモンイン ウキョウ ノ ダイブ)
どちらの場合も、女房名は現代のような姓名で構成されている名称ではないため、ひとつながりの名として扱います。
また、宮仕えしていない女性の中にも歌人や散文の作者として頭角を現す女性がいます。このような種類の名前で有名なのは、ドラマでは藤原寧子とされていた「蜻蛉日記」の作者。
藤原道綱母(フジワラ ミチツナ ノ ハハ)
こちらは身内の男性貴族の名と血縁関係で固有名にしている例です(息子の道綱の名前は前回ご紹介した氏と名の間の「ノ」を取り除くルールに従っています)。同じ女性を指すのに「藤原倫寧女(フジワラ トモヤス ノ ムスメ)」という言い方もあって、こちらも父親の名前を使った固有名になっています。
姓名を使って社会生活を営んでいる私たちからすると不便な気もしますが、世界を見回してみれば、伝統的に身内との関係を示す名前を使っている国も多くあります。こちらはまた別の機会に。