手書きの手紙は魔法かも
9月の雑記のテーマは「手紙」です。
昨年、伯母が亡くなり、今年はまたべつの伯母が亡くなった。従兄、従妹にお香典をおくると、手書きでお礼の手紙がとどいた。儀礼的なものではなく、今の気持ちや近況を伝えるあたたかな文章だった。むかしむかし、子どものころには、手紙のやりとりをしていたものだ。とくに従妹とは、互いにタカラヅカ通いをしており、私は東京で、彼女は宝塚で見ては感想を書き送っていた。
いとこ二人とも文字がきれいだ。忙しいはずなのにこんな手紙を書いてくれたことがうれしい。親のケアをし、見送った彼らに敬意をこめて、わたしも久しぶりに手書きで返事の封書をしたためた。敬意みたいなものは、手紙でないと込められないような気がする。わたしの文字はマンガ文字みたいなもので、きれいでも大人っぽくもないけれど、人生の節目を越えた彼らを心からねぎらいたいと思った。
私の母はよく手紙を書いている。義理の兄や姉にせっせと書いている。80歳が90歳に送る手紙だ。その家族によれば、胸に抱くようにして嬉しそうにしているという。メールでは大事にかかえたりはできない。
手紙は一種の形代なのかもしれない。遠くにいる人に自分の「代わり」を届けることだ。書かれた文字が、書いた人を彷彿とさせる。いわば「どこでもドア」なのだ。そういうマジカルな手段を、少し前まではふつうに使っていた。速さと便利が魔法だと思っていたけれど、ほんとうの魔法はちまちまと一文字一文字書くことが起こす。