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34年も経ってわかることもあります

MARC MANIAX典拠ファイル第7回は相互参照です。
直接参照を記号で表したときには、→や←を使いましたが、今回の相互参照は=です。そう、どちらかに統一するのではなく、どちらも統一標目になるパターンです。

「日本目録規則」(NCR)では
「同一著者が2以上の名称を用いるとき,次の場合には,それぞれの名称を標目とする。
ア) 改姓改名した著者が,新旧の姓名で著作しているとき
イ) 同一著者が著作の内容によって2以上の名称を使い分けているとき
(日本目録規則 1987年版 改訂3版  23.2.1.2)
とあります。

つまりある人物について、統一標目はヒトツでなくてもよい、ということですね。

それって変じゃないの?
何のために直接参照を作って漢字やヨミガナが違っていてもわかるようにしていたわけ?
と突っ込みを入れてくださる方、いらっしゃったらうれしいです。
確かに典拠ファイルの機能というのは、
・ 異なる形で書かれていても一つの統一標目にまとめる
・ 同じ形で書かれていても、異なる人物なら別人として扱う
というものです。

ただし、本人の意図で、全く異なる名前を使って本を書くことがあります。

ここに同じタイトルの本が2冊あります。
「日本人とユダヤ人」 1979年山本書店刊 イザヤ・ベンダサン著
「日本人とユダヤ人」 2004年角川書店刊 山本七平著

これだけではタイトルが同じだけで内容は違う本にしか見えませんが、実は内容は同じ本で、著者の山本七平がイザヤ・ベンダサンの名前でまず自ら経営する出版社から出した本です。

山本七平は1921年の生まれですが、イザヤ・ベンダサンの略歴には1918年と書いてあったようで、プロフィールまで創作する徹底ぶり。ですから、典拠ファイルを作った人も、多分全く気が付かなかったのではないでしょうか?

そして運命の2004年、角川書店から「日本人とユダヤ人」が発行されました。実は角川書店は1980年にも「日本人とユダヤ人」を出版しており、そのときの著者は、当然ですがイザヤ・ベンダサン。ところが全く同じタイトルで今度は山本七平著?

解説に詳しく説明がありました。「本書を新書版に収録するに際して著者名を山本七平という実名にしてもよいのであろうが、出版史上にのこる痛快事としてベンダサン名を残すのもよし、と思いつつ~」と。実に初版(国立国会図書館のMARCでは1970年が初版のようです。)から数えて34年、「日本人とユダヤ人」はついに山本七平の名義で出版されて、そうして私たちもこの二人が同一人とわかってしまった(?)わけです。

山本七平はこの外国人風のペンネームを、「日本人とユダヤ人」のほかにも何冊か使っていますが、「日本人とユダヤ人」だけがイザヤ・ベンダサン単独の著作で、ほかはイザヤ・ベンダサン著で山本七平訳となっています。(共著の形をとっているものもありますが、意味合いとしてはこれが一番しっくりくるかもしれません。)

こういった場合、もしイザヤ・ベンダサンが当初から山本七平だとわかっていたとしても、やはりイザヤ・ベンダサンはイザヤ・ベンダサンで統一標目にするのがよい、として決めたのであろう目録規則に、皆さんも納得していただけるのではないでしょうか?

些細な違いならともかく、このような場合や、結婚後、あるいは離婚後に姓を変えて著作活動をするとき、それぞれを統一標目として扱うのはまあ、当たり前といえば当たり前かもしれません。

さて、そうはいっても、山本七平ファンからブーイングが来そうです。山本七平の著作は昔全部読んだと思っていたのにまだそんな本が!!と。

ご安心ください。そこでまた典拠ファイル出動です。それが今回のお題、相互参照。つまり、全く別の名前を使い分けて著作をしていても、2つ(あるいは3つ以上でも)の名前を同一人としてリンクさせているのが、典拠ファイルの相互参照です。

具体的にどうなっているのか?
種明かししてみましょう。
まずは山本七平さんのファイルです。

典拠ID 110001051330000
漢字形 山本/七平
カナ形 ヤマモト,シチヘイ
参考生没年 1921~1991
職業・専門等 ノンフィクション,評論家,出版人,東京電機大・教授,別名:Ben Dasan,Isaiah
相互参照ID 120000020550000 

次はイザヤ・ベンダサンのファイルを見てみましょう。

典拠ID 120000020550000
漢字形 Ben Dasan,Isaiah
カナ形 ベンダサン,イザヤ
参考生没年 1918~
職業・専門等 思想家,本名:山本七平
相互参照ID 110001051330000 

そこで、アンダーラインのある部分にご注目。山本七平のファイルにイザヤ・ベンダサンの典拠IDを持たせることで、この二人が同一人物であることがわかるようになっています。さらに当然ですが、必ず二人なら二人、それぞれのファイルに別名の相互参照IDを入れておかないと意味がありませんので、イザヤ・ベンダサンのファイルの相互参照ID欄にも、山本七平の典拠IDが入れてあります。

これでどんな別名を使っていても、その人の著作を全てまとめて検索することが可能となるわけです。

■ さてここから先は載せるべきか否か?と悩みましたが、懺悔してしまいましょう。


34年経ってようやくイザヤ・ベンダサンが山本七平の別名だとわかったと書きましたが、「山本七平ライブラリー 第13巻」(1997年刊)に「日本人とユダヤ人」がイザヤ・ベンダサン著で収録されています。
個人全集なのに、なんで別人のイザヤ・ベンダサンの著作が?と、不思議に思わなければならなかったはずなのに、この時点ではどうやら気が付くことが出来なかったのだと、悔しく思っていました。
ところが、今回「山本七平ライブラリー 第13巻」を改めて見てみると、編集部の注として「当初、イザヤ・ベンダサン名で発表された諸作品は、山本七平氏の没後に残された談話テープや知人の証言などから、ほぼ山本氏の著作、もしくは山本氏を中心とする複数の外国人との共同作業と考えられますが、本ライブラリーでは発表当時のまま、著者名をイザヤ・ベンダサンといたしました」とありました。これではまだイザヤ・ベンダサン=山本七平と判断するには無理があるので、少々ほっとしました。
また解説には
・ 昭和46年に第2回大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞したが、授賞式に現れたのはイザヤ・ベンダサンの代理人と称するローラー博士だった
・ 昭和51年の暮れ、「週刊朝日」の新連載の予告記事に、山本七平を指して「『日本人とユダヤ人』で論壇に衝撃を与えた筆者とした1行がある
・ 山本七平は直接自分の口からイザヤ・ベンダサンは私だと公言することはついになかった。どんなに問いつめられても、言を左右にしてほほえむのみ。
などなど、なんとも面白いエピソードが満載なのでした。

34年でなく27年だったはずじゃない?と自分ではそう思っていたので、部ログの原稿を書くことでこんな情報が得られてとてもラッキーでした。

でもたとえ34年かかったとしても、同じ人だとわかってリンクできたのはやはりうれしいもの。
典拠ファイルの相互参照とは、後追いでしかわからないものがほとんどです。つまり、ある名前を使っていたけれども、何かの理由で別の名前を使い始めるというのが普通のパターンなので、新規にファイルを作成するとき、前に別の名前を使っていなかったかどうかも調査しています。
そうした調査を経てはじめて、別人同士を相互参照としてリンクすることが出来るわけです。

相互参照はこんな風に手間のかかるものですが、できあがれば検索の幅が一気に広がる優れもの。できれば34年も経たないで相互参照にするようにしていきたいものです。

■ 蛇足ですが・・
同一人物だという確かな情報がなければ相互参照の扱いにはしません。また、本当の覆面作家であれば、こちらでも情報がないので相互参照にはできませんし、また、人によっては別名があることを公表しないで欲しいといわれる(出版社経由ですが)こともあるので、そういう場合にも相互参照にはしていません。心当たりのある方、ご安心を!

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