こんにちは、典拠の田辺です。
今年はコートを着始めるのがやたらに早かったような気がするのですが、皆さまはいかがでしょうか?
さて上記のタイトルについて。
なんのこっちゃと思われるでしょうが、
ちゃんと典拠の話になりますのでお付き合い下さい。
「不可思議」という言葉は、
日常ではどちらかというと「不思議」の方を多用していると思うのですが、
先日著者名で「不可思議」というのがありました。
「不可思議」な人名?といぶかりながらも調べてみると、
「正含」(しょうがん)という元禄2年に生まれた浄土宗の僧侶の号のひとつでした。
人名辞典などでは「正含」で掲載されている人なので、
典拠ファイルでは既に「正含」で統一形となっており、
今回の「不可思議」は「正含」の記述形となります。
ところでこの「不可思議」なのですが、
実は仏教用語で、「仏教大事典」(小学館)によると
不可思議 ふかしぎ 不思議ともいう。
1)意味があまりにも深いために、通常の思考・言葉ではとらえられもせず、心では推し量れもしないこと。(以下省略)
2)きわめて高位の数の単位で、一説によれば10の60乗のこと。(「広辞苑」では10の64乗、一説に10の80乗となっています)
3)現在、一般には、常識では考えも及ばない奇異な現象を形容する言葉として使われる。「摩訶不思議」はこれを強調したもの。
だそうなのです。
確かに今は3の意味が普通に使われているようですね。
数の単位だったとは知りませんでしたが。
ところで典拠では「不可思議」さんにはもう一つ問題があります。
実は「元政」(げんせい)という元和9年生まれの日蓮宗の僧侶もまた、この「不可思議」の号を使用していたのです。つまりは
不可思議→「正含」と常になるわけではなく
不可思議→「正含」or「元政」のどちらなのかを調べなければなりません。
もしくはまったく別の僧侶である可能性も捨て切れません。
かくして「不可思議」という号を持つ僧侶の著作は10の60乗(ほどではないですが)の謎をつれて典拠にやってくるのでした。