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和装本の責任表示(1)~ASで作成するデータについて~

こんにちは。データ部AS・伊藤です。主に和装本を担当しています。

現代書と比較して、和漢古書の特徴としてあげられることの一つに、役割表示の表記の多様さがあります。たとえば、編纂や翻訳ではなく著作であることを示す役割表示として、「著」「作」「撰」「述」「記」「學」「傳」「稿」「解」「録」「誌」「造」等々があげられます。

編纂や翻訳ではなく著作である場合、既存の漢籍目録では、現物にどう書いてあろうとすべて「撰」に統一する、という方針になっていることもしばしばです。あまりにも表記が多様なので、そのままだと混乱するということもあるでしょうが、その役割表示を用いることに、著者の意図やこだわりが感じられることもありますので、できるだけ転記したほうがよいという見解もありうると思います。孔子も「述べて作らず」(『論語』述而第七)と曰(のたま)って区別しているのに、どちらも「撰」にしてしまうのはやはり宜しくないかと。

ところでこの「撰」ですが、つねに「著」と同じ意味の役割と考えては具合の悪いことがあります。「新撰組」「新選組」どちらの表記もあるように、「撰」は「選」と同義で「多数のなかから選ぶ」という場合のこともあります。「古今和歌集」や「新古今和歌集」など、いわゆる二十一代集のことを「勅撰集」といいますが、これは天皇・上皇の命によって選んだ歌集で、天皇・上皇個人の歌集ではありません。「~撰」とあっても、その個人の著作ではなく、そのひとが選んだものであることもあるわけです。
なお、「撰集」「選集」という役割表示もあります。その人が選んで集めた、ということですね。これを、現代書にあるケースと混同して、タイトル関連情報としてしまったりしてはいけません。

「撰」について言えば、「撰次」などという役割表示もあります。『傷寒論』という著名な医学書を見てみると、「漢 張仲景述 晋 王叔和撰次」となっています。これは張仲景という人が述べたものについて、後の時代の王叔和というひとが順序(次第)を選択決定した、ということで、意味としてはむしろ「編纂」に近いと言えそうです。

ちなみに、ごくまれにですが、ちょっと注意が必要なケースがあります。『四時園詩集』『歳華紀麗譜』『玉几山房聽雨録』『十七帖述』といったタイトルのものなのですが、どういうことかと言いますと‥‥


それぞれ、「米田是著(こめだ これあき)」「費著」「陳撰」「王弘撰」という、名前そのものが「~著」「~撰」というひとの著作です。

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