« 読書家の面影 | メイン | 人名典拠ファイルとは(ダイジェスト第21回) »

和装本の責任表示(1)~ASで作成するデータについて~

こんにちは。データ部AS・伊藤です。主に和装本を担当しています。

現代書と比較して、和漢古書の特徴としてあげられることの一つに、役割表示の表記の多様さがあります。たとえば、編纂や翻訳ではなく著作であることを示す役割表示として、「著」「作」「撰」「述」「記」「學」「傳」「稿」「解」「録」「誌」「造」等々があげられます。

編纂や翻訳ではなく著作である場合、既存の漢籍目録では、現物にどう書いてあろうとすべて「撰」に統一する、という方針になっていることもしばしばです。あまりにも表記が多様なので、そのままだと混乱するということもあるでしょうが、その役割表示を用いることに、著者の意図やこだわりが感じられることもありますので、できるだけ転記したほうがよいという見解もありうると思います。孔子も「述べて作らず」(『論語』述而第七)と曰(のたま)って区別しているのに、どちらも「撰」にしてしまうのはやはり宜しくないかと。

ところでこの「撰」ですが、つねに「著」と同じ意味の役割と考えては具合の悪いことがあります。「新撰組」「新選組」どちらの表記もあるように、「撰」は「選」と同義で「多数のなかから選ぶ」という場合のこともあります。「古今和歌集」や「新古今和歌集」など、いわゆる二十一代集のことを「勅撰集」といいますが、これは天皇・上皇の命によって選んだ歌集で、天皇・上皇個人の歌集ではありません。「~撰」とあっても、その個人の著作ではなく、そのひとが選んだものであることもあるわけです。
なお、「撰集」「選集」という役割表示もあります。その人が選んで集めた、ということですね。これを、現代書にあるケースと混同して、タイトル関連情報としてしまったりしてはいけません。

「撰」について言えば、「撰次」などという役割表示もあります。『傷寒論』という著名な医学書を見てみると、「漢 張仲景述 晋 王叔和撰次」となっています。これは張仲景という人が述べたものについて、後の時代の王叔和というひとが順序(次第)を選択決定した、ということで、意味としてはむしろ「編纂」に近いと言えそうです。

ちなみに、ごくまれにですが、ちょっと注意が必要なケースがあります。『四時園詩集』『歳華紀麗譜』『玉几山房聽雨録』『十七帖述』といったタイトルのものなのですが、どういうことかと言いますと‥‥


それぞれ、「米田是著(こめだ これあき)」「費著」「陳撰」「王弘撰」という、名前そのものが「~著」「~撰」というひとの著作です。

コメントを投稿

(投稿されたコメントは、TRCデータ部の営業時間内にアップいたします。投稿から掲載までお待ちいただく場合がありますがご了承ください。なお、メールアドレスはTRCデータ部から直接ご連絡する場合にのみ使用いたします。第三者への公開・提供はいたしません。)

2024年7月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

アーカイブ

全てのエントリーの一覧

リンク