梅雨入りしたばかりですが、きょうの茗荷谷は肩透かしのような晴天です。
梅雨空→雨→涙。データ部ログ6月の雑記は「泣ける本」がテーマです。
先日、息子と娘を連れて後楽園の「シアターGロッソ」に行ってきました。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ヒーローショーに特化した常設劇場です(他の催事も行われているそうです)。
さすが、といいますか、2階くらいの高さから奈落に飛び降りたりワイヤーで宙を舞ったりと、予想以上の迫力でした。
さて、ヒーローショーにはお約束があります。
クライマックス近く、ピンチに陥るヒーロー。そのとき投げかけられる子どもたちの熱い声援。
「がんばれー!」
進行役のお姉さんが「もう一回!」と促します。
「がーんばー、れー!!!」
...力を得たヒーローは立ち上がり、敵を倒して大団円。
実は私、これに弱いのです。どうかすると目の前がにじんでしまう。
我ながら不思議でしたが、とあるシーンが根っこにあることに気付きました。
それは、「ピーター・パン」の後半。妖精ティンカー・ベルの命が危うくなる場面です。
「ティンクの声があんまり小さいので、はじめのうちは、何を言っているのか、わかりませんでしたが、やっと、わかりました。もしも子どもたちが妖精を信じるなら、きっとまた、もと通り元気になると思う、と言ったのです。
(...)ピーターは、今、「おとぎの国」の夢を見ているかもしれない子どもたち、それだから、みなさんが考えるよりか、ずっとピーターの近くにいるかもしれない子どもたち、ぜんぶに向って、呼びかけました。(...)
「みなさん、信じますか?」と、ピーターは、大きな声でききました。」
ピーターの呼びかけに子どもたちのなかから拍手が上がり、ティンクは元気を取り戻します。
...これだ。
別世界を支え、元気づけるほどのイマジネーションの強さ。お話の世界からの呼びかけに当然のように答えることのできる身軽さ。
子どものその力がなんともキラキラと眩しく、ぐっと来るのです。
「がんばれー!」にもそのしっぽがあるのですね(もしかしたら、このシーンがこの種の演出の直接のもとになったのかとも思えます)。
このブログを書くにあたって、「ピーター・パン」をほぼ初めてちゃんと読みました。
上のシーンとはまた別に、大人になったからこそ胸に迫る部分もたくさんあって、ちょっとびっくりしました。