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北原白秋と三人の妻

今月の雑記、テーマは「恋愛ものの本」です。

最近、700ページもの小説を読みました。
「ここ過ぎて―白秋と三人の妻」

瀬戸内寂聴(著)
小学館文庫(2018.11)

お正月に数えで100歳の瀬戸内寂聴さんと高橋源一郎さんの対談をラジオで聴きました。なんとお元気!あやかりたい! 寂聴さんの本を何か読んでみたいと思っていたところ、この評伝小説が目に留まりました。

サブタイトルにあるように、国民的詩人・北原白秋と三人の妻のことが書かれています。白秋作詞の歌曲「この道」「からたちの花」「待ちぼうけ」など、よく知られているかと思います。詩は、たとえばこのようなフレーズを読んだことがあるでしょうか。

「薔薇の木に薔薇の花咲く、なにごとの不思議なけれど」

あたり前のことに驚いて言葉にする、そのことで読み手をも感動させる。子どものような、素直すぎる強さを感じます。最初の詩集『邪宗門』などは、異国趣味で、きらびやかで、ロマンティックです。(青空文庫をのぞきました。)

こんな白秋の最初の妻は、俊子。出会ったときは人妻でした。当時は姦通罪というものがあり、白秋と俊子は訴えられ、捕らえられ、新聞等でたたかれ、そんな末にやっと結婚するのですが、数年で別れます。当時の白秋はとても貧しく、俊子は白秋の家族との折り合いも悪く、居づらくなって家を出てしまいます。

二番目の奥さんは、章子(あやこ)です。この小説の軸になっているのはこの人です。詩人、歌人としての著作もある才女。感受性豊かな、ちょっとエキセントリックな人だったようです。極貧時代の白秋を支え、心の底から白秋を愛し、尊敬していたはずなのに、あったのかどうかよくわからない章子の不貞を理由に二人は別れます。

他人の思惑を考えず、自分の心のままに突っ走る人で、痛い目を見たり、メディアに利用されたりもします。なんでもしゃべってくれるので、ゴシップ記事になりやすいのです。そんなだから大切な人たちを困らせます。最後は身体の病と心の病の両方で、極貧のなか一人で死んでゆきます。白秋と章子が別れた本当のいきさつは寂聴さんがいろいろ調べてもよくわからなかったようです。資料や証言をたどっても、「心の変化」までは知りえない。そこを想像力で埋めてゆくのが、評伝小説の本領発揮なのだろうと思います。章子は、その後の人生でも、ずーーーっと白秋のことを忘れず、死ぬまで意識は「前白秋夫人」であったようです。

対して、白秋は彼女より数年前に亡くなりますが、晩年は献身的な三番目の妻・菊子と幸せに暮らしました。章子と別れたころから暮らし向きもよくなり、子どもにも恵まれ、国民的詩人の地位を確かなものにしてゆきます。

若き日の白秋も、そして俊子も章子も「恋に落ちる」という表現そのままに、出会って世界が一変し、離れがたく結びつきます。その激しい恋模様から白秋の短歌や詩が続々と生まれたのです。食べるにも事欠くほどの貧しさのなかで、夫の作品を心から尊敬し、大切にしていた章子が、どうして読むのも辛いような晩年を送らねばならなかったのか。

この時代の女性は、結婚していなければ生活できない。離婚してしまったら、もう安住の家はない。食べていけるような職もない。それでも命がけで恋をする人たち。白秋の同世代、大杉栄や竹久夢二も奥さんや愛人、恋人がたくさんいました。平塚らいてうも柳原白蓮も同世代です。リスクを承知で恋愛に身を投じ、冷めたら別れる男女。大正の文化人たちの激しさに脱帽します。

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