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和漢古書あれこれ ― 韻書

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回は漢籍の「字書」について見ましたが、小學の書としてはもう一種類、字音によって分類した「韻書」があります。四部分類では基本的に「經部・小學類・音韻之屬」に収められています。
中国語の漢字の音はすべて単音節で、子音(声母)と母音(韻母)から成りますが、さらにその高低(声調)も音を区別する要素になります。声調は、歴史的には平声・上声・去声・入声の四声(しせい)の別があり、平声30韻(上下15韻ずつに分けられます)・上声29韻・去声30韻・入声17韻の計106韻とするのがスタンダードとされました(ただしこれは中世の音で現代音とは別ものです)。
こうした音韻について整理した韻書として現存最古のものは、隋代の『切韻(せついん)』とされますが、原本は残っていません。この『切韻』をもとに、唐代には『唐韻』(751年)、宋代には『廣韻』(1006年)『集韻』(1039年)という名で増補修訂されたものが作られました。

音韻というものはある種システマティックなものでもあり、唐代以降、子音と母音とを縦横軸に配置した韻図(いんず)という図表も作られました。これには、仏教書のところで触れたとおり、悉曇学の影響があったものと考えられています。
代表的な韻図としては『韻鏡(いんきょう)』というものがあり、オリジナルの序(1161年)によれば、南宋の張麟之(ちょう・りんし)というひとが友人から譲られた『指微韻鏡』という書物をもとに「字母括要ノ圖ヲ撰ビ,復タ數例ヲ解シテ」編纂刊行としたというものです。この序末に「慶元丁巳(1197年)重刊」の刊記が彫り加えられ、さらに1203年の張氏の序と凡例が加えられたものが、日本に伝えられて戦国時代に出版されました(なお、序・凡例の末尾には「韻鑑序例」とあり、すなわち『韻鑑(いんかん)』という別称もあります)。
この和刻本の初刊には、堺の宗仲という僧がいくつかの写本を校訂して出版した、という経緯を記した享禄戊子(1528年)の清原宣賢(きよはら・のぶかた)の跋が附されています。『韻鏡』は貴族や僧侶の命名にもよく参照されたという事情もあり、以来江戸時代にもおびただしく重刻されました(いっぽうで中国ではこの本は早くに失われ、明治期になってから、『古逸叢書』に含まれて紹介されています)。

『韻鏡』は研究書や関連書籍も多く、元禄4年(1691)刊の盛典(せいでん)著『韻鏡易解(いんきょういかい)』や正徳5年(1715)刊の毛利貞斎(もうり・ていさい)編『韻鏡袖中秘傳鈔(いんきょうしゅうちゅうひでんしょう)』などといった書物は頻繁に目にします。
また江戸中期の学僧・文雄(もんのう)による『磨光韻鏡(まこういんきょう)』2巻もよく読まれましたが、これは上が本図、下が「韻鏡索隱」および「翻切門法」から成ります。『大全磨光韻鏡』5冊セットというものもときどき目にしますが、これはこの2巻に加え、文雄のその他の著作である、『韻鏡指要録』『翻切伐柯篇』を合わせた『磨光韻鏡後篇』、および『磨光韻鏡字庫』2巻を合刻したものです(ちなみに「翻切」(はんせつ)とは、「反切」とも書きますが、ある文字の子音と、別の文字の(声調を含む)母音とを組み合わせて発音を表記する方法のことです)。
このほか、江戸後期の太田全斎(おおた・ぜんさい)著『漢呉音圖(かんごおんず)』3冊なども韻鏡に基づいた書籍です。この本の題簽は「漢呉音圖 上」「漢呉音徴 中」「漢呉音圖説 下」となっていますが、それぞれのタイトルは内容書名とした上で、総合タイトルとしての『漢呉音圖』は、序から採用したとして処理するのが適切と思われます。

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