こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。
前々回と前回、和古書の往来物についてとりあげましたが、漢籍では、「子部・儒家類・家訓勸學郷約之屬」の「少儀」というところに、初学者用の書物が収められています。代表的なものとしては、南宋時代に朱子が編纂した『小學』という書物があり、和刻本も多数刊行されています。これは四書の一つである『大學』に対し、日常の礼儀作法や聖賢の格言・善行などをまとめたもので、内篇4章と外篇2章から成ります。前回触れた辻原元甫は、これを翻訳敷衍した『大和小學』6巻という本も出しています。
ちなみに、「大学」「小学」のほかにも、「国語」「儀礼」「書」「詩」「方言」といったタームも、漢籍の世界では、特定の作品のタイトルになりますので、初歩的な勘違いをしないように注意しましょう。
「小学」は伝統中国の学術体系においては別の意味もあり、文字にかんする学問のことも、儒教の経学(けいがく)に対する補助学という意味あいで「小学」と言います。漢籍の冊子目録を見ると、四部分類の「經部」のところには個々の経書とその注釈書が収められていますが、その最後には「經部・小學類」というのが置かれており、NDCでは8類に入るような図書がここに収められています。
小學類の最初は「訓詁(くんこ)之屬」という属目になりますが、そのなかで一番先頭に置かれているのは『爾雅(じが)』という書物です。これは、漢代初期に成立したとみられる、経書(とくに詩経)中の文字をカテゴリ分けして配列した一種の類義語辞典ですが、唐宋に至って、他の経書と並べて『十三經』の一とされるほど重視されました。
歴代『爾雅』にならって、『小爾雅』『逸雅(いつが)』『廣雅(こうが)』『埤雅(ひが)』『駢雅(べんが)』『通雅(つうが)』といった辞書が編纂されていますが、このうち、『爾雅』『小爾雅』『逸雅』『廣雅』(隋代に煬帝(ようだい)の諱を避けて『博雅(はくが)』と改題されたことがあります)『埤雅』を合わせて『五雅』としたセットが明末に刊行されています。
日本でも、『爾雅』を模範として、平安期に源順(みなもと・したごう)撰『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』といった辞書が編纂されました。江戸時代には、貝原益軒の甥の貝原耻軒(かいばら・ちけん)著『和爾雅(わじが)』(1694年)、新井白石著『東雅(とうが)』(1719年)といった書物も編まれています。後者はもちろん、「東方の国の爾雅」という意味の命名です。