4月の雑記テーマは「わたしの新人時代」その3です。
入社時の配属はデータ部メンテナンス(今の典拠班の
仕事とMARCのメンテナンスをする部署)でした。部署
のチーフの真ん前にもう1人の新人と座っていました。
当初は週に何時間かの研修をはさみながら、ひたすら
マニュアルを読み、同じフロアすぐ隣にあった営業部に
かかってくる代表電話を取る毎日でした。そのうち典拠
作業を教わりながら、リスト類が出た時だけリストに赤
をいれていました。普通はデータ部のいろんな部署を回
ってある程度MARCがわかってから配属されるとこなので、
「いきなりで大変ね」といわれた記憶があります。
それでも新人が配属されたのは、ちょうどMARCを
TRC独自のフォーマットからJAPAN/MARCフォーマットに
切り替えるところだったから。機械的に変換してエラー
になったものの書誌詳細のプリントアウトがどっさり出
力されたのを、確認し赤を入れて、またパンチに出して
(*1)いたと思います。
リスト類では、アンマッチリスト(出版者の名寄せリ
ストなど)も出力され、生き別れになっているものを調べ、
間違いが確認されたのでメンテをするか、そのままにする
かを判断してました。
この出版者のアンマッチリストはその後、入力中のもの
でもルーチンでの作業になりました。間違いがないかと一
緒に、出版者コード(*2)も振っていました。
4桁コードを持たない出版者には台帳に記入して
「カタカナ+数字3桁」を与え、それを端末でMRACに反映し
ていました。主に遡及の行政資料。例:文京区役所、東京
都文京区、文京区○○係...。全てに同じ「フ123」のよう
なコードを与え、コードで文京区が出版したすべてを検索
できるようにしていました。作業自体は難しくはないので
すが、とても手間がかかりました。そしてこの1週間分の
アンマッチリストが出るのが、木曜日の夕方だったので
終わるまで帰れず、毎週木曜日は、今日はどのくらいリス
トがでるだろうとどきどきしていました。
この頃はPCもなく、端末すらフロアに3台くらい(検索
用と最終メンテ用)で原稿をすべて手書きで書き、ナンバ
リングしてパンチに出さなければならないのに、パンチ会社
への便の時間がきまっていたので、目録を作成する班はどこ
もピリピリしていていました。(特に新刊)。便の時間の
制約がなかった部署自分のでは電話を取ったりFAXを配った
りも大事な仕事でした。
特に金曜日の午前11:55には協会(*3)の修正のFAXが
こないか、いつも注意していました。時間一杯まで修正
連絡を待っていた届いたら12時までに端末で修正しなけ
ればならないため、大急ぎで届けていました。
どれもこれも、全員がPCを持ち、PCで入力し、ファイルも
最初から作ってしまう現在では考えられないことですね。
念のための注です。
(*1) 自分たちで直接データを直す仕組みが整っていないため
専門のパンチ会社に依頼してデータを作成してもらい
それを取り込むこと。
(*2)このころ出版者のヨミはなく固有のコードを入力していた。
取次が使用していた数字4桁コードの他、カタカナコードが
ありました。
(*3)昔、日本図書館協会の監修を受けていました。