今日は、利休流茶道家元の典拠ファイルについてご紹介します。
まずは、その歴史を紐解いてみますと…
秀吉の命により、千利休が切腹、千家は一家離散となったのち、
利休の孫にあたる宗旦に再興が許されました。
宗旦は、大名茶の繁昌をよそに清貧に甘んじながら
わび茶の道統の護持とその深化につとめました。
しかしながら、大名家の庇護がなくては
その維持さえ困難な時勢を洞察し
家督をゆずった三男・宗左を紀州徳川家に
次男・宗守を讃岐松平家に
四男・宗室を加賀前田家に茶頭として仕えさせました。
この三千家が、下記の流派の基になったそうです。
宗左:表千家
宗守:武者小路千家
宗室:裏千家
「国史大辞典(吉川弘文館)」参考
以前「文叔の茶の湯」という本が来たとき
この本のサブタイトル(タイトル関連情報)に
武者小路千家第五世文叔宗守居士三百年遠忌記念とありました。
このMARCの個人名典拠ファイルを作成するにあたり
資料を調査したところ、
「日本人名大事典(平凡社)」「茶道人物辞典(柏書房)」ともに
世系が2代目となっており、本の表示とは異なっていました。
千利休から数えるか、各流派の初代から数えるか、
各々主張があるようです。
典拠ファイルは資料を根拠に
千/宗守(2代目)としました。
世系については、各資料でずれが生じることもあり、
その都度、多くの詳しい資料にあたるよう心がけています。
茶道人物辞典によると利休流のほか様々な流派があり、
お花見など茶の湯を味わうよい季節とあいまって、
興味がわいてきました。