こんにちは。データ部AS・伊藤です。主に和装本を担当しています。
前回、日本で出版された漢籍の訓点者について触れましたが、今回はいわゆる漢籍で出てくる中国の王朝名ということについて書いてみます。
漢籍においては著者を記録する場合、かならず著者の前に王朝名というものを書きます。以前出した例で言うと、「漢 張仲景述 晋 王叔和撰次」というときの「漢」や「晋」のことで、著者が活動した年代の王朝の名前で、朝代(ちょうだい)とも言います。冊子目録などでは中黒等で姓名と区切っていることも多いですが、『日本目録規則』1987年版改訂3版の任意規定では丸がっこに入れて、「(漢)張仲景述 (晋)王叔和撰次」のように書くことになっています。
漢籍においては、上のように現物にはっきり王朝名が書いてある場合だけでなく、現物に書いていなくても、調査して王朝名を書かなければなりません(まあ、実際には既存の参考図書・漢籍目録やデータベースでたいていの著者はすぐ調べがつきます)。王朝名が書いていないと、それは原則として近人(きんじん)=中華民国以降に活動した最近の人だという意味になります(ただし、それらは「(民國)某」のようにすることも無くはありません)。朝代不明の人の場合は「(□)某」のように記録します。
困るのは王朝が交替した時期に両方の時代に跨って活動した人で、「主に活動した年代」で記録することになっていますが、そのあたりの判定は人によってばらけることがあるのはいたしかたありません。たとえば、『水滸伝』の作者とされる施耐庵(し・たいあん)を「全國漢籍データベース」で調べてみたところ、「元」(げん)の人としているのが58件、「明」(みん) の人としているのが61件ありました。
もっとも、前の王朝に忠節を貫いて、後の王朝には仕官しなかったなどという人(遺臣)については、前の王朝のほうで記録してあげるのが、これは礼儀というものでしょう(もちろん、現物に書いてあれば、多数派がどうであろうと現物の通りに記録すべきかと思います)。
中国人以外の場合は、王朝名の代わりに国名を記録します。「(新羅)崔致遠」「(朝鮮)李滉」「(美國)林樂知」(=アメリカ合衆国のY.J.アレン)といった具合です。ただし、近世以前に中国に来て著作活動をしていた西洋人については「(明西洋)利瑪竇(りまとう)」(=マテオ・リッチ)、「(清西洋)南懷仁(なんかいじん)」(=フェルビースト)のように書きます(「西洋」のかわりに「泰西」としていることも)。
日本で出版された漢籍だと、日本人が二次的な役割を果たしている場合も多々あります。その場合は、上記と同様、「(魏)王弼註 (唐)陸徳明音義 (日本)宇惠考訂」といったぐあいになります(ちなみに、「宇惠(う・けい)」は「宇佐美灊水(うさみ・しんすい)」が修姓して称したもの)。
ただし、これは整理の対象としている資料がメインが漢籍だという場合のことで、大半が和書だというのであれば、中国人の場合のみ王朝名を付し、何もつけなければ日本人だとするという処理でも、全然問題ないと思います(もっとも、現物にわざわざ「日本何某」と書いてあったら、それはそのように記録してあげたほうがいいかもしれません)。
なお、かっこ内に入れるのは上記のように王朝名・国名のみですが、特例としてお坊さんの場合は「(明釋)圓澄」「(日本釋)玄惠」のように、「釋」の字を、現物にあろうと無かろうと、王朝名につづけて入れます。
・・・王朝名についてはまだまだ注意が必要なことがあるのですが、それは次週にまわしたいと思います。