こんにちは。データ部AS・伊藤です。主に和装本を担当しています。
前回にひきつづき、漢籍における王朝名のことを書きます。
王朝名として実際に記入することになるのは、基本的にだいたい、漢/魏・呉・蜀/晉/劉宋/南齊/梁/陳/後趙(石趙)・前秦(符秦)・後秦(姚秦)/後魏(北魏・元魏)/北齊・北周/隋/唐/五代(後梁・後唐・後晉・後漢・後周)・南唐・後蜀(孟蜀)/宋/遼/金/元/明/清 のいずれかです。このうち注意を要するのは、魏・呉・梁・陳・唐・宋・金・元 で、これらは姓としてもよく見られますから、間違えないようにしないといけません。図書に「呉何某撰」とあったら、「(呉)何某撰」となる場合と、別の時代の呉さんで、たとえば「(明)呉何某撰」などとなる場合と、両方ありうるわけです。
さらには、つぎのようなケースもあります。賈誼(か・ぎ)の『新書』という著作で、現物に責任表示として「梁太傅賈誼撰」と書かれているものを見たことがあります。「太傅(たいふ)」というのは役職名で、「梁」というのは上記の王朝名にありますから、では「(梁)賈誼撰」だ・・・とやってしまうとこれは間違いです。どういうことかというと、この場合の「梁」は王朝ではなく、皇族が封じられた(領地をもらった)領国―諸侯王国(しょこうおうこく)―のことで、賈誼というひとはその梁国の太傅という役職をつとめていたということで、朝代としては漢の時代のひとです。ですので、「(漢)賈誼撰」としなければなりません。
まあ賈誼あたりなら『史記』『漢書』に伝がある有名人ですので気づきやすいですが、つねにそういうわけにもいきません。また、姓名の前に本籍地や居住地を記すのはふつうのことで、呉(=いまの江蘇省)とか秦(=いまの陝西省)とか地域の別称としても使われますから、現物にある表記が王朝名を示すのか、単なる地域名や役職名の一部なのか、あるいは姓なのか、よくよく注意が必要になります。
ところで上に列記した王朝名ですが、ごらんのとおり「漢」から始まっています。漢より前の秦以前の時代に成立したとされる著作(『論語』『老子』など)については、漢籍の世界では「先秦書(せんしんしょ)」といって無著者名古典扱いとします。現物を見ていくと、『六韜』(りくとう)に「周 太公望撰」とあったり、『韓非子』(かんぴし)に「韓非著」とあったりすることも時々あるのですが、それらは原則として責任表示としてはことごとくオミットすることになります。
もちろん、それは和漢古書として目録を作成する場合の話で、現代書の場合、情報源に堂々と記載されていれば著者として記録することになります。TRC MARCにももちろん、孔子も孟子も老子も荘子も孫子も韓非子も、みんな著者として典拠があります。が、和漢古書をずっとやっていると「孔子著『論語』」などというデータには、実はものすごく違和感を感じてしまうのです。
たぶんそんな人はすくないのでしょうが、逆にそんな感覚を持つようになってしまったら、どっぷり「漢籍屋」だと言えるかもしれません。
4月から月2回ペースで和装本の責任表示について書いてきましたが、いったんしばらくお休みします。いずれまた和装本についていろいろ書かせていただくつもりですので、よろしくお願いします。