こんにちは、
典拠の田辺です。
今日は先週金曜日に引き続き、中央大学名誉教授の今まど子先生の講演会報告、Part2をお届けします。
◆イリノイ大での経験
1958~1960年にイリノイ大に留学。
イリノイ大には当時で500万冊もの蔵書があり
辞書体目録が完備。
(アメリカでは1901年にはもう印刷カードがあったので図書館は当然印刷カード。)
JLSの宿題など子どものようなもので
これまた大量の宿題をこなす毎日が続き、
8時間寝られた日は2年間で10日もないほど。
ただし蔵書はあるし調べるツールも完備しているので
宿題は苦ではなかった。
寝る間も惜しんで学び、
帰国して職場の椅子に座った時、
パーっと「自分のやるべきこと」がわかった。
◆シェルフリストカード
シェルフリストカードとは、
図書が書架に排列されている通りに並んでいる分類順の目録カード。
いまでこそ図書館の本は分類順に並んでいるが、
戦前は書架の図書は大きさで排列されていた。
上2段が小さい図書(文庫など)、
真ん中4段が20cmくらいの普通サイズの図書で
最下段は30cmくらいの大型図書。
その中の排列は受け入れ順で、
経済の本の隣にウサギの本が並んでいたりした。
当時は一般的に閉架式だったので
これでも問題なかったが、
開架式では図書が主題別に配架されていなければ
目的の図書が探せない。
◆図書館サービス
戦前には図書館サービスというものはなかった。
学校の科目でも
当時の文部省ではカタカナの科目名は認められていなかったので
図書館サービスは図書館奉仕、
レファレンスサービスは参考奉仕
と訳していた。
アメリカではデューイが1876年に十進分類法を発表し段々に広まっていった。
日本では1933年にもりきよしが日本十進分類法(NDC)を発表し、
開架が主流となり、
レファレンスサービスが導入されていった。
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今先生の
「図書館は図書があるだけでは図書館ではない。
情報が提供できて初めて図書館です。」
が本当に印象的でした。
もっと詳しくお知りになりたい方は
をぜひお読みになってください。