AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。
前々回と前回、漢籍における皇帝にまつわる事例について触れました。日本でも、天皇や高位の人の実名は出さず、「かしこきあたり」と婉曲に称したり、詔書の末尾の署名と捺印を「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」と読みあげたりといったことはありますが、書きものにおける避諱ということは基本的にはあまり行われなかったようです。
そもそも日本と中国とでは名づけの仕方にやはり違いがあり、たとえば日本では、「通字」といって、一つの家系で特定の文字(天皇家の「仁」、平家の「盛」、北条氏の「時」、足利氏の「義」、織田氏の「信」、徳川氏の「家」など)を使うという慣習がありますが、こうしたことは中国では考えられません。
また、名前の通字でないほうの文字を「偏諱(へんき)」といいますが、これを一門や臣下に授与することによって恩恵や親近を示すということもありました。たとえば、徳川将軍家の「綱吉」(5代)「吉宗」(8代)「慶喜」(15代)には、通字の「家」は入っていませんが、それぞれ「家綱」(4代)「綱吉」(5代)「家慶」(12代)の偏諱を受けたものです。これも中国から見れば、相当奇妙にうつる習慣です。
一方で中国人の場合、輩行字(はいこうじ)といって、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)・溥傑(ふけつ)の兄弟のように、同世代で共通の文字(上記の場合は「溥」を名前に使うことがしばしばありますが、これは日本ではあまりなじみがないかと思います。
そうした場合に、図書の責任表示の箇所などでは、その共通の文字を一人分しか書いていないことがよくあり、たとえば『元亨療馬集』という本は、明代の喩本元・喩本亨という兄弟の著作ですが、巻頭の表示は
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喩
本
亨 元
著
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といった具合になっています。この例では二人の場合で、それぞれで異なる下の字を横に並べていますが、三人以上の場合も、異なる字のところだけを横に並べます。
なお、こうした場合を含め、責任表示などで三人以上が列記される場合は、優先順位は中→右→左(四人の場合は中右→中左→右→左)という順序になる、とされています。でも実際はやはりどうやら一番右に書かれている人が一番エライこともしばしばあるようで、ケースバイケースで判断するしかないようです。