先日、本を読んでいる時に次の台詞にひっかかってしまいました。
「ハリー、きみにはぼくの気持がわからないのだ」
...え、ハリーって誰?
どうみても相手に呼びかけている台詞なのに、なぜ私がそんな疑問を抱いたか。
それは、読んでいたシーンにはバジル・ホールウォード氏とヘンリー・ウォットン卿の二人しか出てきていないから。
はい。「いや、わかるでしょ!」と総ツッコミを受けてしまいそうですね。ハリー=ヘンリーであり、この台詞を口にしたのはバジルの方です。(ちなみに直前にはヘンリーが喋っており、しかもその中でバジルと呼びかけているので、考えるまでもなく明らかです。)
以上は、私がどれだけ集中せずに本を読んでいたかという話にすぎませんが、日々人名に向き合う典拠班にとって、この「愛称」というのはなかなか重要なトピック。
月に1回お届けしている典拠のはなし。今月は西洋人の愛称について考えてみます。
日本人の感覚では、愛称を図書の責任表示に使う、というのはあまりないように思います。
しかし、西洋人の場合は、学術論文などお硬めの本でも、責任表示が本名でなく、愛称や通称、短縮形などで書かれていることが多々あります。Tom、Bob、Mikeなどなど。(それぞれThomas、Robert、Michaelなどの愛称として知られていますね。)
西洋人の愛称を日本のいわゆる「ニックネーム」の感覚で考えてはいけない、というのが典拠班メンバーとなって学んだことの一つです。
典拠ファイルの統一形は、初出図書に表れている形、あるいは参考資料等に多く見られる形で作成するのが基本なので、統一形が本名ではないということは決して少なくありません。
例えばこちらの方。
統一形:Gregory,Dick
←記述形:ディック・グレゴリー
←参照形:Gregory,Richard Claxton
初出図書は
「nigger ディック・グレゴリー自伝」
ディック・グレゴリー(著)現代書館(2021.1)
ディック...これはひょっとして...(何かの愛称かも)と思いつつ、図書をめくっとみますと
文中にRichard Gregory Claxtonという表記、そしてDickが通称である旨の記載がありました。DickはRichardの愛称なのですね。
しかし、責任表示に表れているのはディック・グレゴリーの形。
VIAF(バーチャル国際典拠ファイル)なども参照し、コメディアンとして知られている名前もディック・グレゴリーのようでしたので、統一形はGregory,Dickとなりました。
Gregory,Richard Claxtonの形は参照形として作成します。
典拠ファイル作成中に愛称らしきものが出現した際は、「本名ですでにファイルができていないか?」と累積ファイル検索時点でいつも以上に慎重になります。(名ワレ厳禁!)
本名と愛称関係を見逃さないよう、典拠班には、辞典類等で確認できた本名と愛称をまとめた自前の愛称データベースというものも存在します。
見ると「えぇ?この名前がどうしてこの愛称になるの!?」と思うものも。
そう...だから「ハリー」を見た時に、私が「ひょっとしてバジルの愛称?」と、ちらと考えてしまったことも無理からぬことなのです。(無理があるか...。)
西洋人の愛称については、こちらの記事もどうぞ。
なお件の本はこちら。
典拠班としてはヘンリー・ウォットン「卿」も気になるところですね。
「ドリアン・グレイの肖像 改版」(新潮文庫)
ワイルド(著) 福田恒存(訳)新潮社(2004.7)