こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。
和漢古書の奥付について、前回見たのは、なぜそうしているかは推測できるものの、どのように記録するか迷ってしまう例ですが、そもそもの記載の意味がわかりにくいものもあります。
家蔵の和刻本漢籍で、『王荊公絶句(おうけいこうぜっく)』という小冊があります。唐宋八大家の一人である王安石(おう・あんせき)の詩を、江戸後期の漢詩人として著名な館柳湾(たち・りゅうわん)が校訂編纂したという、内容としては大して珍しくもない漢詩集ですが、この本の奥付には「天保七丙申年五月講板 江戸書林 日本橋通貮町目 山城屋佐兵衛 本銀町川岸 山城屋新兵衛」とあります。『和刻本漢籍分類目録』によれば、天保4年序萬笈堂刊の後印ということで、江戸の英平吉刊本の山城屋佐兵衛・同新兵衛による求版本ということになりますが、奥付の記載はこの通り「講板」となっています。
版木を購入したということで「購版」というのはよく見ますが、版木を「講」ずるというのはどういうことでしょうか。最初、「購板」の誤刻かとも思いましたが、山城屋佐兵衛という大店(おおだな)がかかわった本で、そんなミスをそのままにするとも思われません。実際、数は多くはありませんが、この本以外にも「講板」「講版」とある和漢古書は、『歌占萩の八重垣』『真山民詩集』『琴後集』『聯珠篆文』など、山城屋さんのものを中心に何点かあるようです。あるいは「〇〇講」といった江戸時代の仲間組織と関係があったりするのでしょうか。
辞書類を改めて調べてみると、文言(ぶんげん)における「講」の字義そのものとしては直接出てはきませんが、現代中国語には「商量(交渉する・話し合う)」といった意味があり、近世以来の俗語で「講價 jiangjia」(=値付けをする)とか「講錢 jiangqian」(=金を支払う)とかいった用法があるようです。ですので、「講板」はやはり「対価を払って版木を得た」という意味だと考えられ、まさしく「購版」と同じ意味ということで、そのまま記録して問題なさそうです。
ただ「講」という字にそうした意味合いがあるというのは、江戸時代の当時にあっても一般の日本人に認識されていたとも思われません。山城屋さんは中国趣味を発揮して、当時のイマドキの現地の言葉(唐話)を取り入れて使ってみせたのかもしれませんが、この本を買って唐宋八家の詩文を勉強しようとしていたお江戸の人が、そのあたりを正しく理解していたかどうかは、多分に疑わしいような気もしてしまうところです。
「求版」の意味で凝った言葉を使ったものとしては、ほかに「蘄版」などというのがあります。「蘄(きん)」は辞書を調べると、「求」の意味だということではありますが、この意味では『莊子』齊物論篇の一箇所くらいにしか使われている実例がないようで、そのような僻字(へきじ)を使うのは衒学趣味そのもの、いささか良識に欠けると言うべきでしょう。実際、文政元年に大坂の河内屋源七郎という書店が出した『蜻蛉日記』の奥付に「文政元年子九月蘄版」とある以外、他に使用例はないようです。