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2024年8月26日

五経の諸「伝」(承前)― 和漢古書の書名の漢字:「傳」(2)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回「易」について見ましたので、「五経」の残りの「書」「詩」「春秋」「礼」について見ていきましょう。

「書」は孔子の時代以前の詔令・文献を編纂したとされるもので、「稽古」といった今の日本でなじみ深い言葉もこれが出典であったりします(意味はもちろん違っていますが)。構成としては、堯(ぎょう)・舜(しゅん)の時代のものとされる「虞書」以下、「夏書」「商書」「周書」の4つのまとまりに分けられます。
この「書」は複雑な成立経緯を持つ経書で、漢初の伏生(ふくせい)による「尚書大伝」や、孔子の子孫とされる孔安国(こう・あんこく(読みぐせで「くあんごく」とも読まれます))による伝があったと言いますが、『五経正義』や『十三経注疏』に収録されて伝わっている孔安国伝の「古文尚書」は魏晋のころの偽撰だということが、清朝の考証学者によって立証されています。和刻本の「五経」においては、朱熹の弟子の蔡沈(さい・しん)による『書集伝』6巻によるテキストが用いたものが一般的です。

「詩」は、周代の宮廷や民間の詩歌300あまりを集めたもので、内容としては「風」「雅」「頌」の3つに区分されます、前漢代には「魯詩」「斉詩」「韓詩」の「三家詩」が学官に立てられましたが、これらはいずれも亡佚しました。それと別系統の毛亨(もう・きょう)によるテキストがあって、この「毛伝」を附されたもののみが最終的に伝わって定本となりました。「毛詩」というタイトルが使われていることがよくあるのはこのためです。
和刻本の「五経」では基本的に、毛詩に附されている「詩序」は後代の偽作であるとして朱熹が新たな解釈をほどこした『詩集伝』8巻によるテキストが用いられています。朱熹の解釈は、古注が教訓的な意味を牽強付会させるきらいがあったのに対し、あっさり「淫詩也」(男女の恋愛の詩である)などと詩歌の内容を素直にとらえるもので、現代でも順当なものとして評価されています。

年代記形式の歴史書である「春秋」については、以前「九経」や「十三経」においては「左氏伝」「公羊伝」「穀梁伝」の3つにカウントされると書きましたが、これはそれぞれ春秋戦国時代の左丘明(さ・きゅうめい)・公羊高(くよう・こう)・穀梁赤(こくりょう・せき)という三家によって別々に伝えられたとされるものです。それぞれの注釈のつけ方がだいぶ違いますし、経の本文もすこし異なっている部分があります。孔子が整理したとされる経の本文はかなり簡潔なもので、春秋時代の詳細な歴史はおもにこの「左伝(さでん)」によって知られています。
和刻本の「五経」のほうでは、宋代の胡安国(こ・あんこく)が校訂した「春秋経」本文がもっぱら用いられます。四部分類では「春秋類」は「左傳之屬」「公羊之屬」「穀梁之屬」「總義之屬」の四つに分けられますが、胡安国の撰による注釈は「春秋胡氏伝」と称され、経本文のみのものとともに、最後の「總義之屬」に分類されます。

「礼」については、漢代に学官に立てられたのは現行の「儀礼(ぎらい)」にあたるもので、「周礼(しゅらい)」はもともとまったく別個の「周官(しゅうかん)」という書物を後から「経」のひとつに加えたものです。一方、「礼記(らいき)」は礼にかんするその他のさまざまなテキストを前漢の戴聖(たい・せい)という学者が編集したもので、すなわちこの場合の「記」は「伝」とほぼ同じ意味あいということになります。現行の「礼記」のほか、戴聖の伯父にあたる戴徳(たい・とく)の編による『大戴礼記(だたいれいき)』というものも存在します。
五経の書物のセットとして言う場合の「礼」は基本的に「礼記」を指します。和刻本においてはおおむね、元の陳澔(ちん・こう)編の『礼記集説』10巻によるテキストが用いられています。ちなみに、ほんらい「五経」と言った場合、「春秋」が最後に来るのですが、和刻本のセットではこの「礼記」が最後にあって、したがってセットの奥付もそこにあることが大半です。

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