前々回と前回、巻頭における責任表示の表記について書きましたが、和装本の場合、責任表示の情報源は巻頭だけに限定されるわけではありません。『日本目録規則』改訂3版の規定にあるように、和漢古書の場合、図書全体が情報源になります。本文の巻頭に著者の記載がある場合、やはりそれが最も優先される情報源になりますが、巻頭ではなく本文巻末に記載されていることもありますし、総目次の冒頭や末尾に記載されていることもしばしばあります。
また、漢籍で地方志など公的な著作物である場合、巻頭にあげておくのではなく、本文の前に編纂に関与した人の名前をずらりと並べた丁を別にもうけている場合もあります。ただしこの場合、先頭に「総裁」などと書かれている大臣だの皇族だのは、名義のみの編纂責任者であることが多く、責任表示として採用するのは不適当であったりします。このあたりは今日でもありそうですね。
また、現代書と同じような感じで、見返し・扉や刊記・奥付に責任表示の記載があることもあります。図書のその場所にしか記載がないということもままありますが、巻頭の記載のほかに、それらの場所に異なる表記での著者の表示があるという場合も多く、たとえば太宰春台(だざい・しゅんだい)の『倭讀要領』(わどくようりょう)という本では、巻頭には「信陽 太宰純徳夫撰」(信陽=郷貫、純=名、徳夫=字)と、見返しには「春臺先生撰」と、奥付には「太宰弥右衞門撰」とあります。このように、巻頭の記載は「本姓名」のかたちが標準であるのに対し、見返し・扉には「号」が、刊記・奥付には「通称」が書かれていることが多い印象があります。
これは理由のあることで、見返し・扉というのは、キャッチーな宣伝文句が入っていることもしばしばある場所でもあり、名の知れた号をかかげて、読み手・買い手にアピールしたいわけです。
これに対し、奥付というのは、享保年間に大岡越前守が出したお触れ以降、作者と板元の「実名」をそこに出しておかなければならないという決まりになっていました。生前ほぼ呼ばれることの無い「諱(いみな)」や、勝手な自称であるところの「号」などを書いてもお役所的には認めてもらえず、「純」や「春臺」ではなく「ヤエモン」にしておかなければならない、ということなのでしょう(もっとも、お触れが出ているわりには、奥付に著者名の記載があるケースは必ずしも多くはないのですが)。
このほか、題簽(だいせん)や版心(はんしん)に訓点者などの記載がある場合もあります。表紙や題簽という一番最初に目に入るところに著者名が書かれているというのは、明治以降の出版物だとふつうですが、江戸時代のものでは必ずしも多数派ではなく、このあたりも著作性というものの意識の違いを何となく感じられます。
なお、中国で出版された漢籍などで、題簽や封面に「~署」とか「~題」あるいは「~篆」などとあるのは、単にその題字を書いた人で、著作に関与したわけではまったくありませんので、間違って著者として記録したりしないようにしなければなりません。