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2016年7月25日

「山田」はメジャーな地名です(ただし江戸時代に限る)―和漢古書の出版事項(8)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、出版地の呼称が非常にバラエティに富んでいることを見てきました。情報源の中でも見返し・扉にはこうした都市名の別称を記していることが多いのですが、刊記・奥付だと、都市名の表記がなく、それより小さな単位の街区や地番しか書いてないことがしばしばあります。「二條通鶴屋町 田原仁左衛門刻」とか「銅駝坊書肆平樂寺村上勘兵衛壽梓」とかいった具合です。
こうしたものについて、NCR87R3の2.4.1.2A(古)では「和古書,漢籍については,所定の情報源に表示されている出版地をそのまま記録する。それが現代の市町村より小さい場合,識別上必要があるときは,出版時の都市名,国名を補記し,また地名の別称が表記されている場合は当時一般に用いられたものを補記する。」としていますが、この規定はいささかいかがなものかと思います。地番や街区に当たるものしかない場合はそれを採用せず、推定できる都市名を「[京]」「[大坂]」「[江戸]」などと記録するのが、実際上は適切と思われますし、既存の多くの冊子目録等でも、基本的にはそのような考えかたに基づいているかと思います。

NCRの2.4.1.1D(古)では「和古書,漢籍については,2以上の出版地があるときは,すべて記録する。ただし,現在の同一の市町村に含まれる2以上の地名は,同一の出版地として扱い,顕著なもの,最後のものの順で,一つを選択して記録することができる。」としていますが、「同一の出版地」として扱うならば、出版者ごとに異なる街区や地番ではなく、複数のそれらを包含する都市名を記録するのが自然ではないでしょうか。
この条文であげられている例では、刊記に「神田 北村順四郎 日本橋 須原屋茂兵衛」とあるものについて、出版地としては「日本橋」だけを採用することになっています(「江戸」を補記はしますが)。注記を見ればわかるだろうということなのでしょうが、すくなくとも出版事項だけを見れば、すべての出版者が日本橋の出版者であるかのように見え、非常に誤解を与えやすい苦しい書きかたに感じられます。
またこの例に即して言えば、実際の図書だと、たとえば「江戸書林 神田 北村順四郎 日本橋 須原屋茂兵衛」などとなっている場合も多いわけです。この場合は出版地を「江戸」とし、一方で上のような場合では出版地は「日本橋」とする、などというのはどうにも奇妙ではないでしょうか。

そもそも2.4.1.1で「(出版地,頒布地等とするものの範囲)所定の情報源において,出版者(もしくは頒布者)名と関連して表示されている地名(市,町,村)のこと」と言っているのですから、出版地として採用するレベルは「市町村名等」であって、それより小さな街区・地番等でないことは当然のこととして前提されているはずであるのに、明らかにそれより下のレベルの例示を出しているのはやはりおかしい気がします。
現物に記載されている、それより下のレベルを書きたいのであれば、それは注記として転記すればよいだけと思います。奥付に十何人もいる場合はたいへんですが、現在のオンラインデータベースではがんばって転記するより、可能であれば画像を1枚つけたほうが、字配りや埋め木の状況なども一目瞭然ですので、はるかに有効と言えるかと思います。

和漢古書においても、現在の「市町村名等」に該当するレベルの地名を認定するのは、決してむつかしいことではありません。江戸時代の出版活動は基本的にずっと京・江戸・大坂の三都が中心で、江戸後期から名古屋(名護屋・名兒屋)・水戸・仙台(僊臺)・和歌山(若山)・広島・佐賀(佐嘉)・熊本(隈本)・鹿児島(麑嶋)など地方の大藩の所在地や、長崎・倉敷といった要地の書店が出版活動に参加することが増えてきます。仏教関係だと奈良(南都)、国学関係だと松阪(松坂)など、その地域ならではの活動が目立つところもありますが、これらはみな基本的に現在の「市」のレベルとそのまま対応していると見て問題ありません。
気をつけるべき場所としては、以下の二箇所くらいを注意しておけばよいでしょう。一つは伏見(伏水)で、現在は京都市の一部になっていますが、江戸時代は京とは別に町奉行が置かれており、はっきりと別のまちでした。
もう一つは、伊勢神宮のお膝元で、やはり遠国(おんごく)奉行が置かれていた山田(やまだ・ようだ)です。こちらは神宮のうち外宮のほうの門前町で、内宮の門前町の宇治(うじ)と合併して、現在は伊勢市となっているところですが、さすが「神都」の異称があるだけあって、暦や神道関係の出版物が多く、当時にあって人口に膾炙(かいしゃ)した地名でした。

なお、写本の場合は事情がまた異なり、共同出版が多数ある刊本と違って、2以上の地名が出てくること自体がまずありませんし、書写地が三都に集中するということもありません。ですので、写本の場合は、現代の市町村のレベルと関係なく、現物にあるとおりのものをそのまま記録するということでも、それはそれでまったくよいように思います(まあ「書写地不明」なのが大半なのですが)。

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