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2020年3月 6日

避諱(ひき)こもごも

AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

以前、巻冊次に使用される「弟(第)」という文字について述べた際、避諱という、皇帝をはじめとする目上の者の本名(諱)を避けるという習慣のために文字を置き換えることについて述べました。この避諱について、若干補足しておきたいと思います。

避諱の影響というのは結構大きなものがあり、たとえば、漢王朝の初代の高帝は劉邦(りゅう・ほう)、曽孫の武帝は劉徹(りゅう・てつ)というのが本姓名でしたので、それまで「相邦」と言っていたのを「相国」、「徹侯」と言っていたのを「列侯」というぐあいに、同じような意味の文字に置き換えられ、それがその後もずっと引き継がれています。
あるいは、清朝の乾隆帝の諱は「弘暦(こうれき)」といいましたので、それぞれの文字は同音の「宏」「歴」で代用されました。このようによく使われる文字だとたいへんだということで、乾隆帝の子の嘉慶帝は「永琰(えいえん)」から「顒琰(ぎょうえん)」に、孫の道光帝は「綿寧(めんねい)」から「旻寧(みんねい)」に、それぞれ即位後に改名するという配慮をほどこしたりしています。

避諱の方法としては、文字自体を置き換えるほかに、一画を略して書く「欠画(けっかく)」というやり方などもありました。清代に刊行された『康煕字典』では、康煕帝の諱「玄燁」を避けて「玄」「燁」のそれぞれ最後の一画が省略されているのを確認することができますし、日本で翻刻されたものの中にもそれらをそのまま踏襲してしまっているものがあるということです。

こうした皇帝の諱を図書や文書でうっかり使ったりすると、大不敬ということで死刑に処されるほど厳しいもので、特に宋代と清代がきわめてやかましかったのですが、逆にそれらの文字が使用されているか否かで、出版年・書写年が限定できるという効用があったりします。たとえば、清初の大詩人で王士禎(おう・してい)という人がいますが、このひとはほんらい「王士禛」(おう・ししん)という名だったのを、没後に雍正帝(乾隆帝の父)の諱「胤禛」を避けて「王士正」と、さらに乾隆期に「王士禎」と改名させられています。ですので、欠画なしで「王士禛」とある書物があったら、それは雍正の前の康熙年間に刊行されたものだと判断できる、というわけです。

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