こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。
前回見たような、出版年を最初から入れていない「使いまわし用の奥付」が付いているものにかんしては、印行年は推定で「江戸後期」とか「明治期」とか入れることにおおむねなるわけですが、情報が不足しているだけで嘘の情報があるわけではないので、まだしも罪は無いと言えます。ほんとうに困るのは、別の本の奥付を、その本が発行された際の年記を残したまま使いまわしているケースです。
たとえば、香月啓益纂『牛山先生方考』という医書で、「安永八己亥年仲冬吉旦」という年記のある、京都の山本平左衛門等6肆の奥付が付されたものがあります。ところがこの本には安永8年から3年後にあたる天明2年の序があり、『日本古典籍総合目録データベース』でも「天明二刊」とされています。
奥付等の刊行年より新しい年月の序跋がつけられることは、以前見たように無いことではないのですが、この本の場合は明きらかに別本の奥付を使いまわしたものです。というのは、年記の前の行に「牛山方考嗣出」という記載があるからで、「嗣(つ)いで出す」というのはすなわち今でいう「近刊」ということですから、何ぼ何でも自分自身の近刊予告をしている本などあるわけがありません。調べてみると、この安永8年に同じ著者による『牛山先生活套』という本が同じ山本氏らから発行されていますので、山本氏がこの本の奥付をそのまま使いまわしたものと知れます。
といって、別本の奥付の年記とわかったらすべて信用してはいけないかというと、必ずしもそういうことでもありません。たとえば、岸本由豆流著『土佐日記考證』(文政2年初版)という本で、文政13年の山城屋佐兵衛・須原屋茂兵衛の奥付が付されたものがありますが、この奥付の右がわには「芳草之部 嗣出 濕草之部 同」という記述があり、明きらかに同年にこの2書肆から刊行された『本草圖譜』の奥付を流用したものです。ですがこの場合、別本の奥付がついているといっても、他の記載事項とは何ら矛盾はありませんので、単によけいな記載を削る手間を省いて使いまわしただけの話で、この年にこの出版者から発行されたということ自体は、そのまま受け取って問題ないと思われます。
上にあげたものなどは、使いまわしの証拠となる記載が残っているので事情が推測できますが、これらはかなり杜撰というか、確信犯的な例と言えます。たいていの場合は、そんな記載はもともと無いか、あってもきれいに削り去っていることが多いですので、惑わされたり訳がわからくなったりすることもしばしばです。
たとえば、初編・二編・三編とつづけて出されたような本で、後に出た三編の奥付を前の初編や二編にも付けているなら、その年記の年にまとめて印行されたのだろうと推測がつきますが、時々逆に、最初に刊行した際の初編の奥付を、二編・三編のほうにそのまま使っているようなこともあります。この場合は、二編・三編の出版年は奥付からは採用せず、序跋その他のほうから採用しなければなりません。
もちろん、そうは言っても、奥付が欠落した図書を補強する目的で、後の所蔵者がまったく別の本の奥付を付けて綴じ直しをしているような場合も、やはりあることはあったりはします。この場合は、その奥付の記載を出版事項として記録してしまうと、それはやはりまずいことになります。
いずれにしろ、本体の巻末に別丁が付け加えられているものであるというこの和漢古書の奥付の性格は、当時の出版屋さんにとってはいろいろメリットもあったのでしょうが、しかしながら後の時代のカタロガーにとっては、まことに何とも苦労の種と言わねばなりませんね。