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奥付を使いまわす話(初級編)―和漢古書の奥付(補遺1)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

以前、和漢古書の奥付の記載については、変更のあったところだけ入れ木(埋め木)を行って改めていたりすることが多く、出版事項を正しく判断して記述することは容易なことではないということを書きました。もちろん現代書のように、変更のあるたびに、正しい出版者と出版年の取り合わせの奥付をちゃんと作り直してつけてくれるのが一番よいのですが、こうした場合でも、入れ木(埋め木)をして直してくれているだけ、まだ良心的と言えます。この作業には当然ながら手間と、したがって経費がかかりますので、江戸時代の版元さんは、それをも節約するために、別の本に用いた奥付をそのまま使いまわしていることがよくあります。

もちろん、あからさまに他の本の奥付だとわかるものを流用していることはさすがに多くなく、よくあるのは最初から出版年の情報を入れていない「使いまわし用の奥付」を用意して使っているものです。以前見たように、江戸幕府のお触れで、奥付に版元を明記することは定められているのですが、書名や出版年については何も言われていませんので、それらの記載が無くてもルール違反をやらかしているわけではない、と堂々と言えます(もっとも、以前書いたように、このお触れでは「作者并板元之実名」を記せとあるわりには、作者のほうは最初からどうもあまり守られていないのですが、まあ本文巻頭などにだいたい記してありますし、幕府のがわとしてもやはり版元のほうの取り締まりもしくは保護が主眼だったようです)。
とくに、江戸後期に増えてくる相合版(共同刊行)では、書名も著者も年代も入っていない、10人前後の書肆名が列記されている同じ奥付が付されている図書をあちこちでよく見ます。こうしたものについては、出版年は図書のその他の箇所から採用するか、推定の時期を入れるかということになりますが、実際には序跋等の年に刊行した図書の後印本ということがほとんどです。
この場合、奥付の最後の書肆は印行の主体と見なして問題ないでしょうが、それ以外の列記されている書肆は、ほんとうに印行にかかわっていたのか、いささかあやしいこともある気がします。彫り直しや別の奥付を用意するのを面倒くさがって、自分の名前が最後に記されている手元のありあわせの奥付をそのまま使っているようなケースもあるいはあるのではないか、とも想像されるのですが、まあ疑わしきはそのまま、とするしかないでしょう。

こうした奥付の使いまわしは、もちろん明治に入ってからもつづいており、江戸後期に作られた使いまわし用の奥付の「江戸」とあったところを入れ木して「東京」と改めて使っているものなど、しばしば目にします。また、江戸時代以来の本屋が続々廃業していく中で、版木を譲り受けたり買い集めたりして、初期費用を限りなく抑えたかたちでの木版本の印行をもっぱら行っていた業者もいくつかあり、阪府(大阪)の「前川善兵衛(文榮堂蔵版)」や、「和漢西洋書籍賣捌處」と称する「(群玉堂河内屋)岡田茂兵衛」の奥付などは、長年やっているともうおなじみです。仏教書でも、(以前すこし触れましたが)同様に、貝葉書院(印房武兵衛)の奥付が付されたものをよく目にします。

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