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2024年8月19日

五経の諸「伝」― 和漢古書の書名の漢字:「傳」(1)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前々回見たとおり、「経」は漢の武帝以来、正統的なものとしての地位を確立しましたが、ただその実際の内容については流動的な部分があり、それぞれの経書についていくつかの異なったテキストが伝えられています。それらの「経」のテキストを解説敷衍した権威ある注釈のことを「伝」といいます。両者の位置づけについては、西暦1世紀の王充(おう・じゅう)撰『論衡(ろんこう)』という書物で、「聖人其の経を作り、賢者其の伝を造る」(書解篇)と端的に言い表されています。
これらの経書の「伝」は、何代か学統をさかのぼれば孔子にいきつく学者たちの手になるものとされ、後に触れる「春秋三伝」の場合が典型的ですが、後代の学者から「経」とほぼ同等に重視されました。ですので、晋の杜預(ど・よ)による『春秋經傳集解(しゅんじゅうけいでんしっかい)』や清の王引之(おう・いんし)の『經傳釋詞(けいでんしゃくし)』のように、「経伝」とひとまとめにして扱っているケースもよくあります。
また、宋代になるといわゆる宋学の学者によって、漢・唐の時代の注釈(古注)に異を唱え、新しい解釈による注解(新注)を附したものが登場しますが、これらもしばしば「伝」と称しています。明代以降、科挙における標準の解釈とされて広く流布したのはこちらのほうで、江戸時代に日本で刊行された各種の「五経」も、だいたいそれらの新注によるテキストに由っています。

「伝」については後述の通り別の意味内容もありますが、ひとまずは五経(易・書・詩・礼・春秋)それぞれの「伝」について整理しておきます。なお、「伝」は、中国語では「つたえる」の意味の動詞ではchuanと読まれますが、こちらの意味の場合はzhuanという音になります。

「五経」の筆頭にあげられるのは「易」ですが、「易」における「伝」は他の経書とはすこし違い、文王・周公が作ったという六十四卦の説明語句(卦辞(かじ)・爻辞(こうじ))が「経」本体、それに対する孔子の注釈が「伝」という位置づけになっています。六十四卦は上経三十卦、下経三十四卦に分けられ、三十二ずつの同数ではないのはちょっと不思議なようですが、上下反対の形の二卦をそれぞれ一つ、上からも下からも同じ形のものもそれぞれ一つとカウントしてみると、上下とも十八ずつになるという具合になっています。
「伝」は「彖伝(たんでん)」上下・「象伝(しょうでん)」上下・「繋辞伝(けいじでん)」上下・「文言伝(ぶんげんでん)」・「説卦伝(せっかでん)」・「序卦伝(じょかでん)」・「雑卦伝(ざっかでん)」の十部から成り、「十翼(じゅうよく)」と称されます。「翼」は「たすける」と訓じ、解釈のたすけとなるものという意味になります。むろん、孔子の作というのは仮託でしょうが、易の場合は、経文本体とこの十翼とをあわせた全体が「経」とされます。

巻の構成としては、最初に「經」の上下2巻があり、その後に十翼すなわち「傳」の巻1から巻10があって全12巻、というのがほんらいのありかたで、清代の考証学者の孫星衍(そん・せいえん)の『周易經傳集解(しゅうえきけいでんしっかい)』という著作などではそうしたかたちになっています。ですが前漢以来、読者の便宜のため「彖伝」・「象伝」を上経・下経の各卦それぞれに割りつけて読みやすくしたスタイルが一般的に取られています。このとき、「文言伝」も乾坤二卦について特に解説したものですので当該の卦のところに付され、残りの「繋辞伝」上下・「説卦伝」・「序卦伝」・「雑卦伝」が最後にまとめて置かれるかたちになります。

和刻本の「五経」においては、テキストとしてはおおむね、北宋の程頤(てい・い)による『伊川易伝(いせんえきでん)』4巻に朱熹(しゅ・き)が注釈を加えた『周易本義(しゅうえきほんぎ)』12巻によるものが用いられています。ただし『周易本義』自体は上記のオリジナルの巻構成を取っているのですが、和刻本の体裁はほぼすべて、「繋辞伝」以下を末尾に付した一般的なスタイルになっています。
なお、これらの和刻本の「易経」の巻頭には「程朱傳義」という表記があることがしばしばありますが、これはいわゆる互文で「程傳・朱義」ということで、「程子伝」「朱子本義」という責任表示のことと見なすのが適当です。ですので、この表記があれば、程頤と朱熹とを注釈者として著者典拠にリンクさせておいたほうがよいでしょう(以下は次回)。

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