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2020年7月20日

和漢古書あれこれ ― 武鑑

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

和漢古書を整理する際に、時々目にするものとして武鑑(ぶかん)というものがあります。これは江戸時代の大名や幕府の役人を一覧できる名鑑で、森鷗外が収集していたことがよく知られています。研究も多くなされており、藤實久美子著『江戸の武家名鑑』(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)といった、手に入れやすい専著もあります。
武鑑で最も一般的なのは4巻セットのもので、巻1が十万石格以上の大名、巻2がそれ以外の大名と諸家の隠居、巻3が幕府の江戸城本丸付の役人、巻4に江戸城西丸付の役人が掲載されているのがスタンダードです。前2冊を「大名付(だいみょうづけ)」、後2冊を「役人付(やくにんづけ)」と称し、サイズとしては小本サイズ、巻1から巻3まではそれぞれ200丁前後もあります(「西丸役人付」はだいぶ薄くなります)。
内題はないのがふつうで、表紙(青色が多いです)に貼られた刷り題簽に「〇〇武鑑」とあるので、タイトルはそこから採用します(もちろん剥落したりしている場合もよくありますが)。「〇〇」の部分には年号が入ることが多いですが、「泰平武鑑」「大成武鑑」「有司武鑑」(有司(ゆうし)とは役人の意)といった書名のものもあります。

このような「大武鑑(だいぶかん)」と称されるスタイルが確立したのは江戸中期以降で、それまではいろいろな名称や構成のものが発行されていました。逆にこのスタンダード版を前提として、一部を抽刻した「略武鑑」や、携帯に便利なように横本で発行された「袖珍武鑑」といったものもたくさん残されています。
武鑑の刊行は当初いろいろな版元が行っていましたが、享保年間以降、板株を買い占めた江戸の須原屋茂兵衛にほぼ限定され、江戸の書籍商の代表格である須原屋の経営の基幹となりました。しかし武鑑は需要が大きかったので、幕府の御用書物師だった京都の出雲寺和泉掾も参入をはかり、激しい出版競争をくりひろげたことが藤實氏の著書に詳述されています。

なぜ武鑑という実用書の需要が大きかったかというと、そこに記載されているデータ量がとにかく多かったということがあります。関係する人物や領地の情報などにとどまらず、家紋や船印(ふなじるし)、行列の際の服装や道具などのヴィジュアル情報までもが、大きくない版面のなかにぎゅっと詰め込まれています(藤實氏の著書によれば、標準的な「大名付」で45項目前後)。しかしレイアウトが工夫されているので、決して見にくくはないですし、幕末期には年に5~6回も改訂されるなど、木版印刷時代においてなしうる限りアップデートな情報更新がされていました。
人名録・住所録としてのニーズはもちろん高かったにせよ、ここまでの情報量が求められた背景としては、大名行列の見物というのが江戸のひとつの娯楽だったという事情もあります。桜田門外の変で、雪のなか井伊大老を襲撃した水戸浪士も、武鑑を手に行列を見物するふりをして待ち構えていたそうですが、武鑑には行列の際の行列道具の位置や雨天の際の服装まで記されていたりするので、実際的にもきっと役に立ったでしょう。
とにかく、これだけの情報を定型化して表現した武鑑という書物は、それ自体がひとつの一大データベースとなっていると言えます。もし幕末に携帯端末があったら、「武鑑アプリ」はきっと大ヒットしていたのでは、などと思ったりもするところです。

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