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2024年8月 アーカイブ

2024年8月30日

聴く読書の時代が来るのか? オーディオブックに注目!

2024年の読書界においてぐぐっと存在感を増してきたのが、「聴く読書」でしょう。プロのナレーターや声優が朗読してくれる「オーディオブック」というサービスが人気上昇中です。TRCの電子図書館サービス"LibrariE&TRC-DL"でも、株式会社オトバンクが提供しているオーディオブックの取り扱いをはじめました。

さっそく聴いてみました。宮沢賢治や芥川龍之介の短編をプロが読んでくれるのです。一瞬で別世界に行ったような気持ちになります。疲れているときに、自分で文字を追って読むのはおっくうに感じるものですが、読んでもらうのはこんなに気持ちがよいものか! 短いけれど精巧な文学作品は、どんよりとした気分を一新してくれます。

英語や韓国語の語学教材もあれば、ビジネス書、啓発本、ミステリー小説などもあります。小説は収録時間が4時間以上になるものもあり、ナレーターは正確に読むための準備から一人で読み通すまで、たいへんな知力体力が必要でしょう。また複数のナレーターがそれぞれ役柄を演じるラジオドラマのような贅沢なコンテンツもありました。

昨年、「ハンチバック」で芥川賞を受賞した市川沙央さんが、作品の中で「読書バリアフリー」を訴えていたことが、ニュースなどでも大きく取り上げられました。それから紙の書籍の電子化に出版界はずいぶん前進した模様です。電子書籍は、フォントの拡大縮小ができたり、読み上げ機能や検索機能がついたりして、文字を読むことが難しい人にも読書の可能性を広げてきました。でも「読んでくれる」のは、段違いのバリアフリー化です。視力が弱くても、文字を追う体力気力がなくても、「聴く読書」はできるのです。

バリアフリー化という目的だけではなく、読書の別のスタイルになっていきそうだとも感じます。近代以前は、本を音読していたといいます。源氏物語などは誰かが読むのをみんなで聴いていたのでしょうし、江戸時代には会読という読書会がさかんだったとか。速く大量に読むために、また個人で好きなものを読むために黙読が広がったのでしょうけれど、21世紀になって他人の声で聴く読書、誰かのために読む読書が復活するのはなんだか面白い。読書が個人的なものではなく、コミュニケーションの一種になったら、世の中が少し良くなりそうです。まずは「聴く読書」を体験してみませんか。

2024年8月29日

発音が難しい料理

8月の雑記のテーマは「夏の定番メニュー」。
わたしにとっての夏の定番メニューは「ラタトゥイユ」です。
一般的になったのはわりと最近なのではないかと思いますが、ピクサーのアニメ「レミーのおいしいレストラン」で登場して有名になりましたね。原題はずばり「ラタトゥイユ」だそうです。

要は夏野菜の煮込み料理なんですが、材料を刻んで鍋に入れてあとはほったらかしでいいので、調理自体は簡単ですし、ずっと付きっきりでいなくてもいいので、夏でもそれほど大変ではないかと。
具材はナス、パプリカ、ズッキーニ、タマネギ、ホールトマト。にんにくとコンソメと塩コショウで味付けするだけです。
材料が足りなくて、パプリカの代わりにピーマン、ズッキーニの代わりにキュウリをつかったこともありますが、やっぱりイマイチ。肉厚なパプリカと味が染みやすいズッキーニがあると断然違います。
もうちょっと食べ応えが欲しいときはニンジンを追加したり、メイン料理にしたいときには鶏肉やソーセージを追加します。
出来立てもおいしいのですが、翌日に食パンに溶けるチーズと一緒にのせて焼いたピザトースト風が絶品です。やったことはないですが、パスタにあえても絶対美味しい。

まあ唯一の欠点は「発音が難しい」ということでしょうか。
「ラタ」でも舌が回らないのに、「トゥイユ」って...。日本語では絶対ありえない発音の組み合わせ。
でも「ラタトゥイユを作ったよ!」と口にすると、フランス人っぽい感じがして、ちょっと楽しかったりもするのでした。

2024年8月28日

きょうのデータ部☆(8/28)

台風情報が気になります...
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2024年8月27日

作品制作をサポート

本日は「週刊新刊全点案内」2370号の発行日です。
掲載件数は835件でした。

*こんな本がありました*
「幻想世界の作り方」
   マーク・ネルソン(著)
   翔泳社(2024.8)

「頑張らない背景の描き方」
   デジタル職人(監修)
   新紀元社(2024.9)

そろそろ夏休みが終わりに近づくころ
思い出すのは宿題の中でも自由研究や作文、作品制作等に苦しんでいた記憶
自由なイメージを思い浮かべ形にするのが得意ではない幼少期でした

そんな私のようなタイプが沢山いるのか、イラスト作品制作をサポートするこんな2冊がありました
作品制作に行き詰ったときにお役に立てるかもしれません

2024年8月26日

五経の諸「伝」(承前)― 和漢古書の書名の漢字:「傳」(2)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回「易」について見ましたので、「五経」の残りの「書」「詩」「春秋」「礼」について見ていきましょう。

「書」は孔子の時代以前の詔令・文献を編纂したとされるもので、「稽古」といった今の日本でなじみ深い言葉もこれが出典であったりします(意味はもちろん違っていますが)。構成としては、堯(ぎょう)・舜(しゅん)の時代のものとされる「虞書」以下、「夏書」「商書」「周書」の4つのまとまりに分けられます。
この「書」は複雑な成立経緯を持つ経書で、漢初の伏生(ふくせい)による「尚書大伝」や、孔子の子孫とされる孔安国(こう・あんこく(読みぐせで「くあんごく」とも読まれます))による伝があったと言いますが、『五経正義』や『十三経注疏』に収録されて伝わっている孔安国伝の「古文尚書」は魏晋のころの偽撰だということが、清朝の考証学者によって立証されています。和刻本の「五経」においては、朱熹の弟子の蔡沈(さい・しん)による『書集伝』6巻によるテキストが用いたものが一般的です。

「詩」は、周代の宮廷や民間の詩歌300あまりを集めたもので、内容としては「風」「雅」「頌」の3つに区分されます、前漢代には「魯詩」「斉詩」「韓詩」の「三家詩」が学官に立てられましたが、これらはいずれも亡佚しました。それと別系統の毛亨(もう・きょう)によるテキストがあって、この「毛伝」を附されたもののみが最終的に伝わって定本となりました。「毛詩」というタイトルが使われていることがよくあるのはこのためです。
和刻本の「五経」では基本的に、毛詩に附されている「詩序」は後代の偽作であるとして朱熹が新たな解釈をほどこした『詩集伝』8巻によるテキストが用いられています。朱熹の解釈は、古注が教訓的な意味を牽強付会させるきらいがあったのに対し、あっさり「淫詩也」(男女の恋愛の詩である)などと詩歌の内容を素直にとらえるもので、現代でも順当なものとして評価されています。

年代記形式の歴史書である「春秋」については、以前「九経」や「十三経」においては「左氏伝」「公羊伝」「穀梁伝」の3つにカウントされると書きましたが、これはそれぞれ春秋戦国時代の左丘明(さ・きゅうめい)・公羊高(くよう・こう)・穀梁赤(こくりょう・せき)という三家によって別々に伝えられたとされるものです。それぞれの注釈のつけ方がだいぶ違いますし、経の本文もすこし異なっている部分があります。孔子が整理したとされる経の本文はかなり簡潔なもので、春秋時代の詳細な歴史はおもにこの「左伝(さでん)」によって知られています。
和刻本の「五経」のほうでは、宋代の胡安国(こ・あんこく)が校訂した「春秋経」本文がもっぱら用いられます。四部分類では「春秋類」は「左傳之屬」「公羊之屬」「穀梁之屬」「總義之屬」の四つに分けられますが、胡安国の撰による注釈は「春秋胡氏伝」と称され、経本文のみのものとともに、最後の「總義之屬」に分類されます。

「礼」については、漢代に学官に立てられたのは現行の「儀礼(ぎらい)」にあたるもので、「周礼(しゅらい)」はもともとまったく別個の「周官(しゅうかん)」という書物を後から「経」のひとつに加えたものです。一方、「礼記(らいき)」は礼にかんするその他のさまざまなテキストを前漢の戴聖(たい・せい)という学者が編集したもので、すなわちこの場合の「記」は「伝」とほぼ同じ意味あいということになります。現行の「礼記」のほか、戴聖の伯父にあたる戴徳(たい・とく)の編による『大戴礼記(だたいれいき)』というものも存在します。
五経の書物のセットとして言う場合の「礼」は基本的に「礼記」を指します。和刻本においてはおおむね、元の陳澔(ちん・こう)編の『礼記集説』10巻によるテキストが用いられています。ちなみに、ほんらい「五経」と言った場合、「春秋」が最後に来るのですが、和刻本のセットではこの「礼記」が最後にあって、したがってセットの奥付もそこにあることが大半です。

2024年8月23日

学習まんが「図書館のひみつ」

7月にGakken「図書館のひみつ」が刊行されました。

学研まんがでよくわかるシリーズの1つで、公共図書館のひみつがよく分かる小学生向けの学習まんがです。
図書のMARCを作る仕事をしている弊社データ部の様子や、物流センターの新座ブックナリーもまんがの中に登場しますよ。

全国の小学校・特別支援学校と公立図書館・児童館に寄贈されていますので、目に留まったらお手に取って頂けると嬉しいです。

2024年8月22日

定番もアレンジも

夏のピークは去ったかなぁと思うとき、毎回脳裏にフジファブリックがよぎります。
そんな8月の雑記のテーマは「夏の定番メニュー」です。


やはり、夏といえば外せないのがそうめんです。

普段はスーパーのプライベートブランドのものも買いますが、たまに実家の味を思い出してちょっといいそうめんに手を伸ばしてみたり。
やはり、お値段が張るだけあって味が違います。おそらく麵の細さや製造工程の違いが影響しているのでしょうか、PBのそうめんは小麦の風味が強くてややうどんに近い味わい、いいそうめんは「これぞ、そうめん」という味わいな気がします。

うだるような暑さに耐えながら麺を茹で上げ、氷水でしっかり締めて冷たくいただく。このギャップに夏を感じます。

よくやる食べ方は、シンプルにそうめんつゆと小ネギ。定番はやはり強いですね。
ただ、それだけだと長い夏を乗り切るにはどうしても飽きがくるもの。
ミョウガや大葉、ショウガなどの薬味を取り入れたり、ちょっと冒険して変わり種のタレを買ってみたりとアレンジして夏の味覚を楽しんでいます。

2024年8月21日

きょうのデータ部☆(8/21)

暑さのピークはこえたような...?
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2024年8月20日

ローカルならではのご当地チェーン

本日は週刊新刊全点案内2369号の発行日です。
掲載件数は1062件でした。


*こんな本がありました*
「日本ご当地チェーン大全」

辰巳出版(2024.9)

地方出身の友人から、○○県にはこのお店はどこに行ってもあるから東京には無くてびっくりしたよ!
なんて言われたことがありました。
その地域では有名でも、他県では知られていない飲食チェーン店が世の中にはたくさんあります。

本をパラパラ眺めていると、誰もが知っていそうな「日高屋」は東京、埼玉、神奈川、千葉、茨城、群馬、栃木の1都6県でしか展開していない様子。

ほかにもちゃんぽんのページなんかを開いてみると、長崎ちゃんぽんが始めに掲載されているのかと思いきや、載っていたのは「長崎ちゃんめん」。

...ちゃんめんってなんだろう?

お店曰く、どうやらちゃんめんとはちゃんぽんとラーメンの良さをドッキングした一杯を言っているのだそう。

目次を見てもピンとくるものが少なく、へぇ~こんなお店があるのかと初めて見るものばかりで新鮮な気持ちになりました。
個性があったりちょっとしたレトロ感があったりとどれも興味を惹かれます。

地方へ旅行に行った際には、ぜひ立ち寄ってみたいなと思う、食欲そそるローカル料理が数多く紹介された一冊でした。

2024年8月19日

五経の諸「伝」― 和漢古書の書名の漢字:「傳」(1)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前々回見たとおり、「経」は漢の武帝以来、正統的なものとしての地位を確立しましたが、ただその実際の内容については流動的な部分があり、それぞれの経書についていくつかの異なったテキストが伝えられています。それらの「経」のテキストを解説敷衍した権威ある注釈のことを「伝」といいます。両者の位置づけについては、西暦1世紀の王充(おう・じゅう)撰『論衡(ろんこう)』という書物で、「聖人其の経を作り、賢者其の伝を造る」(書解篇)と端的に言い表されています。
これらの経書の「伝」は、何代か学統をさかのぼれば孔子にいきつく学者たちの手になるものとされ、後に触れる「春秋三伝」の場合が典型的ですが、後代の学者から「経」とほぼ同等に重視されました。ですので、晋の杜預(ど・よ)による『春秋經傳集解(しゅんじゅうけいでんしっかい)』や清の王引之(おう・いんし)の『經傳釋詞(けいでんしゃくし)』のように、「経伝」とひとまとめにして扱っているケースもよくあります。
また、宋代になるといわゆる宋学の学者によって、漢・唐の時代の注釈(古注)に異を唱え、新しい解釈による注解(新注)を附したものが登場しますが、これらもしばしば「伝」と称しています。明代以降、科挙における標準の解釈とされて広く流布したのはこちらのほうで、江戸時代に日本で刊行された各種の「五経」も、だいたいそれらの新注によるテキストに由っています。

「伝」については後述の通り別の意味内容もありますが、ひとまずは五経(易・書・詩・礼・春秋)それぞれの「伝」について整理しておきます。なお、「伝」は、中国語では「つたえる」の意味の動詞ではchuanと読まれますが、こちらの意味の場合はzhuanという音になります。

「五経」の筆頭にあげられるのは「易」ですが、「易」における「伝」は他の経書とはすこし違い、文王・周公が作ったという六十四卦の説明語句(卦辞(かじ)・爻辞(こうじ))が「経」本体、それに対する孔子の注釈が「伝」という位置づけになっています。六十四卦は上経三十卦、下経三十四卦に分けられ、三十二ずつの同数ではないのはちょっと不思議なようですが、上下反対の形の二卦をそれぞれ一つ、上からも下からも同じ形のものもそれぞれ一つとカウントしてみると、上下とも十八ずつになるという具合になっています。
「伝」は「彖伝(たんでん)」上下・「象伝(しょうでん)」上下・「繋辞伝(けいじでん)」上下・「文言伝(ぶんげんでん)」・「説卦伝(せっかでん)」・「序卦伝(じょかでん)」・「雑卦伝(ざっかでん)」の十部から成り、「十翼(じゅうよく)」と称されます。「翼」は「たすける」と訓じ、解釈のたすけとなるものという意味になります。むろん、孔子の作というのは仮託でしょうが、易の場合は、経文本体とこの十翼とをあわせた全体が「経」とされます。

巻の構成としては、最初に「經」の上下2巻があり、その後に十翼すなわち「傳」の巻1から巻10があって全12巻、というのがほんらいのありかたで、清代の考証学者の孫星衍(そん・せいえん)の『周易經傳集解(しゅうえきけいでんしっかい)』という著作などではそうしたかたちになっています。ですが前漢以来、読者の便宜のため「彖伝」・「象伝」を上経・下経の各卦それぞれに割りつけて読みやすくしたスタイルが一般的に取られています。このとき、「文言伝」も乾坤二卦について特に解説したものですので当該の卦のところに付され、残りの「繋辞伝」上下・「説卦伝」・「序卦伝」・「雑卦伝」が最後にまとめて置かれるかたちになります。

和刻本の「五経」においては、テキストとしてはおおむね、北宋の程頤(てい・い)による『伊川易伝(いせんえきでん)』4巻に朱熹(しゅ・き)が注釈を加えた『周易本義(しゅうえきほんぎ)』12巻によるものが用いられています。ただし『周易本義』自体は上記のオリジナルの巻構成を取っているのですが、和刻本の体裁はほぼすべて、「繋辞伝」以下を末尾に付した一般的なスタイルになっています。
なお、これらの和刻本の「易経」の巻頭には「程朱傳義」という表記があることがしばしばありますが、これはいわゆる互文で「程傳・朱義」ということで、「程子伝」「朱子本義」という責任表示のことと見なすのが適当です。ですので、この表記があれば、程頤と朱熹とを注釈者として著者典拠にリンクさせておいたほうがよいでしょう(以下は次回)。

2024年8月 9日

それも経書?― 和漢古書の書名の漢字:「經」(2)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回見た通り、「経」はほんらいは儒教の経典にのみ使用されましたが、そこから援用したかたちで、それぞれのジャンルで正統的な古典と位置づけられる書物にも用いられるようになりました。典型的なのは、仏教におけるスートラsutraの訳語としての「経」で、われわれにとってはもう、「経」といってまず連想するのは、「阿弥陀経」とか「法華経」とかいったそうした「お経」ですね。ちなみに、「バイブル」の中国語訳は「聖経」、「コーラン」は「古蘭経」で、当然のごとくに「経」を使っています。
なお、「経」は中国語ではとくに区別したりせず、みなjingと発音しますが、日本語では儒教の場合は漢音の「けい」、仏教の場合は呉音の「きょう」と読みます。もっとも、「易経」「書経」「詩経」(こうした言い方をするようになったのは宋代以降のことです)については、「えききょう」「しょきょう」「しきょう」と読みならわしていますが、和刻本の中にはわざわざちゃんと「エキケイ」「ショケイ」「シケイ」とルビを振っているものもあります。

仏教の影響を受けたかたちで、道教でも『老子(ろうし)』を「道徳経(どうとくきょう)」、『関尹子(かんいんし)』を「文始真経(ぶんししんきょう)」、『列子(れっし)』を「冲虚至徳真経(ちゅうきょしとくしんきょう)」、『荘子(そうじ)』を「南華真経(なんかしんきょう)」、とそれぞれ呼称しますし、仏経にならってさまざまな経典が作られていきます。
日本でも、神道の書物で『神明三元五大伝神妙経(しんめいさんげんごたいでんしんみょうきょう)』とか『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』といったものが作られました。後者は、『先代旧事本紀』というちょっとあやしいところもある古代の歴史書にもとづき、聖徳太子の編纂というテイで作られたものですが、刊行後に訴えがあって幕府の詮議を受け、偽書と断定されて作成にかかわった人物や版元がきびしく処罰されるという事件になったりしています。
このほか、以前見たように、医学書においても、神農や黄帝といった伝説的存在の名をとった『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』『黄帝内経(こうていないきょう)』といった書物が経典的な地位を占めています。といった具合ですので、逆に自分の著作を「〇〇経」と名づけたりするのはかなり挑戦的なハナシで、実際、前漢末の揚雄(よう・ゆう)というひとは『太玄経(たいげんけい)』という書物を著していますが、これについては「雄は聖人に非(あら)ずして経を作る」と諸儒にそしられたということが史書に載っています。

ただ、「~経」と名づけられる書物にはもう一つタイプがあり、特定の事物や技芸について総合的に論じた書物のタイトルにもこの字が用いられます。こうしたものの元祖は、紀元前に成立した、伝説的色彩の強い地誌の『山海経(せんがいきょう)』になるかと思いますが、ほかに著名な漢籍としては、全国の河川の流路を記した『水経』(北魏の酈道元(れき・どうげん)による注釈をつけた『水経注』というかたちで知られています)、茶にかんする知識を網羅的にまとめた最古の茶書である唐の陸羽(りく・う)撰『茶経』などがあります。算術でも、夏侯陽(かこう・よう)・張邱建(ちょう・きゅうけん)・孫子(春秋戦国の兵法家とは別人)といった著者によるいくつかの「算経」が残されており、後に『算経十書』としてまとめられています。和古書でも同様なノリで、「碁経」とか「菊経」とかいったタイトルのものが作られています。

明日8/10(土)よりデータ部は夏季休業に入るため、ブログの更新をお休みさせていただきます。
再開は8/19(月)です。よろしくお願いいたします。

2024年8月 7日

薬味なんかなんぼあってもいいですからね

給湯器のスイッチを入れていないのに蛇口からぬるま湯が出てくる...。
そんな8月の雑記のテーマは「夏の定番メニュー」です。

夏は「炒める」よりも「茹でる」料理が多くなるなあ、と思いました。
よく作るのは冷しゃぶです。

鍋に湯を沸かし、沸騰しないくらいの状態で薄切りの肉を茹でます。氷水にとると肉が硬くなるとどこかで聞いたので、ザルにあげて粗熱を取り、下味をつけて(うちはヤマサの昆布ぽん酢一択。食べる時にもかけます)和えておきます。

で、レタスやキュウリなど歯ざわりの良い野菜を敷いた上に、お肉を、どん。

そして。
薬味です。薬味。
私としては、これが主役といっても過言ではない。
夏は薬味好きにはいい季節ですね。
大葉とミョウガを千切りにしたものをこれでもかと盛り、あれば細ネギも散らします。そして炒りごま。
ごまを振るとき、なぜか「ごまなんかなんぼあってもいいですからね」と謎の関西人イメージが頭のなかで私に語りかけてきます。そうそう、なんぼあってもいいですからね、と脳内で答えながらたくさん振ります。

大人は薬味があればあるだけ嬉しいですが、子どもはごま以外は苦手としており、肉から薬味をつまんで除いて食べています(行儀が悪い)。

なにせいつも大慌てで支度をするので、「冷」しゃぶといえるほど冷えておらず、なんなら下に敷いた野菜はちょっとしんなりするのですが...。まあ、いいか。
食の好みがバラバラな子どもたちが揃ってよく食べてくれるのもありがたいところです。

きょうのデータ部☆(8/7)

予報ではこのあと雨のようですが...まだ青空が見えました!

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2024年8月 6日

宇宙入門

本日は週刊新刊全点案内2368号の発行日です。
掲載件数は1054件でした。今月の表紙はこちら。

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絵に描いた様な入道雲、遥か海原に船、優しい波音、心地よい海風・・・・
真夏の静かな海をぼんやり眺めている
そんなイメージです。
(Juri)

先月、夏休みという季節柄か、虫に関する本がこの頃多いという記事がありました。おもしろそうな本はないかなと眺めていたところ、今週も昆虫の本が多い印象。
しかし虫はちょっと、いやかなり苦手...。読めたら視野が広がって楽しそうだなと思いますが、なかなか手に取れません。
ほかに視野が広がりそうだなという点で気になったのはこちら。

*こんな本がありました*
やわらか宇宙講座
東洋経済新報社 井筒智彦/著(2024.8)

ミクロな虫の世界から一転、広大なマクロの宇宙の話になりますが、
遠くて身近な存在である宇宙について、いろいろな切り口から
タイトルの通り読みやすい対話形式の文章で解説をしてくれます。
宇宙に果てはあるのか論争や、必ず習う相対性理論とは?
そもそも宇宙って一体なに?など、根源的な疑問についても
やわらかくかみ砕いた説明がされています。
この世界の物質は5%しか解明されておらず、残りの95%は観測もできず未知の物質・エネルギーで占められている(といったような)ことを以前科学館で知り、
私たちが生きる世界の大部分のことはいまもなにもわからないのだなと
畏怖と興味でとてもどきどきしたのですが、
そんなどきどきを味わえる本として、夏休みの読みものにもおすすめです。

2024年8月 5日

パラリンピック正式種目です~新設件名のお知らせ2024年7月分~

明日発行の『週刊新刊全点案内』は、巻頭に「新設件名のお知らせ」を掲載しています。新設件名は、TRC MARCで件名標目を新たに採用したものという意味で用いていますので、NDLSHから採用したものも含まれています。

7月の新設は5件でした。そのうちの1つが「ボッチャ」です。

赤と青のボールを投げたり転がしたりして、白い目標球にいかに近づけられるかを競うスポーツです。
現在パリ五輪の真っ最中で、普段あまり目にすることのない様々なスポーツが盛り上がりを見せています。オリンピックで行われる競技の多くはパラリンピックでも同様に行われますが、実はこのボッチャとゴールボールの2競技はパラリンピック独自の競技だそうです。
パリパラリンピックのボッチャの日程は8月29日から9月5日まで。日本はチーム戦に出場します。どこまで放映されるかはわかりませんが機会があれば見てみたいです。

2024年8月 2日

経書と緯書― 和漢古書の書名の漢字:「經」(1)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

和漢古書の目録作成において、漢籍やそれらを踏まえた和書の書名に使われる文字や熟語について、知っておいたほうがよいと思われることを見ていこうと思います。

以前、「四部分類」という、中国の伝統的な学術体系による分類法のことを書きました。その大分類は「経・史・子・集」となっており、筆頭の「経部」に収められるのは儒教の経典(けいてん)と小学書です。「四部分類」のおおもととなる前漢末の劉歆(りゅう・きん)の『七畧(しちりゃく)』という分類では、「六藝畧(りくげいりゃく)」というのがこのグループに相当し、「六藝」として易(えき)・書(しょ)・詩(し)・礼(れい)・楽(がく)・春秋(しゅんじゅう)の六種、および論語・孝経・小学の計9種類の書物が著録されています(この『七畧』自体は残っていませんが、『漢書』芸文志にほぼそのまま採用されています)。
これらの六種の書物はいずれも周公(しゅうこう)や孔子(こうし)といった儒教における聖人の著作もしくは編纂物として権威づけられ、「楽」ははやくに失われましたが、残りの五つの書物を教学する学官として、前漢の武帝の時に「五経博士」が設けられました。
唐代には、五経のうち「礼」は「周礼(しゅらい)」「儀礼(ぎらい)」「礼記(らいき)」の3つに、「春秋」は「左氏伝(さしでん)」「公羊伝(くようでん)」「穀梁伝(こくりょうでん)」の3つに分けられてカウントされ、「周易(しゅうえき)」「尚書(しょうしょ)」「毛詩(もうし)」とあわせて「九経」という言い方がされるようになりました。
さらにこれに「論語」「孝経」および小学書の「爾雅」が加わって「十二経」、宋代に「孟子」が加わって「十三経」というまとめ方がされるようになります。「四部分類」の経部の中分類・小分類は、これらに属する書物すなわち「経書」を再構成・再配列したものと言うことができます。

「経」というのは、『説文解字』に「織の從絲也」とあり、もともと織物の「たていと」の意味で、「経書」は「布帛に縦糸があるように人の道にも古今を一貫する道があるというので名づけたもの」(『中国学芸大事典』p165)だと説明されます。
さて、縦糸があるなら横糸もあるわけで、「縦糸」の「経」に対する「横糸」は「緯」になります。「緯度・経度」とか「経緯」とかの「緯」ですね。漢籍においても、「経書」に対応する「緯書」という一群の書物があります。
「経書」のほうは、古今を通じてひとすじにゆるがない聖賢の述作とされるのに対し、「緯書」のほうはそれの背後に隠された意味あいを解説したものとされ、紀元前後の前漢末から後漢代にかけて、未来記や予言書といった「讖緯(しんい)」の説の書が大いに流行しました。内容的にも年代的にも、ちょうどユダヤ・キリスト教の聖典に対するいわゆるグノーシス文書といったものに似た性格と言えるかもしれません。『春秋緯』とか『易緯乾鑿度』といったものの断片が伝えられていますが、書物の性格上、正統的な立場からは排斥され、隋代に徹底的に禁圧されて完本はひとつも残っていません。

2024年8月 1日

∞大葉

8月を迎えました。
8/7は立秋ということで、この暑さも底が見え始めたかも...。
あと少し! がんばりましょう。

8月の雑記のテーマは「夏の定番メニュー」です。

この暑い中、台所に立つのも勇気がいりますね。
冷たいものばかりだと具合が悪くなりそうなので、鍋に入れたらしばらく様子をみなくても大丈夫な料理ばかり作っています。

といいつつも、素麺はしかたない。
備蓄がきき、短時間で茹で上がり、手軽。
避けたい...。とは思いつつ、よく作るメニューのひとつです。

そんな素麺の薬味として優秀なのがシソ(大葉)!
今我が家のプランターにはシソ(大葉)が茂っています。
これは知り合いの畑で間引いた苗が大きくなったものです。

実は、わたくし植物栽培は大の苦手。

「枯らすからいいです」と遠慮したのですが、「すぐ根っこが出ますよー」と小さな苗を新聞紙で包んで渡されてしまいました。やる気に欠けていたので、夜までそのまま持ち歩いて、帰宅後には冷蔵庫に入れてしまいました。これはもう、ぜったいムリ...。

翌朝、出勤前に萎びた苗を冷蔵庫から出してプランターに植えました。

完全に諦めモードだったのですが、帰宅してみると、なんとシナシナだった苗がみずみずしく立ち上がっているではないですか。苗を植えた日がたまたま一日雨模様だったのが原因だったのかもしれません。

俄然やる気は出たものの、雑草のように強い植物なので、結局何も手をかけないまま、我が家のプランターで青々と茂っています。

というわけで、大葉と相性ばっちりの素麺を「あついー」と叫びながら今日も茹でています。

大葉は、素麺だけではなく、冷ややっこ、冷しゃぶ、かつおのたたき、冷やし中華など、なんにでも使えます。数枚ちぎっても次々に出てくるので、我が家のプランターは無限大葉ストッカー。あと少し、夏の食卓を頑張れそうです。

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