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2017年8月 アーカイブ

2017年8月31日

魔法のかき氷

今月の雑記のテーマは「アイス」です。

夏になると決まって食べたくなる、私の好きなアイスは
「ガツン、とみかん」と「カルピスバー」と「サクレ」の3つ。

「ガツン、とみかん」はみかんの果肉たっぷりで食べごたえ抜群。
お風呂上りの1本が最高、「カルピスバー」。
「サクレ」は断然レモン味。スライスレモンの苦味と甘いかき氷の絶妙なバランスがたまりません。

夏はやっぱり、シャーベット系やかき氷系のスカッと爽やかなアイスが食べたくなりますね。

かき氷と言えば...

ひみつ堂のヒミツ

森西浩二(著)
DU BOOKS
(2017.7)

6月に、MARC作成中にこの図書を目にしてから行こうと決めていた「ひみつ堂」へ、8月の夏休みに行ってまいりました。

本日の東京はくもり・雨で気温もだいぶ涼しくなっていますが、
その日もかき氷日和とは言い難いあいにくの雨模様...

...にも関わらず、ひみつ堂の盛況っぷりは健在でした。

11時ちょっと前に到着したら、すでに長蛇の列。
この列に並ぶためには整理券が必要で、
もらった整理券には「14時半~14時45分にお越しください」と。

ゆうに3時間半、谷中の和カフェで時間を潰しました。
(このカフェに入るのにも30分くらい並びました...)

整理券の時間になり、再びひみつ堂へ。
この時、雨は傘を差していても服がびしょ濡れになるほどの大降りに...。
こんな大雨の中みんなよく並ぶわ...。
と、自分のことは棚に上げて心の中で愚痴ることおよそ45分。

ようやくありつけたひみつ堂のかき氷は、

ふわふわ~っ! サラサラ~ッ!

大変な思いをして並んだことなど忘れてしまうくらい、
やっぱりとーっても美味しかったです!(実は2回目でした)

「ひみつ堂のヒミツ」を見た後だったので、
あれが店主さんかな?とチラ見したり、今日のひみつ堂の売り上げは...などと勝手に勘定したりしながら、
天然氷のかき氷を堪能してまいりました。

東京・谷中の「かき氷専門店ひみつ堂」
1日費やす覚悟が必要ですが、
チャンスがあれば、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

2017年8月30日

きょうのデータ部☆(8/30)

8-30.jpg

MARC作成が終わった本たちが並ぶブックトラック。
3~4日前にデータ部に入ってきたこの本たちは、本日箱詰めされてまたデータ部を出ていきます。

2017年8月29日

きっとマニアも満足

本日は「週刊新刊全点案内」2026号の発行日です。
掲載件数は1638件でした。


*こんな本がありました*

「世界のくるま図鑑2500」


スタジオタッククリエイティブ(2017.8)


子ども向けの「くるまの本」は世に沢山ありますが、この本はボリュームがスゴイです。なにしろ319ページ、掲載車種は2500種以上!

構成は「消防のくるま」「警察のくるま」「工事のくるま」「林業や農畜産業のくるま」「トラック」「バス」...と種類ごとに分かれた上で、それぞれメーカー別になっており。
例えば「工事のくるま」なら「アイチコーポレーション/コマツ/タダノ/ヤンマー/加藤製作所/極東開発工業/酒井重工業...」、「観光会社のバス」なら「いわくにバス/とさでん交通/はとバス/立山黒部貫光/関西電力/とも鉄道...」といった具合です。
さらにアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スウェーデン、韓国、中国など、世界各国の自動車メーカーも掲載。

くるまの本を読み尽くしたマニア児童も満足できる内容なのではないでしょうか。

実家の自動車の顔すら覚えられない(駐車場に並んでいるとどれだかわからない)、くるま音痴の私には計り知れない世界です。

2017年8月28日

冊子か巻物か-和本の装丁(3)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前々回前回、ふつうの袋綴じ(線装)以外の装丁として、大和綴じ(結び綴じ)や列帖装(綴葉装)や粘葉装のことを見てきました。和装本の装丁としては、これらのほか、以下のようなものがあります。

仮綴(かりとじ):袋綴じの場合も、ひもでかがる前に揃えた紙に二ヶ所穴をあけ紙縒(こより)で下綴じをするのですが、その状態で完成としているものです。表紙がないばあいも多いですが、本文と同じ紙質の表紙をつけていることもあります。「紙縒り綴じ(こよりとじ)」という言いかたもありますが、これは古文書などで重ねた紙の右肩に穴をあけて紙捻で結んだものを指して用いたほうがよいかもしれません。漢語では「紙釘装(していそう)」という言いかたがあります。

包背装(ほうはいそう):袋綴じや仮綴じしたものを一枚の表紙でくるみ、背の部分を糊付けにしたもの。厳密に言うと、綴じ方の種類ではなく表紙のつけ方を言うものであり、「くるみ表紙」あるいは「車双紙(くるまぞうし)」と言った呼称もあります。もともと中国の宋・元・明代、日本でも鎌倉・室町時代に行われた由緒正しい装丁で、それらの現存するものに触れることはまずありません。一方で、江戸時代以降で、仮綴じのものに背をつけて糊付けしたようなものも多く、これはこれでやはり「包背装」と言うほかないように思います。

また、糸や糊でのどを綴じたものではありませんが、以下のような形態のものも時々目にします。

折本(おりほん):お経や書道手本などに多い、つなぎ合わせた紙を蛇腹式に折りたたんで表紙をつけたもの。折り目のところで分解してしまっていることがしばしばあります。漢語では「帖装本(じょうそうぼん)」と称します。これのやや特殊な形態のものとして「經摺装(きょうしゅうそう)」というものもありますが、これは実際に目にすることはほとんどないでしょう。

旋風葉(せんぷうよう):折本の表紙と裏表紙とをつなげた(一枚の紙になっている場合もあります)もので、本を開くと本紙がひらひらとひるがえるので、この名があると言います。表紙・裏表紙―要するに背がわ―を持って持ちあげると、ばさばさっと紙が垂れ下がる感じになりますが、これを防ぐためかどうか、背の部分を糊付けした「固定式旋風葉」と呼ばれるものもあります。

折帖(おりじょう):できあがったかたちとしては「折本」または「旋風葉」に似ているのですが造りが違い、両端の裏に糊付けした紙を裏がわどうしで貼り合わせていって、表紙・裏表紙をつけたもの。地図とか絵の場合、袋綴じだとその真ん中で折られてしまいますが、このかたちであれば見開きで見ることができます。ということで、ヴァリエーションはいくつかありますが、画帖仕立(がじょうじだて)とか法帖仕立(ほうじょうじだて)とか言われるものは基本的にこの装丁です。

以上のような、糸でにしろ糊でにしろ「綴じたもの」(折本と旋風葉はふつう含みません)は、「巻物(まきもの)」に対して「冊子(さっし)」と総称されます。
その「巻物」=「巻子本(かんすぼん)」は、「つなぎ合わせた紙を軸(じく)を中心に巻きつけたもの」と定義されますが、軸が無いものもあります。表紙をつけたものも多いですが、巻物の場合は「褾紙」と書いたほうがよいかもしれません。以前書いたように取り扱いは甚だ不便ですが、書物のもっともふるい形態として、冊子本より格の高いものとして扱われてきました。
もちろん、歴史的経緯としては、巻物→折本→旋風葉→粘葉装→線装といった順番で「進化」してきたところではあり、通常その順序で解説されるものであるのですが、実際に整理する段になると混配されているものでもありますし、ここではあえてそうした順番にはこだわらずに書いてみました。

2017年8月25日

レッチョウ?デッチョウ?テッチョウ? -和本の装丁(2)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、江戸時代には「大和綴じ」と称された「列帖装(れつじょうそう)」について書きました。この「列帖装」、「れっちょうそう」とも読み、「粘葉装(でっちょうそう)」が訛(なま)ったもの、という説明がなされていることもあります。
「粘葉装」とは何かというと、これは糸綴じではなく、糊付けによって紙をつけ合わせた装丁です。具体的には、袋綴じとは逆に紙を谷折りにし、折り目の外がわの「のど」のところに糊をつけて貼り合わせていくもので、日本では糊を広めにつけるので、平らに開き切るところと貼り合わせたところが交互に現れる感じになります(中国ではごく細く糊をつけるのであまりそうはなりません)。また日本の紙のほうが堅牢なので日本では両面に印刷・書写されることが多いですが、中国では表(おもて)面のみ用いることが多く、結果として印刷面と白紙面が交互に現れることになります。

「列帖装」と「粘葉装」は上述のとおりかなり異なった綴じ方なのですが、開いたときの見た目の感じが蝶が羽を開いたようだというところから、ともに「胡蝶装(こちょうそう)」と呼ばれることがあります。歴史的には「胡蝶装」はあくまで「粘葉装」の別称と見たほうが正しいようですが、「列帖装」のことだとする説も江戸時代からあり、そうなると「胡蝶装」は両者の総称という説明がされることもあります。あるいは、「粘葉装」は和本の場合について用い、唐本については「胡蝶装」と呼ぶように使いわけるのがよい、といった論もあります。

さて上記の「列帖装(大和綴じ)」についてなのですが、「列帖」というと「紙を重ねたもの(帖)を列ねたもの」というだけで、糸綴じか糊付けかを示すものではない―だからこそ「訛ったもの」という説明も成り立つのでしょうが―ということから、「粘葉装」と区別する意図で、「綴葉装(てつようそう)」という語が昭和に入ってから造語されました。
このターム、「てっちょうそう」とも読み、紙葉を糊付けする装丁(粘葉装)に対して、紙葉を糸で綴りあわせる装丁ということなのだからまことに正確な命名だ・・・と言っていたりもするのですが、でも何も「れっちょうそう」「でっちょうそう」とこんなにも響きが近い名前をわざわざ新しくつけなくてもいいのに! と思うわけです。
ちなみに、長澤規矩也氏などは「綴」を「テツ」と読むのは通俗読みで、ほんらいの音は「テイ」である、したがって「ていようそう」と称するべし、と言われています。ああ、書いているわたしも何だか眩暈がしてくるようです。恐るべし。

眩暈ついでにもうひとつあげておくと、「鉄杖閉(てつじょうとじ)」という用語が古い文献に見え、これは「粘葉装」のことだと言うひともいれば、「綴葉装の古称」という解説もあります。実際はよくわかりませんが、藤森馨氏の『図書学入門』によれば、この場合「鉄杖」は千枚通しの錐のようなもののことで、「鉄杖閉」は重ねた紙に穴を開けて紐を通して結んだ「結び綴じ」、すなわち前回書いた今の大和綴じのような装丁を指す、という見解が有力になってきているようです。

以前、「「ひとつのタームがいろいろな意味を持つ」ということと、「同じ意味を表すのにいろいろな表記がある」ということとが錯綜して絡み合っているのが和漢古書の世界であり、そこがやはり現代書と違ったむつかしさの要因のひとつになっていると言えるかもしれません」などと書きましたが、しかし和本の装丁のこの用語の錯綜ぶりについては、さすがにちょっと手ごわすぎる、と言わざるをえないように思います・・・。

2017年8月28日

TRC新刊図書オープンデータを公開しました!!

TRCは、8月26日(土)より新刊図書の書誌情報をオープンデータとして公開いたしました。


毎週土曜日に、TRCで作成した1週間分の新刊書誌情報を、tsv形式のzipファイルで掲載いたします。掲載期間は4週間です。この書誌情報は、営利・非営利を問わず、利用手続きなしでご自由にご利用いただけます。どうぞご活用ください。


《掲載場所》
TRCホームページ TRC新刊図書オープンデータ
http://www.trc.co.jp/trc_opendata/index.html


《収録対象》
日本国内で刊行された新刊流通図書の書誌情報


《収録項目》
ISBN,タイトル,サブタイトル,著者(2人まで),版表示,出版社,発売者,出版年月,ページ数等,大きさ,付属資料の種類と形態,シリーズ名・シリーズ番号(3つまで),各巻のタイトル,本体価格,セット本体価格

2017年8月23日

きょうのデータ部☆(8/23)

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データ部の倉庫で保管されている、今まで発刊された新刊全点案内の一部。
これらは時々説明会等の資料として使われたりしています。
2000号発行から約半年、今後もどんどん増えていきます。

2017年8月24日

バイプレーヤー

今月の雑記のテーマは「アイス」です。

突然ですが、みなさんアイスは何味がお好きでしょうか。
私は昔からチョコミント味のアイスが好物でした。
ミント味自体が特別好きかというとそういうわけでもなく、
歯磨き粉はずいぶん大きくなるまでミント味のものは使えなかったですし、今でもミントタブレットは刺激が強くて苦手です。
だというのに、チョコミントは小さい頃から大好き。
自分でもよくわからない味覚だと思います。

近頃は世間でもチョコミント味がはやりのようで、
アイスはもとより、様々なチョコミント味のお菓子や飲料が続々発売されています。特に初夏頃からはコンビニに入るたび、何かしら薄緑色のパッケージのものが増えていたので驚きました。

そんなチョコミントラッシュの中でも個人的においしかったのが、かのガリガリくんで有名な赤城乳業の「BLACKシリーズ」に最近(といっても数年前)追加されたチョコミント味。
もともとBLACKシリーズのおいしさは知っていたので、どんなものかと何の気なしに食べてみたら大当たり。変にクリーム感やチョコレートが強調されておらず、かといってミントも強すぎず、絶妙な「ふつうのチョコミント味」がとてもすてきでした。

アイスの味としては人を選ぶ部類のものではありますが、苦手でなければぜひお試しください。

2017年8月21日

「大和綴じ」はどっち?-和本の装丁(1)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

以前、「和装」の説明で、「紙を袋とじにし、それを糸で綴じたものを言うが、ただし実際にはいろいろなヴァリエーションがある」と書きました。今回からはそのことについて書こうと思いますが、ただし、この問題も、迂闊に足を踏み入れるとなかなかたいへんなことになりますので、慎重に書きたいと思います。

「和装本」というと、ふつうには紙を山折りにして重ね、折り目の反対がわを糸で綴じた「袋綴じ」が一般的ですが、和装本の一種として説明されるもので、「大和綴じ(やまととじ)」というものがあります。一般的には、袋綴じのものと同じく背は無く、表紙の上から2箇所にリボンや紐を通して表面で結んで綴じたもののことで、明治から戦前の写真帖などでよくあります。紙自体は必ずしも袋状になっているとはかぎらず、洋紙を重ねたものを綴じているものもよく目にします。

この綴じ方、刊行物においては基本的には明治期以降になってから使われるようになったもので、江戸時代以前の刊本では実例は少ないと思われるのですが、その一方、「大和綴じ」という呼称自体は存在していました。どういう装丁に対して用いた呼称かというと、ちょうど今日の大学ノートのように、紙を数枚重ねて折りそれを一くくりとして、数くくりの折り目を糸で綴じあわせた、ふつう「列帖装(れつじょうそう)」と呼ばれる綴じ方のことだったようです。
なお「列帖装」とは、紙を折り重ねた「帖」を列(つら)ねたもの、ということで「列帖」と言うのだと思われますが、実際は、一くくり分だけの場合もあります(「列葉装(れつようそう)」という言い方もあるのはそのためかと思います)。

この「列帖装」、和歌や国文関係の書物に多く用いられますが、もともと平安時代の冊子本の装丁として一般的だったものと考えられます。江戸時代、和刻本漢籍や準漢籍で標準だった、紙を袋状にして糸で綴じた「線装」を、中国由来の綴じ方ということで「唐綴じ(からとじ)」と呼び、それと対比させてこの綴じ方を「大和綴じ」と称したということのようです(用例としては室町後期まで遡ります)。
ということで、同時代的な意識を尊重すれば、この装丁のことをこそ「大和綴じ」と言うべし、ということにはなるのですが、しかしながら現実には上述のような明治期以降の写真帖の装丁のことを指すのがある程度定着しています。それに「大和綴じ」というといかにも日本オリジナルのもののようですが、もっと時代を遡ると唐代中国の敦煌写本の遺物などにこの「列帖装」のものもあるということで、その意味でも「大和綴じ」の使用は避けて「列帖装」にしておいたほうがよいようです。

いずれにしろ、江戸以前のものについて「大和綴じ」というタームを使うと混乱を招くと思われますので、現在ふつうに言うところの「大和綴じ」に類した江戸以前のもの(実例は多くありませんが)については、「結び綴じ」という言葉を使っておくのが無難かと思われます。

2017年8月22日

腐海の世界

今日は「週刊新刊全点案内」2025号の発行日です。
掲載件数は974件でした。


*こんな本がありました*

我が家には、祖父が長年丹精してきた結構広い庭があるんですが、祖父が亡くなってからは誰も手をつける人間がおらず、都内とは思えない自然豊か(?)な庭となってしまいました。
一度、庭でヘビを目撃したことがあり悲鳴をあげました。どうやらヘビはヘビでもカナヘビ(トカゲの一種)だったらしいのですが。
最近では独自の生態系が出来上がりつつあるので、個人的に「腐海」と名付けております。
そうしたらこんな本が。

変形菌 Graphic voyage」

川上新一(著) 佐藤岳彦(写真)
技術評論社 (2017.8)

こちらは、さまざま変形菌の写真を集めた本です。
これを見ると「風の谷のナウシカ」に登場する腐海は、想像上のものではなくて、現実にある変形菌をモデルにしたんだなということがよくわかります。
色鮮やかなものもあり、見た目もかわいいと言えなくもないのですが、これらが異常発達したらやっぱりちょっと不気味。
まだ自宅の庭で菌類を見たことはないのですが、このままだと時間の問題かも...。

2017年8月10日

大人になった?

今月の雑記のテーマは「アイス」です。

思い出のアイスは「レディーボーデン」
濃~いバニラ味が子どもの頃から好きです。
一時、謀ミニカップアイスやらクリスピーサンドに浮気しましたが
結局、昔好きだった味に戻ってしまいました。

夏休みになると、メロン味のかき氷シロップに炭酸飲料を入れてメロンソーダをつくり、
そこにアイスクリームを浮かべて、クリームソーダをよく作っていました。
スプーンの柄の部分がストローになっているクリームソーダ用の金属製スプーンを親が買ってきてくれたことも拍車をかけていた気がします。(現在も愛用中)


大学生になり1人暮らしを始めたとき、一番はまったのが
「レディーボーデン」を一気に食べきること
(当時はミニカップサイズなんてなかったので...)
兄弟の邪魔も入らず、ゆっくり1人で味わえる幸福感、
あっという間に習慣化していました。

今でも「レディーボーデン」に手が伸びますが
もうミニサイズで充分...
アイスケースの前で若気の至りと胃の老化を実感する人なんて私くらいかと思ったら

「レディボーデン」の公式サイトによると
ミニカップの"大人のひととき"シリーズは
最近量が食べられなくなって
品質にはこだわりたいシニア世代の求めるアイスなのだとか。

いつの間にかシニアデビューしていたようです。


TRCデータ部は、8月11日(金)から18日(金)まで、夏季休業となります。
ブログの更新もお休みさせていただきます。

2017年8月 9日

きょうのデータ部☆番外編2(8/9)

前回に引き続き、今年度入社の新入社員をご紹介します。
配属から1か月、そろそろデータ部にも慣れてきた頃だと思います。


8-9.jpg

「データ部新人のSと申します。正確なMARCを迅速にお届けできるよう、精一杯つとめさせていただきます。よろしくお願いいたします。」

2017年8月 7日

存巻と欠巻―和漢古書の書誌的巻数(続)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、和漢古書のタイトルの一部として記録する「書誌的巻数」についてひととおり見てきましたが、巻単位で欠失がある場合、そのことも「書誌的巻数」の位置で表現します。なお、巻単位ではなく単に欠損があるという場合は、注記にのみ記録することになります。

NCR87R3の2.1.1.1A(古)を見てみると「欠本の場合は、完本の巻数を記録し、続いて記述対象の現存巻数を丸がっこに入れて「存」字を先立てて付記する。完本の巻数が不明な場合は、現存巻数のみを丸がっこに入れ、「存」字を先立てて付記する。存巻ないし欠巻の内容や残欠の状況については、注記する。(2.7.4.8参照)」とあります。
基本的にこれでよいのですが、欠巻がある場合、つねに書誌的巻数のところで記録するかというと、冊子目録等では、全体の半分もしくは1/3程度以上が欠けている場合のみ「~巻(存○巻)」と記録し、欠巻の割合が少ない場合は注記するにとどめていることも多く、実質それで問題ないだろうと思います。すなわち「大倭本草 16巻附録2巻諸品圖3巻 (存12巻附録2巻諸品圖3巻)」などという書きかたはいささかくどすぎるのであって、こういう場合タイトルは「大倭本草 16巻附録2巻諸品圖3巻」とだけして、欠巻の内容を注記するのみでじゅうぶんとする、というのがむしろ伝統的なやり方です。
また、NCRの例示も、注記で使用している記号などあまり適切なものとも言いがたいような気がしますし、「存巻」「闕巻」というのは漢籍では使いますが、和古書の場合は「~を欠く」「~を存す」といった書き方のほうがよいかと思います。ちなみに漢籍の冊子目録などで目にする「闕巻第2第4至第6」といった書きかたは「第2, 4~6巻を欠く」ということを意味します。
なお、一部の巻しか残っていないものを翻刻したとか、成立時や刊行時から一部の巻が欠けていたとかいう場合は、「原闕巻~」と注記します。

さて、存巻の記録にあたって注意したいのは、タイトルのところで書誌的巻数として記録するのは、あくまで「何巻分がある」「何巻分が残っている」ということであって、「第○巻が残っている」ということではない、ということです。たとえば、全5巻の図書で、残っているのが第1巻だった場合も第2巻だった場合も、書誌的巻数の記録はどちらも「5巻(存1巻)」ということになり、「第1巻を存す」「存巻第2」といったことは注記に記録することになるわけです。
逆に言えば「5巻(存2巻)」とあったら、それは第2巻が残っているということではなく、第1と2、あるいは第3と4、その他どういう組み合わせでもよいのですが、「2巻分が残っている」ということを意味します。時々そのことを明きらかに勘違いして記録している書誌を見かけますが、「巻次」と「巻数」とを混同しないように、よくよく注意しましょう。

以上、書誌的巻数につきいろいろ述べてきましたが、いくつか補足しておきたいと思います。
図書によってはもちろん、「巻」というかたちで中身が分かれていないようなものもあり、そうした巻立てがないような本の場合、NCRでは巻数は記録しなくてもよいことになっています。ただし、漢籍の場合は、そうしたものも「1巻」もしくは「不分巻」と記録するのが伝統的なやり方であり、冊子目録などではそうなっていることが多いです(おおむね本体が50丁を超える場合に「不分巻」とします)。
なお、巻立てされていない本体と附録等から構成される場合は、「1巻附録1巻」のように記録することができます。こうしたものを「朱子訓子帖 1巻附録1巻」という具合に記録したほうが、「朱子訓子帖」と「訓子帖附録」の合集、といったようなかたちで記録するより、はるかにスマートです。

巻数をカウントする場合、たいていは巻次が各巻の首尾に記されているのがふつうですので、そこを数えて記録します。巻首・巻尾に明記されていない場合も、版心やのどに記載があることが多いです(ちなみに草双紙類の場合、5丁ごとに柱の上段・中段・下段が黒塗りされているなどしていて、それが巻次を示していることになります)。それらに記載がなくても、目次から判明・採用する場合もあります。だたし、それぞれ虚偽の巻次・巻数を記している場合もありますので、注意が必要です。
基本的に、1巻のなかでは丁数は原則として連続しており、巻が改まると丁付けも改まるのがふつうです。ただし、丁付けが連続していても、本文等に巻が改まっていることが明示されていれば、そこから巻が改まったものと見なすことができます。とは言っても、内容が変わっただけでは巻が改まったとは見なしません。
逆に、本文に巻が改まっていることが示されていなくても、丁付けが改まっていれば、そこから巻が改まったものと見なすことができます。
なお、1つの巻がさらに「上下」や「乾坤」に分かれている場合もありますが、そうした場合は複数巻としてカウントせず、あくまで1巻分としてカウントするのが原則です。

多巻ものの古典で1巻だけ残っているようなもの(零本)などの場合は、「源氏物語若紫巻」「大般若波羅密多経巻三百八十二」のように、巻次を含めて本タイトルとして記録することができます。この場合、数字はアラビア数字に置き換えることはせず、情報源に表示されているままに記録します。あるいは、巻次にあたる部分はタイトル関連情報として記録するのでもよいかもしれません。

なお、題簽や見返しに「全」「単」「完本」などとあるものは、図書の構成状態を示すものですので、書名の不可分の構成部分と見なされないかぎり、記録する必要はないかと思います。

2017年8月 8日

気になる日本茶

本日は「週刊新刊全点案内」2024号の発行日です。
掲載件数は1156件でした。


*こんな本がありました*

「僕が恋した日本茶のこと」

ブレケル・オスカル(著)
駒草出版(2017.8)


スウェーデン生まれのオスカルさんは高校生時代に日本茶と出会い(「うわっ、何だこれは。」)、岐阜大学への留学を経て、日本で就職。日本茶インストラクターの資格を取得し、国内外に日本茶を紹介する活動を続けている方です。

日本茶、たしかに毎日飲んでいる。個人的には江戸時代の水茶屋みたいな日本茶と塩せんべいなんかが出てくるような喫茶があったらいいなぁ、と願っている。でも、日本茶、全然詳しくない。淹れ方すらあやしい。産地は2~3カ所なら言えるけど違いがわからない。身近すぎて、当たり前すぎて、あまり気にしていなかった存在でした。

オスカルさんが日本茶に恋して、日本行脚したり、急須コレクションを紹介されたり、魅力を語られたりするのを読むと、あぁ今度日本茶葉を購入する時はよく表示をみてみよう、丁寧に淹れてみようと思うのでした。

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2017年8月 4日

和漢古書の書誌的巻数

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、和漢古書における「~篇」「~輯」などの「巻より大きなまとまり」について触れました。その「巻」ですが、現代書では「巻」は「冊」と基本的にイコールとして使われますが、以前述べたように、和漢古書ではまったく異なるものを指しますので、これはきっちり理解しておきましょう。
元来からすれば、中国や日本においても、図書は基本的にもともと巻物として誕生したわけで、巻物の場合当然ながら、「○巻」というのがイコール物理的にいくつある、ということを示していました。ところが、巻物から冊子に図書の主流が変わってきた際、この「巻」というのは物理単位と直接かかわらなくなりました。すなわち、もとの巻物の何巻分かを1冊に綴じることもありましたし、1巻分を複数に綴じ分けることもあったわけです。
そのようにして、「巻」は物理単位としては使われなくなったのですが、ただ著作のなかのまとまりを示す語としては使われつづけました。現代書で言えば、ちょうど「章」のようなものですね。
ただ「章」などとはやはり意味合いが違い、たとえば『類聚歌合』(るいじゅうたあわせ)という同じ書名で10巻本と20巻本とでまったく内容が違う、といったようなことも多々ありますので、和漢古書では、「全体が何巻から成っているか」というのは非常に重要な情報として、書名の一部として記録する慣習になっています。
NCRではこれを「書誌的巻数」と呼称しており、87年版改訂3版では「2.1.1.1A(古)和古書,漢籍については,書誌的巻数を,本タイトルの一部としてその末尾に,スペ-スに続けてアラビア数字で記録する。」と規定しています(改訂前はカンマ,スペ-スに続けて記録していました)。例示にあるように、「古今和歌集 20巻」などと書くほか、本体の通巻と別に「附録」とか「補巻」とかがある場合は「八家四六文註 8巻補1巻」といったぐあいに書きます。

前回触れたように、各巻の書名が途中で変わっても、合集や合刻でないならば、1書誌として扱い、全体の巻数を記録します。すなわち、タイトルを「遍照發揮性靈集 10巻」と記録した上で、「第8-10巻の巻頭の書名:續遍照發揮性靈集補闕鈔」と注記する、という具合になります。
逆に、巻数の表示が連続していても、合集あるいは合刻として扱うならば、それぞれの書名と巻数を数えて記録します。たとえば『儀禮經傳通解』『儀禮集傳集注』の合刻本で、版心の巻数は第1から第37までの通巻だったとして、タイトルの記録としては「儀禮經傳通解 23巻」「儀禮集傳集注 14巻」となります。

「巻」と同じ意味で、「輯・集・編・篇・回」などが使われている場合、そのまま同様に「4集」「10編」のように記録します。中国の明清のころの白話小説(章回小説)にその例が多いですが、「~巻~回」などとなっている場合、ともに巻数として「平山冷燕 4巻20回」のようにつづけて記入します。
「~集~巻」のように、巻より大きなもとまりを表わすものについては、前回見たように原則として書名の一部として扱うか、あるいは巻数と連動する部編名として扱い、「和説假名論語 前編3巻後編3巻三編3巻」という具合に、数字があっても漢数字のまま記入します(なお、この例は「和説假名論語 3編9巻」と書くことも可能です)。

巻頭の書名について述べたときに書きましたが、書名の記録において共通部分の抽出を行なった場合、「杜律集解 五言4巻七言2巻」のように、非共通部分は巻数と連動させて表記することができます(現物は『杜律五言集解』4巻と『杜律七言集解』2巻)。このとき、全体の巻数を記録する必要はありません。
同様に、巻数と連動する部篇名は「東華續録 咸豐朝100巻同治朝100巻」のように巻数の前に記録します。

全体の巻首・巻末に、内容のあるまとまった分量の記事が本文の巻数と別個に入っている場合、「首~巻」「末~巻」と記録します。もっとも、序・凡例・目次・跋のように本来存在して当然なものは、たとえ目次や版心に「首巻」「末巻」などと記されていてもふつう記録しません。ただし、それらが2巻以上ある場合、また複数冊のもので1冊がまるまるそれらに充てられている場合などは、「目録2巻」「序目1巻」などと記録します。
図版・表などは、内容のあるまとまった分量のものが本文の巻数と別個に入っている場合も、「圖~巻」「表~巻」と記録します。ただし、目録もしくは版心などに明記されていなければ、とくに必要が認められないかぎり記録しなくてよいです。
なお、現物では「附録」や「表」などが本体より前にあったとしても、書誌的巻数の書きかたとしては、あくまで本体の巻数を最初に書き、「桂洲先生文集 50巻首1巻年譜1巻」のように記録します。

本文に付随する性格のものが本文の巻数と別個に入っている場合は、「坿~」と記録することができます。「疇人伝 52巻坿近代疇人著述記」のような具合に書きますが、このとき、「近代疇人著述記」は内容著作として改めて注記しておいたほうがよいでしょう。上にあげた「図」「表」「附録」などで、それらが固有のタイトルを持つ場合なども同様です。
なお、「桂洲先生文集 50巻首1巻年譜1巻」のような場合も、「桂洲先生文集 50巻首1巻坿年譜1巻」のように「坿」を用いる書きかたもあり、どちらでもかまいません。冊子目録などでは、年譜のような伝記資料が含まれている場合、索引に副出するために「坿」を用いていることが多いようです。
また、本体と別個のものがひとまとまりとして付随している場合のほか、各巻末に「音義」とか「校勘記」とかいったものが附されているようなケースでも、「坿」を用いて「九章算術 9巻坿音義」のように書くことができます。

2017年8月 2日

きょうのデータ部☆番外編(8/2)

今年は2名の新入社員がデータ部に配属されました。
本日はその内の1名を、意気込みも併せてご紹介します。
新たなメンバーを今後もよろしくお願いいたします。


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「新刊班に配属されました入江と申します。スピードと信頼性を兼ね備えたMARC作りに貢献していけるよう日々精進いたします。よろしくお願いします。」

2017年8月 3日

懐かしの宝石箱

今月の雑記のテーマは、夏らしく「アイス」です。
今でこそ、いろんな味のおいしいアイスが簡単に手に入るようになりましたが、わたしが小さい頃は種類も味も限られていて、それでもアイスが食べられれば大満足していました。

今でも忘れられないのが、「宝石箱」というアイス。
これは多分、同世代の人にしかわからないのではないかと思いますが...。
クリーム系のアイスの中に、まるで宝石のように氷のかけらが入っているという、当時としてはかなり画期的なアイスでした。
お値段も、ほとんどのアイスが50円だった時代に、かなりお高めだった記憶があります。

夏休み、ごくたまーに庭の草むしりのお手伝いをすると、祖父が「これでアイスでも買ってこい」と言って千円札をくれ、きょうだい3人で近所のお菓子屋さんまで走っていき(まだコンビニのない時代...)、ここぞとばかりに宝石箱を買っていました。
子どもの草むしりなんてお遊び程度で、全然役に立っていたわけではないのですが、同居していながらも、普段から寡黙であまり話をしない祖父との、めったにない交流がこれでした。
今でも夏になると、懐かしく思い出されます。

2017年8月 1日

硬い私のストレッチ

今日は「週刊新刊全点案内」2023号の発行日です。
掲載件数は1173件でした。
今月の表紙はこちら。

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夏休みの観察日記で、学校でもらったタネを、何色の花が咲くのかもわからないまま育てて、1つ目のつぼみを見つけた時の気持ち! 描いていて、何となく思い出しました。濃い青紫で、「淡いピンクだったら良いのに・・・」と思った覚えがあります。(Juriさん)


*こんな本がありました*

世の中は夏休みですね。うちの子どもも早起きして、お友だちと一緒に近所のお寺の境内にラジオ体操へ。それなら、と私もしばらくサボっていたラジオ体操を家でやってみました。
...そしたら、です。
前に3回体を倒して後ろに反る、あの体操で全然床に手がつかない! 膝のうらが超痛い!! そして数日後にそれだけで筋肉痛!!!
もともとものすごくカラダが硬い私。加えて、日頃全く運動をしないものだから、カラダがガチガチになっていたようです。これはいかん、毎日少しずつでもストレッチとかした方がいいかなぁ、と思っていた矢先、今週号にこんな本がありました。


体が硬い人のための柔軟講座
(NHKテキスト)

中野ジェームズ修一(講師)
NHK出版(2017.8)


ああ、ありがとう。私のための本ですね。
でもそういえば、前にも同じような本を買って、うちでお蔵入りしているような。買って数日はがんばるのに、すぐ続かなくなって...。ダメな私。そしたら、こんな本も見つけました。


ずぼらさん、ぐうたらさんでもできる朝1分夜1分軽・楽すとれっち ゆるゆる健康運動指導士が唱える明るく楽しい動けるカラダづくり

吉田真理子(著)
ベースボール・マガジン社(2017.7)


私が買うべき本はこっちですかね(笑)

脚が90度も開かない硬い私が憧れるのは、両足を横に広げた開脚。ところが、こんな本もありました。


ベタッと開脚してはいけない。 どんなにからだが固い人でも、痛みがなくなり心が整う「1分ウォーキング」

新保泰秀(著)
講談社(2017.7)


え? 開脚いけないの? じゃあ、そこは目指さなくていい??(1度も開けるようになったことないけど。)
でもやっぱり、ガチガチよりはカラダ柔らかい方が健全な気が。毎日ちょっとずつでもストレッチして、ちょっとだけでもカラダほぐせるといいなぁ...今度こそ。

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