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2021年9月 アーカイブ

2021年9月30日

作りたい料理を作る

「本×ごはん」がテーマの9月の雑記も本日が最終回です。

家の料理担当が私なので可能な限りは料理を作ります。
がしかし、3人いる子どもの食の好みは保守的、かつ食べられるものがバラバラ。魚と野菜がダメな長男、肉と魚と野菜が苦手な長女、野菜とごはんが進まない次男。3人そろって好きなものといったらド定番の鶏の唐揚げとハンバーグくらいですが、毎日というわけにもいかない。
作る限りは食べてほしいのが人情で、結局しょうゆが幅を利かせた肉料理で様子をうかがう日々。

...そうしているとわりと頻繁に、自分の好きなものを好きなように食べたいという欲求がわいてきます。
私の場合、それは外食や凝ったお惣菜という方向ではなく、自分で作る、しょぼくて雑な料理に向かいます。別に普段丁寧に料理しているわけでもないですが、そこはそれ、誰かに作るものなので一応の配慮はある。それも吹っ飛ばしたものを作って食べたい。食べたい。でも自分のためだけに料理をするタイミングは、ほぼありません。

そんな時にぴったりなのがこの本です。
「逃避めし」

吉田戦車(著)
イースト・プレス(2011.7)

漫画家が仕事の合間(というか切羽詰まったとき)に、自分のために作った料理を写真入りでつづったエッセイです。いわゆる「おいしい料理」をめざしていない(と思う)料理は、実験的かつ創造的。なにより、自分が思い描いたものを自分の手で作る!という喜びがあります。

料理したい欲がかきたてられるのは痛しかゆし、ではありますが。
10年前の刊行ですが電子化もされています。よろしければぜひ。

2021年9月29日

きょうのデータ部☆(9/29)

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弊社の本社ビルの隣を通って、茗荷谷駅前から小石川植物園側に降りていく坂を湯立坂といいます。

坂に沿って谷に下りていく細長い公園は窪町東公園。
夏の間はあちらこちらにセミの抜け殻が。夕方には地面から出てくるセミの幼虫もお見掛けしました。

2021年9月27日

「折帖」補論(5)―提案・「貼り合わせ帖」は?

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回、「片面折帖仕立て」「両面折帖仕立て」について改めて見てきました。最後に、国文学研究資料館の『和書のさまざま』で「画帖装」と呼称している装丁について、検討しましょう。
このタームは、国文学研究資料館の「日本古典籍講習会テキスト」でも使われており、「画帖装 紙を二つ折りにし、外側の、折り目と平行の端を糊付けして順次繋げたもの。主として、1 枚で完結する絵などを集めて冊子にする場合に用いられる。あまり古い例は見ず、江戸中期以降に工夫された装訂か。版本の例が多く、そちらが先行するかも知れない。」(落合博志氏)とあります。もっとも、表紙で覆うことは触れていませんので、「片面折帖仕立て」の画帖のことも含んでいるのかもしれません。
佐々木孝浩氏も、前述のワークショップ資料で、「片面折帖仕立て」のものとあわせて「画帖仕立て」として説明しており、「形状は折本に近いが、料紙を背合わせに貼り合わせたもので、片面しか使用できない。背を糊付けして固定したものもある。浮世絵類の画帖や書道手本で用いられる。」としています。ここで説明されているうちの「背を糊付けして固定したもの」が、国文研の「画帖装」だ、ということになります。

しかしながら、前回の「法帖仕立」で述べたように、ある特定の内容・ジャンルのものによく見られるからという理由でそれを装丁の名称にするのは、やはり慎重であったほうがよいように思います。その内容・ジャンルのもので別の装丁になっている場合もあるし、また別の内容・ジャンルのものでその装丁のものがあったりもするからです。
「画帖」と一般に称されるものにおいても、装丁としてはこの形態のほか、「片面折帖仕立て」のものも「両面折帖仕立て」のものもたくさんあり、以前見たように、前者については、中野三敏氏が「画帖仕立て」として「画帖類に専ら用いる」と、堀川貴司氏が「画帖仕立」として「画帖に多く用いられます」と説明しています。そもそも、この形態のもの自体は数がそう多くはなく、したがって「画帖」と称される中でこの装丁のものはむしろ少数派です。
実際、堀川氏は「画帖」について、「画帖仕立」とはまったく別の箇所で、「江戸時代の版本では、中国風(水墨画や文人画)の画集を画帖、日本風(大和絵や浮世絵)の画集を絵本と呼ぶことが多いようです。(中略)できるだけ絵画を忠実に再現するために、画帖仕立や粘葉装にして見開き画面が連続するようにしたり、通常の袋綴じでも匡郭・版心をなくしてしまったりしているものもあります」(『書誌学入門』p83)という説明をしており、この説明の次頁には「粘葉装の画帖」として『福善斎画譜』という本の見開き面が掲載されています。この本は中野氏も「包背装仕立て」のところで言及されていますが、いくつかのデータベースでは「折本」と記録されており、中国式の胡蝶装ではなく、国文研のいうところの「画帖装」だと思われます。しかしそれを、画帖を「粘葉装」にしたもの、とここでは呼んでいるわけです。

逆に、この装丁で画帖でない実例も存在します。『二千年袖鑑』とか『越後土産』とかいった本ですが、冊子目録や各データベースでは「折本」「胡蝶装」「粘葉装」「包背装」「旋風葉」等々、いろいろな記録がされているようで、非常に混乱した状態になっています。
粘葉装」としているのは、上の堀川貴司氏もそうですが、紙どうしを糊付けしているという点ではそのとおりではあるにせよ、この装丁では紙の端どうしを糊付けしており、「のど」どうしを糊付けする「粘葉装」とはやはり区別して表記すべきでしょう。
包背装」としているのは、背がつながっていることによるのだと思いますが、中国式の包背装とはもとより、袋綴じや仮綴じのくるみ表紙のものともまったく別ものですので、適当ではありません。ただ、紙のつなぎ方は自体は、『和書のさまざま』などの説明のとおり「片面折帖仕立て」と同じであるわけですから、「折帖の包背装仕立て」という言い方は悪くないかもしれません。
旋風葉」としているのは、前述のとおり、できあがった形としては似ているためだと思いますが、旋風葉は「紙をつなげたものを蛇腹状に畳んだもの」をつながった表紙・裏表紙で覆ったものであるのに対し、これは「紙の端裏どうしを糊付けして何枚も重ねていったもの」をつながった表紙・裏表紙で覆ったもので、紙の貼り合わせ方・つなぎ方が根本的に異なるので、やはり「旋風葉」とするのは適当ではありません。

ということで、この装丁を既存の名称に当てはめるのは、どうしたって無理がありますし、といって「画帖装」という名称が「最適な名称であるとも言いがたい」(『書物學』第8巻p44)というのは上述のとおりです。
佐々木孝浩氏がワークショップ資料「日本古典籍と付き合う」のなかで「画帖仕立て」の例として写真をあげている、『浪花みやげ』という本があります。これは、上述の『越後土産』と同様に番付の類を貼り合わせたものですが、この本については、小野恭靖氏に「『浪花みやげ』の世界」(『日本アジア言語文化研究』9(大阪教育大学教養学科日本・アジア言語文化コース2002)所収)という専論があり、その中で「一枚摺りの貼り合わせ帖」という言い方をされています。実態もイメージしやすいですし、他と紛れることもなさそうですので、この装丁にかんしては、この「貼り合わせ帖」という呼称が、実のところ一番わかりやすいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
「折帖呼称整理表」>(PDF)

2021年9月28日

もふもふに癒される

今日は「週刊新刊全点案内」2227号の発行日です。
掲載件数は707件でした。

*こんな本がありました*

新型コロナウイルスの影響で、いろいろなイベントが中止になりましたが、個人的にかなり痛手だったのは、美術展覧会がいくつも中止になってしまったこと。
一部人数を制限して行われたものもありますが、苦労してチケットを予約した「鳥獣戯画展」を結局観ることができなかったのは痛恨の極みでした。
そこで気になったのがこちらの一冊。

「動物の絵 」

府中市美術館(編著)
講談社(2021.9)

府中市美術館で行われる展覧会の図録で、鳥獣戯画はもちろん、古今東西の様々な動物の絵画が収められています。
どちらかというと日本画メインなのですが、日本画に登場する動物たちはなんでこんなに可愛いのでしょうか?
特に表紙にもなっている木兎図。なんとこちらは、三代将軍徳川家光が描いたそうで、時の権力者が描いたとはとても思えない、なんとも言えない味わいのある絵です。黒々とした瞳が、妖怪ウォッチとかチョッパーとか、現代の漫画っぽいタッチで親しみがわきますね。
他にも、これでもかこれでもかというぐらいに可愛い動物の絵が満載ですので、展覧会にはなかなか足を運べないという方は、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

2021年9月22日

きょうのデータ部☆(9/22)

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先週から続きます。

春日通りから茗荷谷駅の側に少し入ったところ。高層マンションのふもとに、大塚女子アパートのエントランスの柱が保存されています。

なかなか見つけづらい場所なのです。

2021年9月21日

なぜ?なんで?どうして?

本日は「週刊新刊全点案内」2226号の発行日です。
掲載件数は1216件でした。


*こんな本がありました*


「なぜ、穴を見つけるとのぞきたくなるの? 子どもの質問に学者が本気でこたえてみた。」

石川幹人(著)
朝日新聞出版(2021.9)


「もっと起きてやりたいことがあるんだけど、人間は眠らないと生きていけないの?」
「家族でも親戚でもないのに、顔がそっくりな人がいるのはどうして?」
「地球では人間が一番幅を利かせているけれど、人間は他の動物より賢いの?」
「虹の「ふもと」には行けないの?」
「「ふつう」って誰が決めているの?」
etcetc...

大人にはなかなかエキセントリックに思える、しかし根源的な疑問を抱けるのは子どもならではの視点です。成長するごとに、自分で軽く調べて何となく済ませてきてしまった、あるいは大人になってもよくわからないままそういうものだからと決めつけて放っておいてしまう疑問が、世の中にはたくさん存在するのではないでしょうか。

本書は、広く学問分野に精通した著者が、からだやこころの疑問から、自然、生活、社会についてまで、子どもの壮大な質問50題に真摯に向き合って答える1冊。老若男女問わず楽しめます。
自分が幼い頃、なんでなんで?と周りの大人を質問攻めにしていたことを思い出して懐かしくなりました。

「大人がうれしそうに「なつかしいね!」と言っているけど、どうして?」
この答えも、本書の中に。

2021年9月24日

ヨミが違っているのは~MARCや検索のはなし~

月末にお届けしている「MARCや検索のはなし」。今回はヨミについてお話ししたいと思います。


「同じ本なのに、MARCによってタイトルのヨミが違っているのはなぜですか」というお問い合わせをいただきました。
図書は「命の停車場」。2020年5月に単行本、2021年4月に文庫本が刊行されています。
MARCを確認すると、単行本のヨミは「イノチ/ノ/テイシャジョウ」、文庫本は「イノチ/ノ/テイシャバ」。
「テイシャジョウ」「テイシャバ」で、ヨミが異なっています。


TRC MARCでは、ヨミの典拠資料として広辞苑を使用しています。
図書にルビやよみがなが無く、複数の読みかたが考えられる場合は、広辞苑に記載があるもの(複数記載されている場合はより詳しい説明がされているもの)を採用します。
「命の停車場」については、2020年刊の単行本にはよみがなが無かったため、広辞苑でより詳しく説明されている「テイシャジョウ」の読みかたを採用し、タイトルヨミを「イノチ/ノ/テイシャジョウ」としました。


ところが翌年刊行された文庫本では、「テイシャバ」のルビが振られていました。
図書によみがながある場合はその読みかたを優先しますので、文庫本のタイトルヨミは「イノチ/ノ/テイシャバ」になります。
単行本のタイトルヨミとは変わってしまいますので、元の「テイシャジョウ」の読みかたを2つめのタイトルヨミに追加する形でMARCを作成しました。
そのため、同じ図書でもMARCによってタイトルヨミが異なるようになっているのです。


単行本ではルビがなかった図書に文庫本でルビがついたり、反対に、単行本にはあったルビが文庫本でなくなったりということは、ときどきあります。


映画化されて話題になったこともあり、「命の停車場」に関しては複数のお客様からお問い合わせがありました。
単行本のMARCにも「テイシャバ」を2つめのタイトルヨミとして追加するメンテナンスをしましたので、現在は「テイシャジョウ」「テイシャバ」どちらのヨミでも、2冊とも検索できるようになっています。

2021年9月17日

気候の良いこの時期に~分類・件名のおはなし・114~

ここ数年ブームとなっているキャンプですが、密が避けられる今さらに人気が過熱しているように見受けられます。本も多く出版されているので、TRC MARCにおけるキャンプ関連の分類をみてみようと思います。

キャンプそのものは本表通り786.3(キャンピング.ホステリング)に収めます。「おうちでキャンプ」「ベランピング」なども行為としてはキャンプということでこちらに収めています。

キャンプ場を紹介した本は、ガイドブック(29+地理区分、3桁の場合は-093の細区分)として分類します。日本全国のキャンプ場ガイドは291.093となり、件名には「日本-紀行・案内記」の他に「キャンピング」も付与しています。

キャンプの楽しみのひとつに食事があげられると思います。野外料理やバーベキューのレシピ本は596.4(目的による料理:野外料理,~)に収めています。

最後にちょっと変わり種をご紹介。YouTuberの影響でしょうか、自分で山を買いそこでキャンプや野外活動をするという壮大な計画の本もちらほら出版されています。こちらは山林の購入ということで分類は651.3(森林地主.林地価)に収めることとしました。


「山を買う楽しみ 人生を格段に豊かにする方法教えます」
(FUSOSHA MOOK)

扶桑社(2021.7)


この秋キャンプデビューを計画している方は、このような分類で探してみてください。

2021年9月15日

きょうのデータ部☆(9/15)

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弊社の社屋は、2003年に解体された大塚女子アパートの跡地に建っています。春日通りから少し入ったところに「同潤会大塚女子アパート跡地」と記した小さなモニュメントがあります。

2010年の記事でご紹介した時点では、自分たちがこの場所で働くことになるとは微塵も思っていなかったのでした。

2021年9月14日

壮大な計画を絵でたどる

本日は「週刊新刊全点案内」2225号の発行日です。
掲載件数は963件でした。

*こんな本がありました*

「NASAアート」

ピアース・ビゾニー(著)
グラフィック社(2021.9)


1958年の設立以来、NASAは才あるアーティストの力を借りて、将来の宇宙探査の使命や可能性を図示化してきたそうです。具体的で説得力のある絵図で、未知なる宇宙計画がアメリカにもたらす功績を示しました。
マーキュリー計画、ジェミニ計画、アポロ月面探査、スペースシャトル、惑星無人探査などなど、NASAの壮大な計画はすべて、綿密な計画と美しいアート作品を両輪にスタートしたとのこと。この図集では、NASAと主要外注先企業のアーカイブに保存された貴重な作品を紹介し、アメリカの宇宙探査史を辿ります。

9月12日は「宇宙の日」でしたが、ちょうどその日、JAXA星出宇宙飛行士のISS船外活動が行われました。さまざまな宇宙の話題とともに、夜空をながめるのにもよい季節になってきましたね。いままでの、そしてこれからのミッションに思いを馳せ、宇宙探査の歴史をながめてみてはいかがでしょうか。

2021年9月16日

時代劇でのごはん

9月のテーマは「本×ごはん」です。

ごはんにかかわる本と言われて最初に思いだすのは

みおつくし料理帖 髙田郁

です。


私にはめずらしく時代劇の「本」ですが、剣豪ものでも、
捕り物帖でもなくて、江戸に出てきた大坂出身の料理人の
澪が、様々な苦心をしながら徐々に道を切り拓き、料理を
通じて人を幸せにしていくお話です。

本屋で平積みになっているを何度か見ているうちに、つい
買ってしまいました。
2度ドラマになり、最近映画にもなりましたね。


「ひんやり心太」、
「とろとろ茶わん蒸し」,
「きゅうりと蛸の酢の物」...。


物語にあわせて各話に美味しそうな、お料理が作られて
いきます。料理番付にも載るほどの腕前になった澪ですが、
そのお料理の大本は、人を幸せにしたいとうことなのでは
ないかと思います

それが、医者の源斎先生から聞いた

「食は人の天なり...」 
=食べたものが、人を形作る... 

という言葉によって、より強化されたようです。


さて、「みおつくし料理帖」のお料理にも、レシピ本あります

みをつくし献立帖


私はながめているだけですが。

2021年9月13日

「折帖」補論(4)―2つの「折帖仕立て」

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回すこし横道に逸れましたが、「折帖」に話を戻します。前々回まで見てきたように、「折帖」と称される装丁には、実態としては三つの種類があり、名称とその意味内容とが必ずしも明確に定まってはいません。『日本古典籍書誌学辞典』で、両面のものと片面のものがあると説明されている「折帖仕立て」について、雑誌『書物學』で「書物の声を聞く―書誌学入門」という連載をされている慶應義塾大学斯道文庫の佐々木孝浩氏は、「紙を半分に折って糊付けして繋いでいく点は共通していても、この二種は構造的な差が大きく、名称を一括りにするのはかなり問題があるように思われる。(中略)区別の方法として、前者には「片面」を冠し、後者には「両面」を冠して呼び分けることも提唱されているが、あまり広まっているとは言いがたい」(『書物學』第8巻(勉誠出版2016)p43-44)と指摘しています。ということで、それぞれの装丁について、改めて考えてみたいと思います。

まず、『和書のさまざま』の「折帖仕立」と中野三敏氏の「画帖仕立て」は、『日本古典籍書誌学辞典』の「片面折帖仕立て」とおおむね同じもの、すなわち谷折りした紙の端裏どうしを糊付けして継ぎ重ねていったものを指すということで問題なさそうです。折本と区別した場合の狭義の「折帖」としては、この装丁のものを指すとするのが適切でしょう。
堀川貴司氏が『書誌学入門』(勉誠出版2010)で「画帖仕立(折帖) 一丁単位の谷折りした紙を用い、前の紙の末尾裏側と後の紙の冒頭裏側を糊付けしたもの。別の紙を裏から当てて糊付けした場合を除き、継目は完全に平らには開きません。見開きの一面単位で独立した画面であれば長く開く必要はないので、画帖に多く用いられます。」(p28・30)と説明しているのも、明きらかにこの装丁です。
なお、中野氏も言及している「法帖仕立て」という呼称は、書道の手本である「法帖」の装丁として折本が用いられることが多かったということで「折本の別称とされることが多い」(『日本古典籍書誌学辞典』p519)のですが、実際にはこの「片面折帖仕立て」の法帖も多く、藤井隆氏は「折帖仕立ての別称とする方が良いと思う」(『日本古典書誌学総説』p59)と述べています。いっぽうで、折本・折帖(片面折帖仕立て)のいずれにおいても、法帖以外のジャンルの本もそれなりにあります。といった具合ですので、「法帖仕立」を特定の装丁を指す呼称とはあえてしないほうがよいでしょう。

つぎに、『日本古典籍書誌学辞典』の「両面折帖仕立て」について。前述のとおり、国文研所蔵の「奈良絵豆扇面絵」がこの装丁ですが、中野氏の『書誌学談義』や堀川氏の『書誌学入門』には言及がありません。
他方、国文学研究資料館がWebで公開している「日本古典籍講習会テキスト」(2019)で「折帖 一定の大きさの厚紙を横に繋げ、継ぎ目部分で折って畳んだもの。手鑑や短冊帖などに見られる装訂。形態上は折本と似ているが、折本では料紙の継ぎ目と折り目が原則的に無関係な点で区別される。版本の例は未見。」(落合博志氏「講義2 装訂・料紙について」)としている「折帖」は、「横に繋げ、継ぎ目部分で折って」いるものということで、こちらを指すと思われます。
また、佐々木孝浩氏も、Webにアップロードされている「日本古典籍と付き合う」というワークショップ資料(2015)で、「折帖(おりじょう):折本の一種であるが、厚紙で作成したもので、巻子装に改めることができない装訂。両面を用いることができる。古筆短冊の手鑑など、絵や紙片などを貼込むのに用いられる。「折帖仕立て」とも。」と説明していますが、「両面を用いることができる」とあるので、明きらかに「片面折帖仕立て」のことではなく、こちらの装丁のことです。
「両面折帖仕立て」というのは、造りからすると確かにそうなのですが、実際に絵が描かれていたり貼り込みがあったりするのは片がわのみということもよくありますので、すこし誤解を招くかもしれません。実のところ、「片面折帖仕立て」(折帖)とは違って、表と裏両方使用できるという点からすると、『総説』に「完成したものは全く普通の折本と同様の形と扱いとなり」とあるとおり、通常の折本と変わらないわけで、いろいろな冊子目録やデータベースに「折本」と記録されている資料のうちには、この「両面折帖仕立て」の装丁のものが相当な割合で存在していると思われます。もっとも、これは「片面折帖仕立て」の場合も同様で、そもそも『辞典』に「折本の一形態」とあるように、「折帖」は広義の折本に含まれるという立場からすれば、誤りとも言いきれません。
実際、池上幸二郎・倉田文夫著『本のつくり方』(主婦と生活社1979)という本には、「折本仕立ては、経文や画譜、習字の手本などに多く見られます。紙を張って巻物にした物を、必要な寸法に折って仕立てる、一般的な折本のほかに、本の寸法の倍に裁った紙を、二つ折りにして張り合わせる糊入れ画帖、二つ折りにした本文の、折り山と小口の側の交互に組み合わせて糊づけした、画帖仕立ての折本などがあります。」(p52)といった記述があります。通常の折本とは区別したいということであれば、これなどを参考に、この装丁のものは「折本(画帖仕立)」というぐあいに記録しておく、というのが無難なところかなと思います。

2021年9月 9日

読んで作る

今月の雑記、テーマは「本×ごはん」です。

大抵は「名もなき料理」を作っていますが、レシピ本を見ながらきっちりその通りに作ることも楽しくて好きです。そして当然のことながら、ちゃんと作れば美味しい。

文章を見てその通りに料理を完成させるには一定の技術が必要だということに、自分が作るようになって気がつきました。

書いてあることを再現できる調理技術はもちろんのこと、
「〇〇切り」系の用語や「△cm長さ」といった微妙に独特な言い回し
最後にいきなり出てくる「茹でた青菜」(いつ茹でればよかったの?どう茹でるの?)
「適量」「お好みで」というこちらのセンスが問われるあたり。

なにより「中途半端に残っちゃうからいいや全部入れちゃえ」「合いそうだし茄子も入れてみよ」「ラー油...いいか、七味で」といったことを思わない、思ってもやらない精神力。

わたしは、文章を読んできちんとその通りに作れる人は「料理が得意な人」だと思っています。

本によって癖もありますし、自分の力量や味覚に合うレシピ本と長く付き合っていけたらいいですよね。一つの本で培った技術が、別の本で活きた時、お?私、成長した?なんて思います。
(「癖がある」とは言っても一冊の中では一貫性があるという点については、図書のいいところだと感じました。)

定番料理が、それぞれのレシピ本でどう書かれているか見比べるのも楽しいです。
わたしの本棚には「鯖の味噌煮」のレシピが6パターンありました。この秋冬「鯖の味噌煮作り比べ」をやってみようかな、その上でMyレシピを構築できたらいいな。
(と、思い付きで書いてみましたが、はたして自分はその中の一つのレシピのためだけに普段使わない白味噌を買うでしょうか。)

なお、わたしは「いいや全部入れちゃえ」などしたとしても、結果できたものが美味しければ、それを作った人は「料理が得意な人」だと思っています。
この食材が合いそうだと予想できるのも、自分好みの味に調節できるのも、全て素晴らしい技術。

結論→美味しければよし。

表紙に惹かれて買った、座右の書です。
ひとり分の和食

ベターホーム協会(編集)
ベターホーム協会(2015.12)


2021年9月10日

お隣の文学に触れたい~典拠のはなし~

典拠・望月です。
しばらく前から、来ているような気がします。韓国文学ブームが。韓国からの翻訳小説(ほかエッセイや人生訓風なものも)が増えるにしたがい、典拠班でも韓国の作家さんの典拠ファイルを作成することが増えてます。
いま中国のSF小説も人気なようですし、東アジア文学に注目が集まっているのでしょうか。

韓国や中国など漢字圏の国の人を、TRCでは「東洋人」というくくりにしています。そこで今回の典拠のはなしは、東洋人の典拠ファイルについてよもやま話をしてみたいと思います。

まずは、著者の名前の表記について。最近の本では、韓国出身の著者の表記をカタカナにしているのを多く見ます。この現象、典拠班的にはちょっと困る!となってしまうのです。なぜかというと、同姓同名が多くなってしまうから。
小説「82年生まれ、キム・ジヨン」の「キム・ジヨン」を例にしてみます。TRCの人名典拠ファイルで「キム,ジヨン」のヨミを持つ人名は
金/知栄
金/智栄
金/智英
キム/ジヨン
などなど。漢字で表記されるとパッと見て別人だというのがわかりますし、典拠ファイルにおいても漢字形ちがいの別ファイルとして作成すればよいのです。
しかしこれらがすべてカタカナで表記されるようになると、同姓同名のファイルが4件できてしまうことに。この本を書いたキム・ジヨンさんは、あの本の著者のキム・ジヨンさんと同じ人?それとも別人?
確認するのにとても手間がかかりますし、あやまって別の人のファイルにリンクさせてしまう危険性もあります。慎重さがより求められます。


つづいて名前の読み方について。
東洋人の名前には二通りの方法での読み方が想定されます。
①母国語のヨミ
②日本語のヨミ

①の母国語のヨミとは、その国の発音で読んだ読み方です。
例:郝景芳→ハオ.ジンファン
②の日本語のヨミとは、日本語の漢字の発音で読んだ読み方です。
例:郝景芳→カク,ケイホウ

MARCの著者のヨミが、仮に母国語のヨミだけだとすると検索で不便なことが出てきます。母国語のヨミは、その言語を知らない人には推測がむずかしいので、カタカナ形での検索ができなくなってしまうのです。そのため、著者表示が漢字で、統一形のカタカナ形が母国語のヨミの場合のときだけ、MARC上に母国語のヨミと日本語のヨミの両方を入力しています。

著者      郝/景芳//著
カタカナ形① ハオ.ジンファン
漢字形     郝/景芳
カタカナ形② カク,ケイホウ

東洋人の典拠ファイルの中には、母国語のヨミと日本語のヨミをMARCに持たせるため、一つの漢字形に対して二つのヨミを持つ特殊な例が存在するのです。

統一形  郝/景芳 ハオ.ジンファン
記述形  郝/景芳 カク,ケイホウ

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実をいうと、韓国文学ブームにも、中国SFブームにもすっかり乗り遅れていますので。
ゆっくり書店を訪れられるようになったら、気になる本を探して書架の前で迷いまくりたいものです。

2021年9月 8日

きょうのデータ部☆(9/8)

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フル稼働中のサーキュレーター。
オンオフと角度の調節がきかない(なんでも段ボールで解決しがち)、少し不器用な子です。

2021年9月 7日

ビジュアル日英史

9/7は週刊新刊全点案内2224号の発行日です。
掲載件数は973件でした。今月の表紙はこちら。

p20210907.jpg
家から駅までの途中の、近道の細い露地に
生け垣の向こうから飛び出したイチジクの木の枝が
トンネルの様になっている所があり
(私は勝手にイチジクの小道と呼んでいる・・・!)
小さな硬い緑の実が、大きくなって、
9月上旬、紫色に変わり始める頃から、イチジクの香が広がって
そのトンネルの下を通る度、思わず深呼吸して
初秋の香の馳走を頂いています。
(Juri)

*こんな本がありました*

「図説日英関係史」

横浜開港資料館(編)
原書房(2021.9)

江戸時代の日本とイギリスの関係を横浜開港資料館が所蔵する資料を使って図説したこちらの書。
歴史の勉強はあまり得意ではなかったのですが、地図・手紙・古写真などがふんだんに使われているためすいすい読み進めてしまいます。
江戸時代の日本人のイギリス観、当時描かれた絵も併せて見ると大変興味深いです。
歴史上深い関わりがある日本とイギリスの関係史を、ぜひビジュアルで楽しんでみてはいかがでしょうか。

2021年9月 6日

夢食じゃなくて草食

明日発行の『週刊新刊全点案内』は、巻頭に「新設件名のお知らせ」を掲載しています。
新設件名は、TRC MARCで件名標目を新たに採用したものという意味で用いていますので、NDLSHから採用したものも含まれています。

8月の新設は8件でした。そのひとつが「ばく」です。

ばくといっても夢を食べる伝説上の生き物ではなく、奇蹄目の動物です。カバや馬と同じく蹄を持っており草食です。
私は子どものころに動物園で見たくらいの思い出しかないのですが、はっきり分かれた白黒の体毛に前に突き出したやや長い顔を見て、変な動物だなあ、と思った記憶があります。

伝説上の生き物の方の獏に似ていたのが名前の由来...という説がありますが、そもそも獏は動物のばくを元に生まれた、という説もあるそうです。
一体どちらが先なのか...卵が先かにわとりが先がみたいな話ですね。
伝説上の「獏」は鼻は像、目はサイ、しっぽは牛、脚は虎にそれぞれ似ているとされていかにもな姿をしていますが、動物のばくを見てみると...まあ、鼻はちょっと長いし、サイも奇蹄目だし、似ているところはあるかな?といった印象です。

ちなみに、日本動物園水族館協会によると、ばくを展示している動物園は現在22施設あるそうです。
なかなか外出がかなわない昨今ですが、いつか落ち着いたら見に行ってみたいものです。

2021年9月 3日

胡蝶装と包背装

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

前回見たように、谷折りして重ねた紙の折り目を背に糊付けしたものについても、中野三敏氏は、「包背装仕立て」と呼んでいますが、『日本古典籍書誌学辞典』の「胡蝶装」の項には、「なお中国の蝴蝶装は、印刷面(表のみ印刷)を見開きに見て二つ折りにした料紙の背を糊で綴じたもの(料紙がきわめて薄いために可能となる)で、日本の粘葉装とは異なる、という見解がある」(p222)という記述があり、ここで言われている「中国の蝴蝶装」こそが、中野氏のあげている「包背装仕立て」の例と一致するように思われます(なお、「胡蝶」を「蝴蝶」と書くのは後代になってからの俗字です)。

「胡蝶装」については、以前見たように、谷折りした「のど」の部分どうしを糊付けして貼り合わせた「粘葉装」の異称とするのが一般的で、「折られた料紙の内側の面にあたる頁は水平まで開けるが、糊で貼り合わせた各料紙の外側にあたる頁は、頁の背に近い部分が糊代の分だけ貼り合わさっていて開かない。これを蝶が羽を広げた様子に見立てて胡蝶装の名がある。」(杉浦克己著『書誌学・古文書学』(放送大学教育振興会1994)p46)などと説明されます。しかし、蝶が羽を広げてとまったようだからそのように呼ぶのだというのは、「胡蝶装」を日本の「列帖装」の別称とする立場でも言われ、遠藤諦之輔著『古文書修補六十年』(汲古書院1987)では、「それぞれの帖を二つ折りにして綴じると、一番内側になる部分は折り目まで開いて蝶が羽を広げた形に似、そうでない部分は羽を閉じた形に似ることからつけられたもの」(p192-193)と説明されています
では、中国ではどのように説明されているかというと、陳国慶著(沢谷昭次訳)『漢籍版本入門』(汲古書院1984)には、「この装訂方法は、書口と書口とをくっつけ、外側の表紙としては硬い紙を用いて包みこみ、紙訂(こより)を用いずに糊うちして書背に固めつけ、版心を内側に向け、外枠は外側に向かうようにする。閲覧していくときは、ちょうど蝶の羽が開くのと同じような形になるので、蝴蝶装という名称が生まれたのである。」(p167)とあり、すなわち書口(版心)で谷折りにし、それを背に糊付けしたものということになります。同じ蝶のイメージということでもその指し示す実態はかくのごとく異なるので、やはりイメージだけで語るのはいろいろ誤解を生じるものだなと、改めて実感させられるところです。
ただ、伝統的な東アジアの学芸世界において、「胡蝶」というワードでまず想起されるのは、『荘子』の「荘周、夢ニ胡蝶ト為ル。栩栩然トシテ胡蝶也」(荘周は夢のなかで蝶になった。ひらひらと飛んでいて蝶そのものであった)という「胡蝶の夢」の一節のイメージだろうと思われます。ですので、丁を繰るときに印刷面と裏面とが交互に出てくるのが、飛んでいる蝶の羽がひるがえる様に似ている、というのがほんらいの由来だったとするのが妥当ではないかと、個人的な印象としては考えています。いずれにしろ、「粘葉装」や「列帖装」の別称としての説明のほうは後付けの気味があり、この「胡蝶装(蝴蝶装)」というタームは、やはり中国のもの(唐本)に限定して用いるとしたほうがよさそうです。

ちなみに、「包背装」も、日本と中国で微妙に意味内容が違うところがあります。『日本古典籍書誌学辞典』の「包背装」の項では、「袋綴じまたは糸や紙捻で仮綴じしたもの、あるいは折帖などを、一枚の表紙で、表・背・裏をくるみ、背の部分を糊付けにしたもの」(p520)とあります。これに対し、『漢籍版本入門』では、「この装訂の方法は、版心のところで折りたたみ、書口を外へ向け、背後を表紙で包みこみ、書脳(綴じ目の余白部分)を外に出さないやり方である。これが線装と同じでないところは、孔をあけて綴じ糸でくくらないというだけのことである」(p169)としています。すなわち、中国では、糸綴じをせずに、山折りした紙の端を背に糊付けしたものを「包背装」と呼ぶのです。谷折りしたのどを背に糊付けする「胡蝶装」とは、ちょうど真逆のつけ方ということになりますね。
中国では、「包背装」と「胡蝶装」は、もとよりこのようにわかりやすくはっきりと区別されるものですので、日本のような呼称の混乱は生じていません。一方、日本では、「胡蝶装」は相異なる装丁の別称とされて「同名異装」という事態が生じていましたので、このタームを使うのを控えたほうがよいですし、「包背装」(くるみ表紙)のほうも、独立した装丁とするより、「仮綴じの包背装仕立て」「粘葉装の包背装仕立て」といったぐあいに使用したほうがよいのではないかと思います。

なお、「のど」(書脳)について念のため補足しておくと、『辞典』では「書物を見開きにした際の中央、すなわち綴じ目に近い部分の余白の名称」(p453)としています。すなわち冊子にした時に背に近いがわにあるのが「のど」であって、線装・中国の包背装の場合は紙の端が、列帖装・粘葉装・中国の胡蝶装の場合は紙の中央がそれにあたるということになります。一方、「版心」(書口)は定義の仕方がある意味逆で、つねに紙の中央のことを指し、線装・中国の包背装の場合は背の反対がわに、列帖装・粘葉装・中国の胡蝶装の場合は背のがわに位置する、ということになります。

2021年9月 2日

本に出てきた料理を作る

 9月に入り急に涼しくなりました。秋の訪れでしょうか。まだ暑さの戻りがありそうな気もしますね。
 そんな今月の雑記のテーマは「本×ごはん」です。

 絵本や児童書、SF小説や時代小説、マンガにもおいしいご飯や食べ物の出てくる作品は数多あり、巻末にレシピの載っているものも。ひとりで料理ができるようになると、読了後に作品に出てきた印象的な料理を作るのも楽しみの一つでした。
 レシピが載っていればその通りに、無ければ自己流で作ります。
 ある時は、大きなプリンがお皿の上でプルンプルンと揺れる絵のあるお話を読んだ後、ラーメン鉢で作ってみましたが、蒸し器に入らず、小さなうどん鉢に移し替えて作りました。完成品を見て、イメージとちょっと違うんだよな...と不満に思いつつも味は大成功に出来上がり、あっという間に食べ終えました。
 最近の読み物作品は、巻末に出てきた料理のレシピが載っているものが以前よりさらに増えたように思います。このところ食べるものは質より量になりがちでしたが、今年は本を読んで出てきた料理を作る、読書の秋と味覚の秋を満喫したいです。

2021年9月 1日

きょうのデータ部☆(9/1)

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今日から9月。

昨日はあんなに暑かったのに、
小雨の今日はうっすら秋めいています。
小雨の中でも換気中。すずしい風が吹き込みます。

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